第四話β
そのあとヒトミがミナに話しかけられたのは日が完全に沈んだあとだった。一人で黙々と火を焚いて、火種が乾いた木材に移ったのを確認してから、ミナは全員集合と少女たちに声をかける。
「ヒトミ、お前もだ」
「私もですか?」
「当然だ」とヒトミを自分の焚き火を挟んだ反対側に座らせる。断る適切な言い訳が思いつくわけもなく、ヒトミはもらった衣服を汚さないように細心の注意を払いながら、柔らかい砂の上に腰かけた。もっとも衣服と言っても下着とTシャツくらいの簡素なもので、太陽光に晒されていない廃墟の砂はほとんど生身のヒトミには冷たかった。
「あと三時間後に今回のターゲットとの戦闘を行う。流星の付属装備から判断するに今回のターゲットはおそらく単体。作戦として、ニオはいつも通りの遠距離支援で、その間が他のものが陽動をする。今回が初任務のヒトミは陽動役の交代は難しいだろうから中距離での援護になる。くれぐれもターゲットに狙われるなよ」
「えっと……援護って、何をすればいいんですか?」
「何もしなくていい。適当に撃ってろ」
ミナのぶっきらぼうな物言いに、ヒトミは眉を寄せる。しかし、ミナは「他に質問は?」とヒトミを無視してしまう。ヤコは素早く手を上げると「これ、どうする?」と無反動砲を指差す。
「ニオかヒトミに持たせておけ。私たちには重荷になるだけだ」
ちぇーと無反動砲をヤコはヒトミに押しつける。戸惑う表情のヒトミに「美味しい役なんだからちゃんと使えよ」とヤコが軽くウインクする。無反動は見た目以上にずっしりとした重さで、ヒトミは正しく扱えるかどうか不安だった。
「質問がないなら解散。各自準備しろ。あと、ヒトミは時間までニオに射撃訓練を受けてもらえ」
「訓練、ですか?」
「戦闘中に足手まといはいらない」
そう言い残すとミナはスクッと立ち上がって、焚き火の光源がまったく届かない暗闇へと消えてしまう。ヤコもあと追うように、暗闇に駆け込んで姿を眩ましてしまう。まるで、底知れぬ闇がまるで二人の少女を飲み込んでしまったかのようだ。
そんな彼女らを他所に、ニオは「ヒトミちゃん、これ」と戦闘服をヒトミに手渡す。
「これ着たら、外で射撃訓練をしよっか」
ヒトミに一瞬微笑んで、ニオは二人とは反対の暗闇へ行く。ヒトミは力なさげに頭を縦に振って、手の中の戦闘服をおずおずと広げた。
全体的に白い化学繊維で作られた特殊な戦闘服を触ると、硬いゴツゴツとした印象を受ける。しかし、実際に腕を通してみると、ぴったりとビニールが張りつくような感触であることにヒトミは驚いた。しかし、驚いたものの、どこかこれが初めてではないような気がしていた。
下着とTシャツを脱ぎ、一糸纏わぬ状態なったヒトミは、慣れた動きで戦闘服の背中部分の切れ込みから白い足を滑り込ませる。布が両足に吸いつくのを感じながら、ヒトミは一気に布を上半身まで持ち上げて、両腕を裾に通す。そして、戦闘服の襟に位置するボタンを押すと、背中の切れ込みは勝手に閉じてゆく。
切れ込みが閉じてゆくと同時に、シューッと音を立てながら服の内部の余計な空気が排出されていく。充分にぴったりな大きさだった戦闘服はヒトミの体を更に締めつけていき、ヒトミの体のラインが徐々に明らかになっていく。空気圧はほとんど痛みに近く、ヒトミは太ももや二の腕の筋肉が削り出されているような錯覚を覚えた。
そして、戦闘服の切れ込みが閉じ切ると、青い光が体の各所から放たれる。白い戦闘服に色彩のアクセントを加えるかのように布の切れ目という切れ目から、瑠璃唐草の花のような淡い空色が溢れ出ていた。
