リープ34 インセプション その5

〝数十度目〟の誕生日パーティーの終了後、俺はひとりで家に帰った。帰り道が同じ方向であるはずの園と一緒に帰らなかったのは、お互いに、今は話せることがないと考えたからだろう。


 下宿先のアパートに帰った俺は、灯りもつけずに靴下を脱ぎ捨てて、畳に五体を投げ出した。渋滞した頭の整理をつけるためには、こうして無益にぼうっとするのが一番いい。


 カーテンの隙間から入る街灯の光だけが、六畳半の部屋をぼんやり照らしている。やがて暗闇に目が慣れて、ウォーロックのポスターが貼ってある天井が見えてきた。続けて、映画のソフトだけを詰めた棚が、パンフレットが中に積んである布製のボックスが、映画グッズを保管してあるクリアコンテナが、映画再生専用機器と化した32インチのテレビが――この部屋の全てがじわじわと見えてくる。


 落ち着いてみれば考え方は単純だ。園の気持ちは正しい。しかし園の行動は間違っている。だから、園の行動を正しい方向へ導いてやればそれでいい。それだけでいい。


 とはいえ、話はそう単純にいかない。何せ、園は意外と頑固な男である。一度それと決めたら、細い腕の一本が折れる程度ではへこたれない。


 俺はふと身体を起こし、テレビ台の上に置いてある黒いノートのうち一冊に手を伸ばした。手のひらほどの大きさのそのノートには、今までに見た映画の半券が貼り付けてあるのと、その作品についての感想がひと言ふた言書いてある。普段は授業中の板書すらサボることのある俺だが、この習慣だけは4年ほど続いており、ノートは現在六冊目である。


 再び寝転んだ俺はノートをパラパラとめくり、映画の題名とその感想を右から左へと何気なく読み流した。映画の中に何かヒントがあればいい、なんて都合のよいことを考えたというのもあるが、本当は何も考えたくなかったのかもしれない。


 どうやら、昔のノートを掴んだらしく、少し前の映画の名前ばかりが並んでいるのが目につく。『アベンジャーズ』、『ドライブ』、『バトルシップ』、『裏切りのサーカス』に『ブライズメイズ』もこの年だったか。そういえば、この年のアカデミー賞受賞作品『アーティスト』はいかにもな作品だった――なんて考えている最中、折り目のついたページで指が止まり、ふとある映画の名前が目に付いた。


『ジャックとジル』。


 アダム・サンドラーが一人二役で主演を務めたコメディー映画だ。確かこれは高校二年生のころ、園に半ば強引に誘われて仕方なく見に行った。「映画はどうしようもなかったが、久しぶりに食べたキャラメルポップコーンが美味かった」と感想に書いてある通り、悪い方向に支離滅裂な映画で、その年のゴールデンラズベリー賞を総ナメしていたはずだ。


 今でもはっきりと覚えている。この作品を観た直後、園と喧嘩したことを。


「くだらない映画だったな」と俺が言うと、園は「くだらない映画なんて存在しないよ。ただ、自分に合わない映画があるだけさ」と偉そうに言った。俺が「くだらないものにくだらないって言って何が悪いんだ」と言い返せば、園は「作り手の思いを尊重しなくちゃ」と供給者側に沿った意見を述べる。「そうやって甘やかすからこんな映画が公開されるんだよ」と俺が言うと、園は「もう許さないぞ!」と食って掛かってきて……後はあまり覚えていない。とりあえず、一週間は互いに口を利かなかったことを覚えている。


 その時、近くに置いていたスマートフォンが震えた。ディスプレイを見ると、園からの電話だった。少し迷いながら電話を取って「おう」と言えば、やや間を置いた後、『ああ』という声が返ってきた。


『その……謝ろうと思って。さっきの僕は、少しムキになってた』


「俺もだ。……悪かった。言い方を考えればよかった」


『……昔から君はそうだよ。少しはオブラートっていうものを使えばいいのに』


「そういう性分だ」と言うと、園は『参るね』と笑った。釣られて俺も小さく笑った。


『……ねえ、江波。これから映画でも観ないかい?』


「いいぞ。池袋にでも行くか?」


『いや、いい場所を知ってるんだ』


 園は穏やかな口調で言った。


『僕達、白鯨の映画館。ミヤモトに招待するよ』





 ミヤモトというのは、専洋大学からそう離れていないところにある、既に潰れて久しい元レンタルビデオ店である。


 園曰く、そのミヤモトは園の所属する映画サークル『白鯨』が、清掃・管理を元店長から任されている店で、その代わりということで、店内の奥にあるホームシアターを好きに使っていいことになっているらしい。もう使われていない店の管理の見返りが、ホームシアターの自由使用権では体よく使われている感が否めないが、今はどうでもいいことだ。


