リープ18 オール・ユー・ニード・イズ・キル その7

 翌日。朝一番で病院へ戻った俺は、ベッドに腰掛け、記憶を無くす前の俺が使っていたというスマートフォンを眺めていた。中には、見知らぬ写真のデータやメールなどのやり取りが数多く残っている。池里とふたりで映っている写真の半分は、映画館やその付近で撮ったもののようだ。ふたり揃って映画バカとは、まったく笑える。


 俺がこうして昔の思い出を眺めているのは、自分の記憶を取り戻すためだ。こうした〝正攻法〟は何度も通ってきた道らしいが、だからといって効果がまったく無いとも限らない。試してみる価値はある、というのが理由の半分。もう半分は、俺が池里とどのような関係だったのかを見てみたかったという純粋な好奇心からだった。


 しばらく写真を眺めていると、池里と園が病室へやって来た。今日の園は何やら大きめの段ボール箱を抱えている。「よく来たな」と言いながらその箱を受け取ると、園は「いつだって来るさ」とウインクして答えた。


「君のご両親から聞いたよ。やる気、出したんだってね」


「ああ。〝今週〟の俺はな」


「その冗談、笑っていいの?」と言いながらも、園は既に笑っていた。「その調子で来週も頼むね」と続く池里も、嬉しそうな笑みを浮かべている。


 俺はベッドの上に箱を置きながら、「なんだこれ」とふたりに訊ねた。「開ければわかるよ」と池里が言ったので、言われた通りに開けてみると、なにやら色々なものがごちゃごちゃと詰まっていた。それらの全てに覚えはないが見当はつく。記憶を失う以前の俺の私物だろう。


「年月日が入った千晃の私物は、全部まとめてわたしの家で保管してたの。それを持ってきたんだ。なにかの足しになると思って」


「悪いな、色々と」


「悪いと思ってるのなら早く思い出してよね」


「そのためにこうして自分でも知らない自分の素顔を、恥ずかしいの我慢して眺めてるんだろ」


「ほんと、そういう言い訳ばっかり上手いんだから」


 池里と園は段ボール箱から適当に物を取り出しては、それにまつわる思い出話を俺に語って聞かせた。

見たことのない映画のパンフレット、弾丸の形をした飾りがついたネックレス、涼しげな青い鼻緒の草履、赤いセーター、香水の小瓶、〝ゼイリブ〟のTシャツ……。


 思い出のひとつひとつを聞くたびに、どこかに消えた自分という存在が身近に感じられて嬉しかった。また同時に、そこにいたはずの自分が思い出話に参加できないということが歯痒かった。


「さあさあお次は」と調子よく言いながら園が箱から取り出したのは、やけに太った黒い表紙のノートである。あれには俺も見覚えがある。映画の半券を貼り付けて、ひと言感想を書いておくためのノートだ。俺の記憶だと、現在ノートは六冊目のはずだが、聞けばもう八冊目に突入していたとのことだ。


「こんなものを作ってるなんて君から聞いた時は驚いたよ。意外とマメなところがあったんだって」


「意外は余計だ、意外は」


 俺はノートを園から受け取り、ぱらぱらとめくってみた。見たことのない映画のタイトル、そしてそれに対しての感想が汚い文字で書いてある。1ページ先に八月公開のタイトルがあったかと思えば、5ページ先に三月公開のタイトルが見えるというのは、思い出したように財布に溜まった半券を貼り付ける俺の悪癖のせいである。


 やがて、俺の指はとあるページのところで自然に止まった。そこに張り付けてある半券が、他の映画館のものと比べてやけに小さかったので目についたのだろう。


 せいぜいサイコロの一面程度の面積しかないその半券には、〝新文芸坐〟という劇場名と、発行された日付が小さく刻印されているばかりだ。おかげで映画のタイトルもわからない。と思えば、半券の横に俺の文字で『クロスXレンジ・チャプター2』と書いてある。稀代のアクション俳優、クリスチャン・ウォーロック主演のこの作品は、アメリカ国内で劇場公開されたものの、日本ではDVDスルーだったはずだが、どうやら公開されたらしい。


 さて、こんな素敵な作品を劇場で観た俺の感想やいかに――と半ば期待しつつひと言感想のところを見れば、大きな文字で「つまらなかった」とある。まさか、ウォーロックの映画がつまらないはずがない。というか、ある程度駄作だとしても、彼の作品ならば俺はしっかり楽しめるという自信がある。


 俺は真相を確かめるべく、「なあ」と池里に呼びかけた。


「池里。ウォーロックの『クロスXレンジ・チャプター2』って観たか?」


「もちろん。でも、千晃は観ない方がいいかもね」


「……つまらなかったのか?」


「うん。はっきり言って猛烈に。思い出は思い出のままにした方がいいよ」


「……そんなにつまらないのか」


「大丈夫? 自分の病気のことを知った時より苦しそうな顔してるけど」


 苦しいに決まってる。ウォーロックは俺のヒーローだ。熱が出て学校を休むことになった小学三年生の冬、ぼんやり見ていた午後のロードショーで、俺は初めてあの筋肉漢と出会った。あんな男になりたいと、心から願った。今の俺の半分はウォーロックで出来ていると言っても過言ではない。


