リープ2.1 ラブ・アゲイン
『もしもし、池里さん。どうだった?』
「ダメだった。千晃、帰っちゃったよ。何も思い出さなかったみたい」
『そうかい。……君達にとって本当の〝はじめまして〟である新文芸坐なら、あるいはって思ったんだけどな』
「そうだね」
『まあ、くよくよしたって仕方ないよ。別に今回が最後のチャンスだったわけじゃない。明日からまた頑張ろうよ』
「最後のチャンスじゃない、か」
『……どうしたのさ、池里さん。なんかさっきから変な感じだけど』
「ねえ、園くん。この治療を始める前、千晃に言われたこと、覚えてない?」
『……待って。待ってよ、池里さん。覚えてないわけがない。でも、あんな約束を律義に守る必要なんて無いよ』
「破っていい約束なんて無いよ。千晃との約束ならなおさら。覚えてないからってすっとぼけるのはフェアじゃないもの」
『確かにそうだけど……だいたい、君は江波のために大学院にまで通ってるじゃないか。それが既に約束を破ってるってことになるんじゃないのかい?』
「……わたしね、大学院に進んでなんかいないの。説明会に行っただとか、全部、嘘だったんだ」
『そんな。なんでそんな嘘ついたのさ』
「千晃にやる気になって貰いたかったの。それだけ。実際、やる気になってくれたでしょ?」
『そうだけど……でも、やっぱりダメだよ。あんなふざけた約束は守るべきじゃない』
「千晃はわたしたちを信じてくれたんだよ。裏切るわけにはいかないじゃない」
『……運命なんだろう、君達は』
「うん。でも、もし千晃がわたしのことを思い出さないなら、それもきっと運命だと思う」
『……そんな悲しい言葉、聞きたくなかったよ』
「……ねえ、園くん。わたしからふたつ、お願いがあるんだ。まずひとつ。明日からの治療は、わたしだけに任せてもらえないかな」
『……どうして?』
「〝とっておき〟があるの。後でミヤモトの鍵を貸して……それと、もうひとつなんだけどね」
『待って。やっぱり聞きたくない。嫌な予感がする。それ以上は――』
「たとえわたしが失敗しても、千晃はあなたのことは覚えてる。だから園くん、もしもの時は千晃をよろしくね」
〇
千晃は治療を嫌がった。いつまで経っても進まない自分の時間に、わたしたちを付き合わせたくないなんて、カッコつけたことを言って。
それでもわたしは諦めなかった。付き合うつもりなんてない。さっさと治って貰うつもりだからと言って。
押し問答は何日も続いた。朝の九時から夜八時まで、休みなく言い合った日もあった。向こうが「バカ野郎」と言えば、こっちは「バカ野郎の大マヌケ」と言い返す。向こうが「どうかしてる」と言えば、こっちは「ふぬけチキン」と言い返す。向こうが「頑固女」と言えば、こっちは「朴念仁のトウヘンボク」と言い返す。今となってはいい思い出だ。
千晃がとうとう折れたのは、この治療が始まる一日前。わたしが渾身のビンタを右の頬に食らわせてやった時のことだった。
「俺の負けだ」と言った千晃は笑ってた。釣られてわたしも笑った。
でも、千晃はただ治療を受け入れたわけじゃなかった。ある条件をわたしたちに付けてきた。
「治療のことはイマイチ納得してないけど、それも含めて池里に任せる。でも、一年間だ。一年間で結果が出ないなら、俺のことはスッパリ忘れて生きてくれ」
「……嫌だって言ったら?」
「この話は無しだ。身体に入れ墨でも彫って、『治療はするな』って明日の俺に伝える」
「『メメント』みたいに?」
「ああ。メメントみたいに」
わたしは、その条件を受け入れた。一年間でどうにか出来る自信があったわけじゃない。ただ、千晃の目が本気だったから。
代わりに、一本の映像を残して貰った。明日以降の自分がもし真実に気づいた時、わたしたちをすぐに信用できるようにって。
『よお、俺。えーっと……あれだ。信じてないんだろ? 今の自分の状況とか、とんでもない方法で治療されてることとか。でも、全部本当だし、全部俺が……つまりお前が同意したことだ。シュワルツェネッガーの『トータルリコール』じゃ、過去の自分の言うことを信じなかった結果、悪の親玉を倒して終わったけど、今回は別だ。お前は俺で、俺はお前だ。俺の言うことを信じろ。しっかりやり切れ。わがまま言って、ふたりに迷惑かけるなよ』
園くんが持っている映像はここで終わってる。でも、本当はまだ続きがある。あの映像は、彼が編集したものだ。
『……お前はきっと、俺なんかに構って人生を無駄にするな、なんてことをふたりに言うに決まってる。でもな、約束したんだ。一年間だけはきっちり治療を続けるってな。約束は守れよ、男なら』
〝男なら〟なんて千晃は言ったけど、男じゃなくても約束は守る。
治療はきっかり一年間。
残された〝リープ〟は、あと二回。
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