第三話
「これが砂浜かぁ」と上ずったヤコの声は上機嫌そうである。
ミナたちの目の間には見渡す限りの黄色の砂の世界が広がっており、アラビアンナイトの一節を彷彿させる光景だった。
「厳密には砂丘、だ」
ミナはそう言いつつ、近くにあった看板を指さす。長年の風化で大部分が読めなくなっているが、かろうじて『……砂丘……こそ』の文字は読める。
「砂浜と砂丘の違いって何? 大きさ?」
「えっとね。どうやってできたかという違いがあるの。砂浜は海が作るものだけど、砂丘は風が作るものなの」
「へぇー、そうなんだー」
自分で質問しておきながら、ヤコは目の前の自然の神秘に心を奪われているようだった。
「ヤコ、あんまりはしゃぐな。流星はこの辺に落ちているんだ。私たちの目的を忘れるな」
「へいへい」
軽口をたたきながら、ヤコはライフルの光学スコープを覗く。四倍率であたりをじっくりと見渡して、反応なしと短くミナに告げる。ミナも双眼鏡でぐるりとあたりを見渡すが、流れ星の残骸は見つけることはなかった。
「確かにないな」
「この砂丘かなり大きいらしいからね。見つけるのに一日はかかるかも」
「うえぇ、歩き回って探すのかよ!」
「いや待て……そんなに時間はかからなさそうだ」
ミナがそう言って指を刺した砂丘の遥か先には、遠目でも分かる巨大な砂の山がそびえている。
「あれがどうしたんだよ」
「よく観察しろ。てっぺんの部分の色が違うだろ」
「うん? あ、ほんとだ。でも、それってどういうこと?」
「色が違うのは、古い砂が上に積もったからだ。つまり『流星』が近くに落下した衝撃で地中から舞い上がった証拠」
おー、とニオもヤコも口を揃えてミナの推察に感心する。ヤコは再びスコープを覗きこんで、目的地までの距離を測定する。スコープには対象との距離を自動で測ってくれる機能がついており、計測は一瞬だった。
「じゃあ、あっちのほうか! 距離は七キロくらい?」
「日没まではまだ時間がある。『流星』を回収する」
ミナが踏み出した途端、山道やアスファルトとは異なり、サラサラとした砂が足に絡みつき、不安定な足場を生み出す。丘の何恥じない数メートルの高さはある砂の台地は、一歩足元をすくわれれば下まで転げ落ちることとなる。
他の二人に気をつけろと振り向いて伝えようとしたときにはすでに手遅れで、ミナの目にバランスを崩して前のめりになっているニオの姿が映る。
「きゃあああああああ?」
みっともない悲鳴と砂埃を高く上げつつ、ニオは爆速で砂の斜面を腹ばいで滑り降りていく。そして、斜面の終わりでニオの体は止まったが、ニオは起き上がることなく、四つん這いのまま、プルプルと震えていた。醜態を晒した自分を必死に堪えようとしているのは誰の目から見ても明らかだった。
ヤコの下品に笑う声を背後に、ミナは大きな溜息を吐きながら額を押さえた。
「さっさと立つ。急ぐぞ」
「…………了解」
「ヤコもあまり大声で笑うな。感づかれるぞ」
「く、くくく……はーい」
二時間弱で、一行は目的地に到着した。
遠くから見ただけでは分からなかったが、ミナたちのまえには丘の陰に隠れて見えなかったクレーターが広がっていた。
直径三百メートル、深さ十メートルほどの小さなクレーターだが、その中央には見るからに人工物と分かる金属の逆円錐と少女数人なら軽く覆ってしまえるほどの布切れがあった。
「目標確認。周囲警戒」とミナの命令とともに少女たちはあたりを警戒する。頭上の太陽が一面の砂を照らし、それらが金色の光を反射するが、それ以外に目立った様子はない。耳を澄ましても風の走り去る音だけで、異常は感じられ
ない。
「クリア」
「こっちも大丈夫そう」
「よし、全員『流星』の確保に移れ」
少女たちはクレーターを滑るように駆け降りて、流星に迫る。人口の逆円錐は近くでよく見ると角が丸いだけの三角錐であり、それぞれの面には開くための取っ手がくっついている。
「いつもの、開けていい?」のヤコの質問に首の動きだけで答えると、ヤコは取っ手を思い切り引っ張る。取っ手は引き出しのようにスライドして開き、収められていた各種の銃火器が植物の発芽のように飛び出す。
「お、百二十ミリ無反動砲あるじゃん」とクリスマス・プレゼントをもらった子供のように嬉しがるヤコを視界の端に捉えながら、ミナも自分の目の前の取っ手を掴む。
その三角錐の面に大きく描かれた黄色のびっくりマークがどことなく緊張感を与えるが、ミナは意を決して、ぐいっと一気に取っ手を引き下げる。
その途端、大量の薄緑色の液体が洪水のように流星の下部から吹き出し、同時に加えられていた圧力が抜ける音が響く。放水は一分ほど続き、極限まで冷やされていた水が外気に触れると、湯気がそこら一帯に広がった。
そして、表面を覆っていたドアが自動的に上へスライドし、中身を露にする。
それは一人の人間だった。
全裸で金属の壁に手足をくくりつけられ、力なくぐったりとしているところは、十字架に磔にされたキリストを想像させる。素顔こそ頭をすっぽりと覆うヘルメットで遮られて見ることはできなかったが、太陽の光で照らされた未発達に膨らんだ乳房と繊細で艶やかな肌から、少女であることは安易に判別できた。しかし、じっくりと観察するほどの時間の猶予は与えられていない。
ミナが慣れた手つきで流星のボタンをいじると、がしゃりと少女を拘束していた枷が外れ、地球の重力に引っ張られながら少女の体は前に倒れていく。それをミナが抱擁するようにキャッチした。軽いと感じたのは、少女がいまだに何も背負っていないからなのか、それとも自分が重すぎるだけなのか、ミナには分からなかった。