 そんな男がそこまでつまらない映画を作ってしまったなんて信じられない。信じたくない。


 俺が肩を落として落ち込んでいると、池里ががっかりしたように深い息を吐いた。


「……なんか、すごい複雑なんだけど。わたしよりもウォーロックなんだ」


「いや待て。そういうわけじゃない。それとこれとは話が別だ」


「いいもん別に」


 池里はぷいとそっぽを向いて、窓の方へと歩いていった。その後ろ姿を見た園は、俺に「謝った方が身のためだよ」と耳打ちした。


「記憶が全部戻った時、張り倒されるのは君なんだから」


「さすがにそこまではしないだろ」


「いやいや。あんな〝清楚系美少女〟みたいな見た目だけど、かなり気は強いよ。さすが、ウォーロック好きなだけあるよ」


「ウォーロック好きが関係あるかよ。っていうか、なんだその〝清楚系美少女〟って。恥ずかしくないのか」


「ああ、僕も恥ずかしいと思う。でも、彼女のことを〝清楚系美少女〟って言い出したのは君だからね」


 とんだ墓穴を掘ってしまった。頭を抱えた俺はふとノートに視線を落とす。すると、「つまらなかった」の文言の後にも、小さな文字で続きが書いてあることに気づいた。



「だから、左隣に座っていた美人の顔だけは覚えておくことにする」



 その瞬間、身体中の血液が速度を上げてぎゅんと全身を駆け抜けた。同時に、頭の中には閃きのような考えが産まれる。反射的にベッドから立ち上がった俺は、池里に近づいて「なあ」と呼びかけた。


「池里、お前は『クロスXレンジ・チャプター2』を映画館で観たのか?」


「観たらどうしたっていうの?」


「新文芸坐か?」


「ええ。それがどうしたの?」


「2015年の六月六日か?」


「正確な日付までは覚えてないけど、その辺りじゃない? 千晃と会うちょっと前のことだもん。ねえ、いい加減謝らないと怒るけど?」


「その前にこれを見ろ」と俺は池里の眼前にノートを突き出す。訝しげにそれを見た池里は、「うそ」と小さく呟いた。


「わたしたちの〝はじめまして〟って――」


「そうだ。きっと大学の食堂じゃない。新文芸坐だ。だからあの時の俺は、池里がウォーロック好きってことを知ってて声を掛けたんだ。俺はそのこと話さなかったのか?」


「一度も……というか、新文芸坐すら行ったことないって聞いた覚えがあるけど」


「真に受けるな。俺の野郎、どうせ恥ずかしがったに決まってる」


 池里はぽかんと大口を開けて唖然としている。恐らくしばらくこのままだろうと速やかに理解した俺は、園へと話を振った。


「園。俺の治療で新文芸坐に行ったことは?」


「いや、一度もない。他の映画館なら何回もあるけど」


「だったらどうだ。次の治療にここを使ってみるってのは」


「待ってよ。僕にもきちんと説明して」


 俺は園にノートを見せながら、事の経緯を説明した。俺の話をじっと黙って聞いていた園は、神妙な顔で深く頷き、「やってみる価値はあるかもしれない」と力強く呟いた。


「小津さんならあそこの館長とも顔なじみだ。新文芸坐に行くだけじゃなくて、ウォーロックの映画を流して貰えるかもしれない。ちょっと連絡してみるよ」


「いいのか? 俺達以外も巻き込んで」


「いいんだよ。もともと、『白鯨』だってこの悪だくみの共犯者なんだから」


 そう言うと園はスマートフォンを片手に病室を後にした。その背中を「頼んだ」と見送ったものの、居ても立っても居られなくなって、部屋の中をウロウロと歩き回っていると、池里が俺の腕をぎゅっと掴んで引っ張った。リードを引かれた犬のような気分になったものの、しかしなんとなく落ち着いたのは、身体に沁みついた記憶のせいなんだろうか。


 腕を掴まれたまま部屋の真ん中で立ちっぱなしというのもなんだか間抜けで、「座らないか?」と提案したが、うつむく池里から返事はない。どうしようもないので、立ったままぼぅっと天井を眺めていると、池里がふいに「ねえ」と消えそうなほど小さな声を出した。


「もしこれであなたの病気が治ったら、それってすごいことだと思うの」


「すごい程度じゃ全然足りないだろ」


「へえ。じゃあ、なんて言えばいいの?」


「運命って言葉は、こういう時に使うんだ」


「いいこと言うじゃん」と言って顔を上げた池里は、ニッと笑ってみせた。


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