 専洋大学で待ち合わせた俺達は、そこからミヤモトへと向かって夜の街を歩いた。やや肌寒いものの、一枚羽織れば気にならない。去年の今頃はクーラーの世話になることもあったと思えば、却って過ごしやすく感じるほどだ。


 歩くことおよそ十分。通りから外れた住宅街の中にミヤモトはぽつんと立っていた。錆びたシャッターを引き上げ、扉の鍵を開けて中へ入ると、冷えた空気が俺達を出迎えた。空っぽになった棚を見れば、塵一つないくらい綺麗である。普段からマメに清掃しているのだろう。


「こっちだよ」と俺を先導する園の背中を追い、レジカウンターを超えた先にある扉を開けると、ホームシアターセットが設置された部屋に繋がっていた。正面の壁にはスクリーンがいっぱいに広がっている。左右の棚には数多くの映画がある。映画をゆったり楽しむための、4人は楽に座れるようなソファーまである。「秘密のシアタールームだな」と俺は思わず呟いた。


 部屋の灯りをつけた園は、「さて、何を観ようか」と棚を漁り始める。俺はすかさず、「アダム・サンドラーなんてどうだ?」と提案した。


「珍しいね。アクションじゃないの?」


「まあ、たまにはいいだろ」


「そういうことなら」と言った園は、棚から数本のパッケージを手に取り、それをソファーの上に置いた。その中にはきっちり『ジャックとジル』もあって、俺は思わず苦笑した。


「勘弁してくれよ、園。また喧嘩したいのか?」


「お望みとあれば受けて立つけど?」


「よく言うよな」と答えながら、園が持ってきたパッケージをゆっくり吟味するうち、俺の目はとある一本の映画に釘付けになった。


 アダム・サンドラー主演のラブコメ映画――『50回目のファーストキス』。


 記憶喪失モノに分類される作品で、寝るとその日の記憶全てを失ってしまうヒロインと、そんなヒロインに恋した男の話だ。設定だけみれば悲しい話なのに、全体的にそこまで悲壮感が漂っていない、かといってそこまで甘ったるくもない、質の高い映画である。


 そのパッケージ掴んだ俺は、園に押し付け「これだ」と力強く宣言した。眼がぎらぎらとしていることが自分でもわかった。


「わ、わかったよ。そんな焦らなくっても映画は逃げないって」


「違う。これだよ。この映画の治療法を参考にするんだ」


 ――『50回目のファーストキス』の作中では、周囲から自分の病気について隠されていたヒロインに対し、主人公はハッキリと真実を伝えた。しかし、ただ面と向かってそれを伝えたわけではない。日々彼女の周りで起きた出来事の映像を記録・編集し、翌朝の何も覚えていない彼女にそれを見せたのである。ビデオテープが彼女の記憶代わりになったというわけだ。


 最終的にヒロインの病気は治らなかったが……しかし、主人公の頑張りによって延々と〝同じ日〟に縛られていたヒロインは、ようやく前に進むことが出来るようになった。


 俺の提案に、園が返したのは沈黙だった。目の前からは小さな息遣いだけが聞こえてくる。何か考えているのか、それとも、こんな時にも映画の話を始めた俺に言葉も出ないほど唖然としているのかは、下唇を噛んだその表情を見るだけではわからなかった。


 やがて、園がぽつぽつと語りだした。


「……江波、映画と現実は違う。あんな風に上手くいくとは思えない。それに……それに、真実を教えられた池里さんが悲しむ姿を、僕はもう見たくないよ」


「俺だって見たくない。でも、このままじゃ一番辛いのは池里だぞ。病気の自分に付き合っているせいで、お前達がいつまで経っても八日目に進めないことを知った時、一番悲しい思いをするのは池里だぞ」


 俺は「頼む」と言って頭を下げた。


「池里に真実を伝える役目は俺がやる。でも、それ以外は俺ひとりじゃ出来ない。アイツと付き合いが長いのは白鯨だ。だから手を貸してくれ」


 嬉しそうな笑い声が小さく漏れるのが聞こえた後、「僕からひとつだけ条件があるよ」と園が言うのが聞こえた。


「何でも言え」


「全部終わったら、僕のおすすめ映画を一緒に観ること」


「いくらだって見てやる」と言いながら顔を上げると、園は「契約成立だね」とキザっぽくウインクしてみせた。

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