その色を綺麗と思ったヒトミはしばらく全身から発光する光をまじまじと見ていた。砂が反射する光の数々は、まるで砂漠に咲く群青の花畑であった。しかし、急にニオを待たせているのではないかという心配が押し寄せて、ヒトミは慌てて廃墟の外へ出る。
夜の砂丘は冷えるはずだが、戦闘服のおかげかあまり寒さを感じなかった。踏み締めるたびに崩れてゆく大地を歩きながら、ヒトミはニオの姿を探した。幸いにもニオの戦闘服から溢れる紫炎の揺らめきは純黒の砂丘では目印となっていた。
「ニオさん、お待たせしました。すいません」
「ううん。それよりも戦闘服ちゃんと着れた?」
「ええ、多分……」
ニオは拾ったトタン板を地面に刺す作業を中断して立ち上がると、ヒトミの身嗜みをじっくりと観察する。時々首回りや、太腿を触って不具合がないか確認しているようだが、ヒトミはなぜか自分の鼓動が早くなっていくのを感じた。
「うん、大丈夫そう。そしたら射撃訓練しようか」
「は、ひゃい」
「あれ? 声が上ずってるけど、大丈夫? まだ、起きたてで体調が……」
「い、いえ! 大丈夫です! 調子はとてもいいです!」
「そう? なら、ちょっとついて来て」
二人が少し移動すると、ニオはヒトミに銃を渡してトタン板を狙うように指示した。
「最初は当たらなくてもいいけど、本番もこれくらいの距離から狙うことになるからね」
優しい口振りでも、脅しとも受け取ることができそうな言葉にヒトミは首筋に脂汗を掻きながらコクコクと頷いた。
刻まれた記憶を介しながら、ライフルと弾倉の安全を確認して弾丸を装填する。チャージングハンドルと大きな息を吐き切って、光学スコープを覗き込む。月明かりで錆びた鉄の色を反射するトタン板に照準を合わせると、『72』と現れた数値が自動的に対象の映像を鮮明にし、トタン板に残った釘痕一つ一つまではっきり見える。
すうっと息を呑みこんで自分の鼓動のスピードをできる限り遅延させる。そして手のブレが一番小さくなった瞬間、ヒトミはトリガーを素早く引いた。
放たれた弾丸は夜の空気を切り裂きながら飛んでいく。しかし、肝心のトタン板には当たらず、後ろの山が極小の砂しぶきを上げる。
「トリガーを引く速度が速すぎるかも。連射するときはそれでいいけど、精密射撃はゆっくり引いてね」
「ゆっくり、ですか」
「そう。手伝ってあげるね」
そう言って、ニオはヒトミを背後から抱擁するように覆いかぶさり、ヒトミの右手に自分のを重ね合わせる。先ほどからニオに対する想いを制御できているわけではなかったが、今度こそ心肺停止するのではないかとヒトミは動転した。
「に、ニオさん! 何を」
「ほら、さっきと同じように狙って。今度は一緒にトリガー引いてあげる」
同じようにできるわけないとヒトミは息を乱して、慌てふためいた目でスコープを覗く。一歩も動いていないはずなのに、トタン板はさっきよりも小さくなったように見える。平常心だと自分に言い聞かせながら、先走る心臓にストップをかけようと息を止める。
耳にかかるニオの「落ち着いて」という声はむしろ逆効果であるように思いながら、ヒトミはトリガーにかけた人差し指にちょっとだけ力を込めた。ニオの指は連動するようにヒトミの指を包み込み、ヒトミは自分の体に走った戦慄をニオに悟らせないようにすることで精いっぱいだった。バンと夜空に響く発砲音と共に、ヒトミの体は魔法が解けたように力が抜けて、へなへなと地面に座り込む。
「ナイスショット。きれいに当たってるよ」
ニオの言葉にヒトミは安堵し、大きな溜息を吐いた。しかし、直後の「あと十発は当てようか」の声に、ヒトミは全身が凍りつくのが分かった。
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