リープ34 インセプション その2

 白鯨の部員へ自己紹介をする池里を横目に、俺は園に連れられて部室の外へと出た。なにをコソコソとする必要があるのかと訊ねれば、これからするのはあの池里にだけは聞かれたくない話なのだという。


 園の背中の後ろをついて歩きながら考える。いったい、どんな内容の相談が俺を待っているのか。


 園は大変生真面目な男だが、それゆえにアホみたいなことを真顔で話すという本人に悪気の無い悪癖があるので、いささか不安が拭えない。「彼女が将来世界を滅ぼすことになるから、それを止める手助けをして欲しい」とか鼻息荒げて言い出すかもしれない、なんて妄想みたいな考えも、あながち冗談とは言い切れないところが恐ろしい。


 サークル棟を抜けて、授業用の教室が並ぶ1号館まで来たところでようやく足を止めた園は、周囲の人通りを警戒しつつ語りだした。


「江波に協力して貰いたいのは、黒沢さんが連れてきたあの池里さんのことについてなんだ」


「それは何となくわかってる。それで、どんなとんでもないことを言い出すんだ?」


「少なくとも、恋愛相談じゃないから安心して」と大真面目な顔で園は言う。柄じゃないことを頼まれる心配が消えたはいいが、「それならいったい何を言い出すんだ」という不安はいよいよ強くなってくる。


「……実は、彼女はある病を抱えていてね。黒沢さんが彼女をここへ連れて来たのは、リハビリのためみたいなものなんだ。黒沢さんの友達のことだから、是非とも力になってあげたいんだけど……でも、何度も同じ時間を繰り返して、何を試してみても上手くいかなくてね。そこで、君の力を借りようと思ったんだ」


 俺は「なんだ」と安堵の息を吐いた。あれだけ焦らされてのことだったので、もっと妙なことを頼まれるものだとばかり思っていたから、半分拍子抜けだ。


「な、なんだとは何だよ。いいかい江波。僕は大真面目に――」


「待て、園。そういう『なんだ』じゃない。つまり、そういうことならもったいぶらずに先に言えばよかっただろってことだ。俺が断ると思ったのか?」


「ご、ごめん。でも、ちょっと話しにくくって」


 表情を暗くした園はそう言ってうつむく。湿っぽくするのは本意じゃなかったため、「そんなに気にするな」と慌てて言うと、園は「ありがとう」と微笑み顔を上げた。


「でも、俺なんかが手を貸してどうにかなるのか? 言っとくけど、そういう知識は欠片も無いぞ」


「大丈夫。池里さんはああ見えて、君と同じようにクリスチャン•ウォーロックが大好きでね。話が合うんじゃないかと思ったんだ。君は、彼女と仲良くなって貰えればいい」


 クリスチャン・ウォーロックとは、つい最近亡くなった往年のアクション俳優である。ありとあらゆるB級映画に顔を出し、低いギャラで惜しげもなくキレキレの肉体とアクションを見せて多くのファンを獲得していた一方、演技力は幾つになってもちっとも上達せず、死ぬまで〝B級〟としての枠を抜け出せなかった俳優だ。しかし、その不器用な生き方がまた多くの人の心を捉えて離さない理由のひとつでもある。


 せっかく頼りにされたのに、役立たずでは申し訳ないと思ったが、ウォーロック好きな奴と仲良くなれというのならば、却って願ったり叶ったりである。俺が「任せとけ」と答えると、園は「頼もしい返事だ」と言って俺の手を取った。


「池里さんは繊細なところもある人だけど、万が一のことがあれば僕がいるから安心して。いざとなれば時間を戻すよ。君には、いつも通りの君として、彼女と接して欲しいんだ」


 どうやら、まだ〝タイムリーパー園〟の設定は崩したくないとみえる。





 その日から池里は俺と同じように、白鯨で撮影の手伝いを始めた。園から頼まれたというのもあるが、そうでなくとも互いに新参者であるということもあって、必然的に会話は多くなった。


