リープ34 インセプション その3

 翌日も朝の九時前から専洋大学に集まって、白鯨の活動が始まった。


 使われていない教室、授業中の大教室、体育館、食堂、さらには教授の研究室……様々なところでこっそりと、あるいはゲリラ的に堂々と撮影を続ける裏で、静かに進行していたのが〝プロジェクト・イケサト〟である。園によって仰々しい名前が付けられているが、なんてことはない、池里に悟られないよう誕生日パーティーの準備をしようというだけの計画だ。


 プロジェクトリーダーは、ちょっと間の抜けているところがあるものの、その演技力には定評がある2年生の黒沢あきらさん。副リーダーはブロマンス映画大好きギャル、1年生の北野武緒。その下に園、俺、そしてやたら筋肉質な身体をしているブルース・リーのような髪型の1年生、檜山蘭がいる。マッチ棒のように身体が細いカメラマンの3年生、三池崇俊さん、並びに監督の小津さんは撮影に忙しいから、話は通してあるものの、「この件にはノータッチで」ということになっているらしい。


 現在時刻は午後の一時。昼休憩中に部室を抜け出した俺は、檜山、北野と共に、学内四号館にある多目的室でプロジェクト・イケサトを進めていた。檜山と北野に指示を受けながらパイプ椅子を並べ、長テーブルを設置する。カラフルな風船を必死に膨らませる。様々な映画のポスターを壁中に貼る。部屋の隅に小さな冷蔵庫を用意し、その中にケーキやら飲み物などを詰めていく。


 あの女の場合はこんなありきたりなものよりも、部屋全体をメキシコの無法地帯にあるバーのような感じにして、ドクロだとか、マシンガンだとか、ライフルだとかを壁に掛けておき、何も知らずにこの部屋にやって来たところを、「いらっしゃい」とドスの利いた声で言いながら額に拳銃突きつけるくらいが一番喜ぶとは思うが、予算その他諸々の関係でそういうわけにもいかない。


 40分ほどで準備は終わり、北野が「こんなもんスかね」と満足そうに言いながら部屋をぐるりと見回した。


「江波サンはどう思います?」


「悪くないんじゃないか。でも、欲を言えばテレビか何かを持ってきて、アイツが好きなウォーロックの映画を流してやるのもいいかもな」


「アリっスね! 〝レッド・オーシャン〟とか流したりして!」


「……あれを食事時に流したら園が大変なことになりそうだけどな」


「まあ、その時はその時ってことで」と北野はへらへら笑う。


「ランちゃんはどうスか?」


 ランちゃんなどと屈強な身体に似合わないかわいいあだ名で呼ばれた檜山は、「なんでもいいんじゃないか」とやや適当に答えた。いくら撮影を手伝って貰っているとはいえ、昨日初めて会ったような人のサプライズパーティーを行うのにあまり気合が入らなくても無理はない。


「なんでもいいって。何か意見があってもいいじゃないスか」


「意見なんて無い。というか、あるわけないだろ」


「なんスかその態度! せっかく楽しいパーティーにしようと頑張ってるのに!」


 檜山に詰め寄ろうとした北野を、俺は「まあまあ」となだめて止めた。普段なら「好きにやれ」と言ってやるところだが、ここでふたりが喧嘩して、パーティーの時に不穏な空気になるのも池里に悪いと思った。


