第六話

 その異変に最も早く気づいたのはミナだった。


 クレーターの裾から見る数時間前に回収した流星の残骸は一見何の変化もないようだった。が、地面に突き刺さった角度が僅かに異なるのをミナは見逃さなかった。

 ミナはすぐさま立ち止まって周りをゆっくりと見渡した。些細なものすら見逃さないよう、彼女の眼光は普段より鋭くなる。


「ミナ、大丈夫か?」とヤコの心配そうな問いに、ミナは「上か下だ」とだけ短く答える。その意味をすぐさま理解したニオとヤコは、ライフルを構え警戒態勢へと入るが、ヒトミは首を斜め四十五度に傾けて無言で疑問符を投げかける。しかし、ヒトミに構う暇などなく、ミナは屈んで地面を観察する。

 流星を回収したときの自分たちの足跡はほとんど残っていないとはいえ、流星から伸びるように点在する地面の穴はあまり大きくない。均された砂に刻まれた風の波紋も故意に乱されたようなところは感じられない。

 長年の経験と知識が下だと囁き、ミナは四つ足を着いて、右耳を大地に当てた。目を閉じて呼吸を落ち着かせながら、聴覚だけにすべての意識を向ける。だが、その様子はヒトミには奇妙に映った。


「ミナさん……?」と口から出かかった疑問はニオの人差し指で押さえつけられた。

「ごめんね、ちょっとだけ静かにしてね」

 ニオの顔には微笑が浮かんでいたが、それが少しだけ怒っているように見え、ヒトミは固唾を呑み下しながら大きく頷いた。


 ニオがヒトミの口から手を離して、また先と同じように周囲の警戒に戻ったのに習って、ヒトミもライフルのセーフティに人差し指を伸ばしておく。しかし、目だけはミナに釘づけのままだった。

 じっと固まって呼吸すら感じさせないミナの様子は、古代の英雄が石像になってしまったのようではあったが、到底索敵しているようには思えなかった。仄かに膨らんでは沈むミナの背中の一定の動きをぼんやり見つめていたヒトミは、それが月光を浴びて今にも蕾から大輪へと変わろうとしている花にも見えた。


 しかし、ヒトミの想像を裏切るように、何かを察知したミナはガバリと体を急に起こして「来るぞ!」と短く発した。


 ニオとヤコはすぐさま素早く跳躍して距離を取るが、呆気に取られたヒトミの足は動かなかった。代わりに、ヒトミは下の代わり映えのしない足元をキョロキョロと見て、一体何が迫っているのか判断しようとした。


「バカ! 逃げろ!」

「え?」

 チッと舌打ちをしてミナはヒトミに思い切り体当たりをした。下腹部の衝撃を受け止めきることができずに体が力学の作用に勝手に倒れていくのを知覚しながら、自分の足元の砂が膨張していく様子を視界の端で捉えた。


 最初は握り拳ほどに過ぎなかった大きさの砂の膨らみは、瞬きすら追いつけないような速さで巨大な砂の球体へと豹変した。

 その砂の塊は二人の少女を巻き込んで、砂柱となって空に打ち上がった。

 三メートルほどの高さまで吹き飛ばされたヒトミは天地が逆転した砂丘の世界を重力に引かれながら落下していった。こんな風に見えていたっけと考えた刹那、ヒトミの体は地面に直撃し、砂の山を回転しながら転がっていく。


 ようやく動きが止まり、呻き声を上げてヒトミは体を起こした。体の節々が痛むが、背中から落下したのと、柔らかな砂がクッションになったおかげで打ち身程度の軽症で済んでいた。

 しかし、状況を整理する暇もなく、ヒトミは右手をがっちり掴まれて、ミナに半強制的に立たされた。


「立て、走るぞ」


 返事すら聞かずにミナは走りだし、ヒトミはその速度についていくために必死に足を動かす。背後からは爆発するような音ともに、砂塵が飛び散って髪に纏わりつく。


「ミナ、ヒトミ! こっちだ!」


 ヤコは叫びながら、ヒトミたちに大きく手を振る。ヤコの赤い発光色が夜空に残像を作り出している中、少し離れたところでライフルを構えたニオが発砲する。

 弾丸はヒトミたちの頭上を飛び越え、砂煙を上げる巨大な何かに命中した。耳をつんざくような金切り声は砂丘の砂の一粒一粒を揺らし、その正体を露わにする。


 十メートルはゆうに超す全身はアズライトのような深淵のような藍色をしており、白いふさふさとした体毛があちこちから伸びている。しかし、体の一部にはくすんだ黄金色の模様が対照的に描かれていて、印象派の絵画のような色彩の豊かさを連想させる。

 楕円でずんぐりとした胴体には小さな黒い目が四つあり、その一つからはミナが撃ち抜いた証拠と言わんばかりに緑色の体液を噴出していた。しかし、残りの健在な三つの瞳はギョロリと辺りを伺っている。

 胴体からは少女の体ほどの太さの脚が八つ飛び出しており、筋肉質な後脚は地面にしっかりと根を下ろし、前脚は左右と上方向に大きく広げ、剥き出しになった顔の巨大な二つの牙と合わせて、見る者を圧倒するような威嚇をしていた。


 その巨大な蜘蛛を、ヒトミは不思議と美しいと思った。

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