少女の全身に付着していた緑がかった水滴の温度を布越しに感じながら、ミナは無言でニオとヤコに目配せをする。
ニオとヤコは即座に各々の銃を構えて、索敵に徹する。その間にミナは少女の背中と膝の裏からすくい上げるように少女を抱きかかえて、素早くクレーターから離れた。
「ニオ、安地は?」
「過去の衛星写真の情報だと、この三キロ先に建築物があるらしいよ。地形が変わっている可能性があるけど」
「そこでいい。一刻も早く移動するぞ。夕刻までに休憩と作戦を立案する時間が欲しい」
ニオを先頭に少女たちは駆け足で目的地に向かう。残された流星は彼女らの背中を無言で見送っていた。
☆☆☆
海の夢を見ていた。
真っ暗で、どこまでも塩水が広がる世界に上下左右の概念は取り払わられてしまっている。
その中で、彼女はうずくまって、ぼんやりと漂っていた。宙に浮遊する感覚は無重力にも等しい。時間間隔は失われ、久遠とも呼べそうな無限の時の流れは一向に終わりが見えず、ただ耐えるように待ち続けるのだった。
何も見えない、何も聞こえない、何も臭わない、何も味がしない。
手足の感覚も自分の意思から剥奪され、唯一自分のものとも呼べそうな心臓だけが少女の中でリズミカルに鼓動を打ち続けていた。
どくりどくりと心音だけが体の内側から感じる情報であり、それ以外はすべて失われている。そんな奇妙な世界で彼女は考えていた。
ここはどこで、私は何をしているのか。そもそも私は誰なのだろうか。
誰も答えることはなく、彼女の疑問は水の中へ溶けていく。そもそも彼女以外の生物はここにはいない。子宮の中の胎児のように、彼女は孤独で不変的な環境に閉じ込められたままだった。自分がいつ日の光を見ることができるのかなど、少女には想像もつかない。
未来永劫終わらないとすら思えるような時の流れの中で、彼女の心臓だけが正確な時刻を示していた。いつからか、少女はその鼓動を数えるようになった、まるで、時計が秒針の動きを追うように。
ひと、ふた、み、よ、いつ……
自分がいつの間にか数を数えられるようになったのか、彼女は知らなかった。が、あたかもすでに知っていたのかのように彼女は数え続けた。
十、百、千、万、億……
数字はとめどなく増えていき、彼女が一億五千七百六十八万まで数え終えたときに。初めて変化が起こった。
彼女の周りが激しく揺れる、正確には水を通して伝わる外の振動を、はっきりと知覚することができた。外の振動については少女には何も分からなかった。胎児には現在の母親の状態など知る由もない。ただ、それがだんだんと激しくなっていくことしか理解できない。
次に、彼女が感じたのは水温の上昇であった。どちらかと言えば冷たいと感じるはずの水は、どういう訳か少しぬるくなったようだ。それも足元のほうが少し温かった。この時少女は自分の四肢が無理やり伸ばされていることを知った。
なぜと考えるよりも早く、振動が止まったことに彼女は気づいた。出産を終えた母体のような静寂さとともに、彼女はこれから起こりうることを漠然と想像していた。
彼女にはすでに想像に足る知識と経験があった。もちろん彼女自身のものではない。誰かの記憶を
同時に、彼女は自分の使命を思い出していた。
『殺さなければならない、一匹残らず』
否、これは使命ではない、呪いだ。
少女の体に刻まれた、抗いようのない単純で冷酷な命令は、脳内で機械的に繰り返される。巨大な古鉄の換気扇のように、ぐわんぐわんと頭の中で回り続ける言葉に、脳漿が掻き乱される不快感を覚える。凌辱によく似た、体すべてを蝕まれるような気持ち悪さは吐き気すら催しそうだった。そして、その不快感は何かの引き金で痛みへ塗り替えられていく。
皮膚を貫通して子宮を鷲掴みにされたような激痛が少女を襲う。痛みは感染するように全身に広がり、内臓という内臓が痛みの支配に悶え苦しむ声を、彼女は内から聞いた。
何年も使われることがなかった臓器が本来の機能を取り戻していることなど、少女は露知らず、口から洩れる気泡がひたすらに苦悶を物語る。
助けてと喚く彼女の声は一体誰に発したものなのだろうか。正常な判断などできないまま、彼女は深海の中でジタバタと暴れる。
伸ばせない手を伸ばして救済を求める彼女が最後に見たのは、目の前が光に包まれていき、その光の中心に黒い人影が手を広げている姿だった。
『あなたは――』
夢は唐突に終わりを告げる。
頬に打ちつけられる砂の感触に少女はゆっくりと目を覚ました。
天井から一定間隔で降ってくる黄金色の粒はいつの間にか少女の右頬の上に小規模のピラミッドを作っていた。
「私は!」
少女は叫びながら体を起こした。辺りを見渡すと、少女は自分が古びた廃墟の中にいることに気づいた。今にも崩れそうな天井からは赤い光が差し込んでおり、部屋の三分の一の高さのあたりまで積みあがった砂の床が年月を物語っている。
「おはよ」
少女の目に黒髪の女の子の姿が飛び込んでくる。驚いた少女は一瞬身をこわばらせるが、目の前に差し出された手からは、触れずともぬくもりを感じ取れた。
「ハッピーバースデー、二万百十三のあたし」
そう言って笑う顔は、少女と瓜二つだった。
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