リープ18 オール・ユー・ニード・イズ・キル その3
『ベイビー・ドライバー』の鑑賞が終わったのは十二時を過ぎたころだった。話の流れで昼食でも食おうということになった俺達は、院内にある食堂へ向かった。看護師に話は通していないが、身体にも脳にも異常が無いというのだから、何を食べても一応は問題ないだろう。
生姜焼きの定食を食べながら、俺達は先ほどの映画について語り合った。音楽と映像があれだけマッチした映画は他に知らないだとか、ジェイミー・フォックスが途中で退場したのにはいい意味で裏切られた気分だったとか、序盤のカーチェイスは『ブルース・ブラザーズ』という映画に捧げられたオマージュなのだという話だとか、あの流れでケヴィン・スペイシーが〝実はイイ人〟だったというのは少し無理があったのではとか、とにかく色々だ。
「あれっていつの映画なんだ?」
「去年の八月辺りだったかな。日本じゃあまり話題にならなかったんだよね」と池里。これに園が、「まあ、シリーズものっていうわけじゃないからしょうがないよ」と続く。
「一昨年の夏の時期はずいぶん盛り上がってたんだけど。今年は不作っていうわけじゃないけど、盛り上がりには欠けるってカンジ」
「去年は、『君の名は。』に『シンゴジラ』。想定外の話題作がたくさんあったから」
「『シンゴジラ』の方はなんとなくわかるけど、なんだよ、『君の名は。』って」
「純国産のジブリ製じゃないアニメ映画。とんでもなく盛り上がったよ、あの時は。土日祝日は映画館に入れないくらいだった。夢かと思ったくらいだ」
「ちなみに、千晃はわたしと観に行ったよ。覚えてないかもしれないけど」
池里からそういう冗談を言われてしまうとなんだか参ってしまう。力なく笑って気まずさを誤魔化した俺は、「そういえば」と話題を変えた。
「お前達ふたりってそろそろ卒業だろ。もう決まってるのか、進路とか」
「ああ。僕は小津さんについていく。あの人と一緒なら、なんでも出来そうな気がしてね」
「小津さんって『白鯨』の監督だったっけか。ってことは、俳優になるってことか」
「そうなるかな」と園は貧弱な胸を張った。俳優なんていうのはいばらの道だとは思うが、役作りのためなら歯を抜くことすらいとわないコイツならば、なんとかやっていけるだろう。
続けて俺は池里に、「お前はどうなんだ」と話を振る。
「わたしは院に進む。勉強したいことがあるんだ」
「それは初耳だね」と意外そうに園が言うのに、池里は「だって初めて言ったから」と答え、さらりと髪をかき上げた。
「熱心だな。俺なんて、もうまともにペンも握りたくないくらいなのに」
「いけないんだ。きちんと勉強しなくちゃ、ただの映画バカになっちゃうよ?」
「いいんだよ、映画バカで」
「まあ、ただのバカよりいいけどね」
その時、キンコンという気の抜けた鐘の音が食堂に響いた。それから、「江波さん、江波千晃さん。今すぐ病室へお戻りください」という館内放送が聞こえてきた。何やら俺をお呼びらしい。勝手に食堂で昼食を食べたことを咎められるのだろうか。
俺は「行ってくる」と言いながら急いで席を立った。園と池里は「行ってらっしゃい」と言って俺を見送った。
〇
病室へ戻ると、見知らぬ男が椅子に座って窓際で本を読んでいた。眼鏡を掛けた小太りの男だ。白衣を着ているところから医者ということはわかるのだが、医者らしさというものが微塵も感じられないのは、どこか間の抜けた空気を纏っているせいだろうか。
俺が「どうも」と声を掛けると、男は「ああ」と言いながら席を立った。
「どうもどうもどうも。はじめましてになるんだよね。あ、僕、ムロフジっていいます。室町幕府の室に、藤原道長の藤。で、室藤。って、この説明、あちこちから大不評。室町幕府って言ってるのに、藤原道長の名前を出すってどうなのって、そんな細かいこといちいち気にしないでもいいでしょ、なんて僕は思うんだけど、君はどう?」
なんだこの男は。
「どう?」と言われても、どう言えばいいのだろうか。困った俺が「まあいいんじゃないですか」と答えると、室藤さんは「だよねだよね」と言いながらこちらへ歩み寄り、手を差し出してきた。握手のつもりなのだろうか、と思っているうちに俺の手は既に掴まれている。その素早い動きはほとんど熟練のスリか何かである。
