第五話

 再びミナが現れたとき、空のまん丸の月は高く登っており、澄んで冷たい光が砂丘をくまなく照らしていた。月光を遮るものが何一つない砂丘は、昼間の太陽光が作り出す黄金とは対照的な、白銀の世界へと変貌していた。

 ミナは戦闘服にマリーゴールドに似た鮮やかな黄色の光を灯し、後ろのヤコはピンクがかった赤い光を放ちながら、最後の的を撃つヒトミとそれを指導するニオの元へ近づく。ヒトミの銃声に比べると、シャリシャリと白砂を踏みしめる音は几帳面なほど一定で、風のない湖面のように落ち着いていた。


「どうだ、ニオ。こいつは使えそうか?」

「うん、筋はいいと思うよ」

「ならいい」


 上から目線なミナのセリフにヒトミはあまり気持ちよくはなかったが、ニオやヤコが彼女を慕っている様子から余計な反発はしないことにした。そもそも、ヒトミはミナの態度や言動にあまり好意的な印象を持てていなかったが、最年長という理由で不満をぶつけることはなかった。


「作戦時間になった。全員流星付近まで移動し、ターゲットと接敵する。この砂丘のどこから来るか分からないから注意をしろ」


 ミナはそれだけ言うと、先導を切って砂丘を進み始めた。ヒトミの淡々と進める歩の軌跡を少女たちは追う。ヤコは小走りでミナに追いついて、並んで話しているようだったが、話の内容までは後ろのヒトミには聞こえてこなかった。それをいいことに、ヒトミは「ミナさんっていつもこんな感じなんですか?」と横のニオに尋ねる。


「こんなっていうと?」

「その、冷たい感じというか、素っ気ない感じというか、なんというんですかね」


 うーんとニオは唸る。そして、何とかしてミナの説明をしようとするものの、適切な表現が見つからず、口を開けたり閉じたりを繰り返した。その様子を気遣って「あ、分からないなら無理に説明しなくても……」と申し訳なさそうにヒトミは言うが、ニオはそうじゃないと首を振る。


「違うの。そのね、難しいの。ミナちゃんは冷たくしようとして、冷たくしているわけじゃないの」

「そうなんですか?」

「うん。ミナちゃんはね、の」

「……私にはあまりそのようには見えないのですが」

「優しすぎるからああいう態度を取るの……ミナちゃんはね、本当は誰よりも仲間思いで、誰よりも人の為に涙を流すことができるほど優しいの。でもね、それ以上に誰よりもこの世界の理を知っているから、ミナちゃんは涙を流さないし、優しさを見せないの……でも、だからって勘違いしちゃダメだからね! ヒトミちゃんに冷たくすることが、今のミナができる最大限の優しさなんだから」

「人に冷たくするのが優しさなんですか?」


 眉間に皺を寄せるヒトミは、ニオが言わんとすることがどうしても矛盾しているように感じられた。


「うん……それがミナちゃんの出した結論なの」


 歯切れ悪そうな話しぶりのニオに対して、ヒトミはこれ以上の追求をやめた。しかし、どうにも納得がいかず、意識の外で足に力が入る。ヒトミの当惑した表情を覗き込みながら「怒ってる?」とニオは不安げに質問する。


「いえ」

「じゃあ、理不尽だと思う?」


 二人の間には長い沈黙訪れた。しんと静まり返った砂丘で、音はどこまでも届きそうだった。二人はリズミカルな足音に紛れて聞こえる互いの呼吸の速さを伺いながら、次の言葉を考えていた。しかし、ヒトミには妥当な返しを考えることができず、最後には素直に「はい」と答えただけだった。


「そうだよね…………いきなり地球にやってきて、ああしろこうしろって言われるんだものね。でもね、それは全部ミナちゃんがヒトミちゃんに生きてほしいって思っていることなの」

「本当ですか?」とヒトミは懐疑的だった。

「うん。私たちには戦闘能力が予め用意されているけど、それをちゃんと扱えるかどうかは別なの。ぶっつけ本番で能力を発揮できる子もいるけど、多くの私たちはそうじゃない。人間をベースにしているからかもしれないけど、私たちは知識や記憶にある情報をいつでも確実に使えるわけじゃない。だからね――」


 ニオはヒトミにしっかりと視線を合わせた。ヒトミも同様にニオの目を覗き返す。同じ色、同じ形、同じ大きさの目であるはずなのに、どうも自分のものとはまったく異なるものであるようにヒトミは思った。


「慣れが必要なの。体を素早く動かして攻撃を躱したり、標的に確実に着弾できるようにしたりするのって記憶の中とは違って実際はすごく難しいの。さっきの射撃訓練したときもそうだったでしょ? 風の動きや、湿度、銃の部品の状態、自分の体調や精神の安定性まで影響するんだから、私たちの処理に数えきれないほどの不安定な要素が絡んでくるの。それなのにシミュレーションだと大丈夫だったではダメなの。だって、一歩間違えれば、私たちは簡単に死んでしまうもの」

「死んでしまう……」

「そう。死んだら終わり。だからね、厳しいように聞こえるとは思うけど、あれはミナちゃんなりの配慮なんじゃないかな。少しでも私たちが生き長らえるようにって」


 ヒトミはいつの間にかかなり先にいるミナの背中を見つめた。巨大な砂の山の中腹を登ろうとしている姿はあまりにも孤独で、無謀に見える。それなのに、誰も近寄せない雰囲気すら感じさせるその後ろ姿に理解が追いつかず、ヒトミは勝手に腹が立つのを認識した。


「だからってあんな言い方はないと思います。あんな嫌われるような……」

「それがミナちゃんの狙いだからね」

「意味が分かりません。そんなことする意味が!」

「……分かる必要はないんじゃないかな」とニオは悲哀に満ちた表情をヒトミに見せた。ヒトミは想像外の反応に口をつぐんだ。


 なぜミナが一人を貫き通したがるのか、なぜニオがそんな悲しい顔をするのか、ヒトミには何も分からなかった。疑問がぐるぐると頭の中を回り続けるが、ヒトミは言葉にする気にはなれなかった。あまりにも未熟で、無知で、脆弱な少女には、合理主義な生き方が歪なものであるようにしか見えなかったのだ。

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