 池里とは驚くほど話が合った。〝同士〟だから当然といえば当然なのかもしれないが、映画的趣味は似通っているし、また、今まで俺が否定的に観ていた映画も、池里の意見を聞けば「改めて観てみよう」という気分になれた。諭されるでもなく、論破されるでもなく、池里の言葉が自然と心に入ってくるのは、不思議ではあるが心地よかった。


 去年のベストが『エクスペンダブルズ3』ということで難なく決着がついたのには驚かなかったが、映画館におけるベストポジションが、アクションならば中央寄り最前列、ヒューマンドラマならば何でもいいから隣に人がいない席ということで、互いに示しを合わせたように意見がぴたりと一致したのにはさすがに笑った。


「すごいわね。わたしたちってもしかして、生き別れた兄妹とかじゃないの?」


 池里はそう言って底抜けに明るく笑った。それこそ、病気であることなんて信じられないくらいに。


 その日の夜八時過ぎ。サークル棟の屋上で夜景のカットを撮り終えて、白鯨はようやくその日の撮影を終えた。少し高い場所にいるせいか、夜風が一層涼しい。半袖でいることを後悔するくらいだ。明日もまた撮影があるから、また夜までかかることを考えれば、上着を一枚持ってきた方がいいかもしれない。

機材の後片付けをする最中、「なんだかちょっと肌寒いね」と池里が言った。


「ま、そろそろ冬も近いからしょうがないんだけどさ」


「勘弁してくれ。早すぎる」


「そう? 〝もう幾つ寝ると〟って感じだと思うけど」


 池里がくだらない冗談を大真面目な顔で言ったその時、白鯨の監督、小津さんが小走りでこちらへ駆け寄りながら「やあ」と声を掛けてきた。


 180cmに迫る長身に、腰の辺りまで伸びた長い髪、尻ポケットにねじ込んだマルボロの紙ケースが特徴的な彼女は、部外の生徒からは〝怪物〟、あるいは〝吸血鬼〟と噂されている。もっとも、恐れられているのは部内の人間からも同じであるらしいが。しかし、恐れられているだけあってというべきか、監督としての腕はバツグンであり、アマチュア向けの映画賞を各種総なめしているらしい。


「今日は助かった。ふたりが手伝ってくれたおかげで撮影もスムーズに進んだよ」


「いえ、そんなたいしたことはしてません」と俺は答える。意識していないのに背筋を正してしまうのは、きっと監督の空気がそうさせているのだろう。


「そう謙遜することもない。どうだ、ふたりとも。このまま白鯨に入部するつもりはないか? 君達のような人材が我が白鯨には必要なんだ」


 軽く笑って「いやいや」と流そうとしたが、小津さんは「本気だぞ」と人差し指でこちらの胸を小突いてくる。あわや入部させられるというところで、3年生のカメラマン、三池さんが「おぅい」と小津さんを呼んだことで事なきを得た。


「間一髪だったね」と言った池里は安堵の息を吐く。


「でも、こうなると明日もマズイかも。明日も撮影、あるもんね」


「大丈夫だろ。きっと明日には忘れてる」


「そんな簡単に忘れてくれるならいいけどねぇ」と池里は言って、呆れたように息を吐いた。


 機材を粗方片づけ終わったところで、その日は解散となった。黒沢さんと共に帰る池里を大学前で見送り、俺と園は並んで帰路に就いた。


「どうだった、彼女は」と園は言う。考えるまでもなく、彼女とは池里のことである。


「〝清楚系美少女〟なんて言うからどんなのが来るのかと思ってたけど、明るくて話しやすい奴だな。聞いちゃ悪いけど、本当に病気なのか?」


「まあ、人にはパッと見ただけじゃわからないこともあるってことだよ」


 どこか遠くを眺めながらそう言った園はふと手を叩き、「それはさておき」と話題の舵を切る。


「頼みたいことがまだあってね」


「この際だ。なんでも言えよ」


「ありがとう。実は、明日は池里さんの誕生日なんだ。そこで、サプライズパーティーなんかを企画しててね。彼女を驚かせるのに協力してくれるかな?」


「いいぞ。やってやる」


「そう言ってくれると思ってたよ、君なら」

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