俺が唖然としていると、室藤さんは「あれ?」と小首を傾げた。
「君、江波くんで合ってるよね? 江波千晃くん。ほら、例の逆向性健忘と特殊前向性健忘が併発した〝トニ・エクスト症候群〟の、って、僕の馬鹿。もし本人じゃなかったらこんなこと言っちゃいけないんだ。でも、合ってるよね? ここ、江波くんの病室だし。彼以外の人が入って来るわけないし」
ナントカ症候群というのがよくわからないが、一応「そうなりますね」と答えると、室藤さんは「よかったよかった」とあかべこのように頷き始める。なんだか全体的に妙な人だ。話も冗長だし、どこか胡散臭いし、人間関係の間合いの取り方が絶望的にヘタクソである。本当に医者なのかと疑わざるを得ない。
訝しく思う俺を余所に、室藤さんはまた筋道が迷子になった話を始める。
「改めて、はじめまして、江波くん。あ、一応言っておくと、僕達は本当にはじめましてだから。君が僕を見るのは初めてだし、僕も君を見るのは初めて。〝本当のはじめまして〟って、なんだかちょっと詩的だね。まあ、なんでもいいけどはじめまして、って、何回〝はじめまして〟って言ったんだろうね、僕」
頭が痛くなってきた。映画を観ていると『饒舌な男にうんざりするシーン』というのがよくあるが、今がまさにそれだ。
「はじめまして」と頭を下げた俺は、室藤さんがまた何か要領の得ない話を始めるより先に「なにか御用でしょうか」と先手を打つ。
「ああ、そうそう。問診に来たんだよ、問診に。ジロー先生がインフルエンザと肺炎のコンボで倒れちゃってさ。僕が代打を頼まれたってわけ。あ、ジロー先生って覚えてる? わけないよね。ジロー先生。脳神経科学の斎藤次郎教授。僕の大学のセンパイ。ニックネームはモンジロー、って、どっからモンが来たかっていうと、ポケモンから。ポケモンのやりすぎで単位落としたことがあるから。それからずっとモンジロー。もう10年以上も前のことなのに、ちょっとしつこいんじゃないかなって思うけど仕方なし。そういう人種の集まりだから。で、そのモンジロー先生が君の担当医、っていうよりも、君の治療を続けてる変な人、って言った方がいいかも」
よほど「変なのはお前だ」と言ってやりたくなったのをなんとか堪えた俺は、「じゃあ問診を始めてください」とため息交じりに吐き捨てた。
「そんなに焦らなくってもいいじゃない。せっかく初めて会ったんだからさ、お互いの趣味とかさ、もっと話し合って、お互いの距離ガンガン詰めていこ?」
「嫌ですよ。俺はさっさと検査を終わらせてこんなところ出たいんです。室藤先生の診察が終われば、少しでも早く退院できるでしょ」
「いやいや、今日の診察が少しくらい早く終わったところで、君の退院が4月ってことは変わらないから。変わるわけがないから。っていうことで――」
「待ってください。4月?」
「うん。4月」
「一週間後には退院できるんじゃないんですか?」
「いやいやいやいや何をおっしゃる。ジロー先生からは4月って聞いてるよ。でも、確かにずいぶん長い検査だよね。なにを検査するのって、僕が聞いてどうすんだって話だけど、知らないんだから仕方ない。まあとりあえず、長い付き合いになるんだから、お互いをもっと知らないと。で、どう。好きな子とかいるの?」
その時、「失礼します」という声と共に見覚えのある看護師の女性が部屋に入ってきた。彼女は扉の近くに立ったまま、「室藤先生。斎藤先生からお電話です」と事務的に呼びかけた後ですぐさま去って行く。たぶん、この男とあまり話をしたくないのだろう。俺だってそうだからすぐわかる。
既に誰もいないにも関わらず、「どうもどうも」と言いながら席を立った室藤さんはひょいひょいと歩いていき、扉に手を掛けたところでこちらへ振り返った。
「じゃあ、ちょっと行ってくる。電話が終わったらまた来るよ」
もう来ないでくれと、俺は内心強く祈った。
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