「檜山。ここでは話せないことだけどな、黒沢さんにも色々と事情があるんだ。協力してくれないか」


「事情って……そんなのわかってますよ。きっと、江波先輩よりも」


「だったら手伝ってくれてもいいだろ」


「知ってるから気が乗らないんですよ。だって、池里先輩は――」


「ちょっとランちゃん!」


 北野が檜山の腕を咎めるようにぐいと引いた。少し不服そうに眉をひそめた檜山は、「わかったよ」と吐き捨てると、バツが悪そうに部屋を出て行った。


 その背中を見送った北野は、「すいません」と呟きながら視線を足元へと向ける。


「ランちゃん、悪い人じゃないんスよ。でも、ちょっと色々あって……」


 その小さく震える声だけで、何か大きな事情があることは理解出来た。そして、それはそう易々と話せないことなのだろうということも理解出来た。


 だから俺は「そうか」とだけ返した。詳しい事情なんて知らなくたって構わない。俺に出来るのは、池里が今日を楽しめるように手を貸すことだけだ。





 その日の撮影はまだ日も落ちていない時間に終了した。茜色に染まる空を中庭で眺めながら、機材の片づけを進めるうちに、ひとり、またひとりと部員がこっそり消えていく。もちろん帰ったわけじゃない。一足先にパーティー会場へと向かっているのである。


 最後まで中庭に残ったのは俺と池里のふたりだけだ。〝プロジェクト・イケサト〟は、俺が池里をパーティー会場までそれとなく誘導することで完了する。俺なんかよりもこの役目は、前からの友人である黒沢さんや、演技力抜群の園辺りが適任なのではと思ったが、白鯨の部員ではない人の方が自然に連れていけるだろうということで、引き受けることになった。


 音声機材が詰まったクリアコンテナを「よいしょー」と勢いつけて持ち上げた池里は、不思議そうに周囲を見た。部員がいなくなったことにようやく気付いたらしい。


「あれ、江波くん。みんなどこ行ったの?」


「わからん。気づいたらいなくなってた」


「なにそれ。ホラー映画の世界にでも迷い込んだの?」


「もしくは、バットマンにでもやられたのかもな」


 すっとぼけるようにそう言いながら池里からコンテナを受け取った俺は、「片づけてくる」と残して歩き出す。すると予想していた通り、池里が「待ってよ」と不安そうに言いながらこちらへ駆けてきた。


「なんだよ。ひとりにされるのが怖いのか?」


「そうだよ。悪い?」


「いや、別に悪くない。でも意外なもんだな。そういうの、平気そうなのに」


「こんな状況でひとりにされるのが怖くない人がいると思う?」


 池里は少し怒ったように早口で言った。こいつが意外と怖がりだというのは、黒沢さんから教えて貰った情報である。


 中庭を後にした俺達は、まずサークル室へと向かった。しかし、というか予定の通り、部屋を開けてみても誰もいない。俺の背後に隠れるように立つ池里が、「どうしたの、本当に」と怯えたように言うのが聞こえる。そろそろ頃合いだろう。


 俺は神妙な表情を浮かべて池里の方へと振り返る。


「大丈夫だ。心当たりはある」


「信じるからね」と言った池里は、俺の服の裾を掴んだ。


 俺は池里を引き連れて廊下を進む。何も知らない池里は俺の後を黙ってついてきている。いたずらを仕掛けるのなんてずいぶんと久しぶりのことだったから、上手くいくかと不安ではあったが、俺の演技力も中々侮れるものではないらしい。つい緩みそうになる顔面の筋肉をなんとか引き締め、俺はひたすら足を動かす。


 やがて俺達は〝パーティー会場〟の前に着いた。俺はコンテナで両手が塞がっているからという理由で、池里に扉を開けるように指示する。「わかった」と呟き、池里が恐る恐る部屋の扉を開けたその瞬間――破裂音があちこちから響き、色とりどりの紙テープが宙を舞った。なんてことはない。部屋の中で待ち受けていた部員が、一斉にクラッカーの紐を引いただけのことだ。


 突然のことに驚き、頭から水を掛けられた猫のように唖然としていた池里は、「なにこれ」と小さく呟く。すると部員の輪の中から黒沢さんが一歩前に出て、綺麗な包装紙で包まれた箱を池里に差し出した。


「お誕生日おめでとう、真春ちゃんっ。驚かせちゃったかな?」


 少し間を置いて「驚くに決まってるじゃん」と微笑んだ池里は、人差し指で目元を拭ってプレゼントを受け取った。園から聞いた話だと、あれの中身はウォーロック主演の映画、『クロスXレンジ』がブルーレイ化する際に100個だけ生産された、超限定品のスマホケースだという。

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