リープ34 インセプション その1

「僕がタイムリープ出来るって言ったら、どうする?」なんてとんでもないことを、専洋大学に通う友人、園敦から言われたのはつい昨日のことである。



 こいつは学内にある『白鯨』という映画サークルで役者をやっている男で、その演技力はアマチュア界隈においては「知らないヤツはモグリ」と評されるほど飛びぬけているらしい。その評判の支えとなるのが、病的なまでの役作りだ。


 風俗狂いのバカ学生をやるとなれば、足しげく池袋へ通った。医大志望の浪人生をやるとなれば、ただでさえ軟弱な体をさらにやせ細ったものに作り替えた。余命いくばくもない病人を演じる際、俺が力づくで止めなければ自分の歯を抜いていたことだってある。


 だから今回もそういった類の悲しい病だろうと思っていたら、どうやら違うらしいので驚いた。

もちろん俺だって園の話を信じるわけじゃない。いくら俺の朝食を言い当てたところで、いくらこれから起きる騒動を残さず言い当てたところで、いくら俺が次に言おうとしたことを先回りして言い当てたところで、〝時をかける大学生〟の存在を信じられるわけがない。


「でも、際限なく時間を戻せるわけじゃなくってね。一週間っていう短い期間だけなんだ。短くても長くてもダメ。一度使えばインターバルが一週間必要。それに、時間を巻き戻したところで僕の過ごした過去がそのまま繰り返されるわけじゃない。タイムリーパーである僕の行動が歪みを作って、確定していたはずの過去に僅かな変化が起きるんだ。映画のバタフライ・エフェクトと同じさ」


 そんな〝ルール〟を言われたところで、当然信じられるわけがない。


 しかし、ひとつだけ信じられることがある。園の本気度である。こいつはここまで手の込んだ悪戯をするような男ではないから、つまりタイムリーパーを名乗るのには何かしら理由があるということだろう。その理由というのは、今もなお不明だ。


 もちろん昨日、俺は園へタイムリーパーを自称するわけを何度も問いただした。しかし園は俺の質問をことごとくかわし続け、ただ「君に協力して欲しいことがあるんだ」の一点張りで押し通した。


 園の考えていることはサッパリわからないが、ここまで本気で頼むのだから、大きな理由があるのには間違いない。俺は園の頼みを二つ返事で引き受けた。


 それで、いま俺がどうしているかといえば、来る文化祭に向けて準備を進める白鯨の臨時スタッフとして映画撮影を手伝っている最中である。撮影機材を運んだり、台詞の無い通行人の役をやったり、弁当の買い出しを手伝ったりと、色々やることは多い。


 なんでも白鯨は万年、少数精鋭という名の人手不足で、撮影をするとなるとこうして部員の友人を徴集しているらしい。しかし、園としてはサークルの雑用を俺に押し付けたかったわけではないらしい。本当の理由は未だ知らされていない。


 その日の午後二時を過ぎたころ。俺は園を含めた白鯨の部員達と共に、サークル棟3階の端にある白鯨の部室で少し遅めの昼食を取っていた。俺を含めて部室には六人しかいないというのに、十二畳はありそうなこの空間がやけに狭く感じるのは、左右の壁を覆うように置かれた棚のせいである。


 天井まで届くその棚には映画のパッケージがずらりと並んでいる。そのラインナップは砂糖菓子の砲丸の如くゲロ甘のラブストーリーから、人が食われたり人が改造されたりするグロテスク&ナンセンスものまで多様だ。


 よくここまで集めたものだと感心していると、隣に座る園は「すごいでしょ」と溶き卵を牛丼にかけつつ自慢げに言う。


「我がサークルながら、最高のラインナップだよ。観たいものがあるなら貸してもいいよ。ただし、この撮影期間が終わった後でのことだけど」


「そっちも気になるけど、例の件も気になる。そろそろ話してくれてもいいんじゃないか」


「あと少しだけ待ってよ。もうすぐわかるからさ」


「その答え、もう20回目だぞ」


「それは申し訳ないと思ってるよ。でも、本当にもうすぐ来るんだって」


「いったい何が来るんだよ」


 その時、「お待たせしましたっ」という元気の良い声と共に部室の扉が開き、見たことの無い女子生徒がふたり現れた。片やボブカットの黒髪と、頭のてっぺんについた寝ぐせが気になる小柄な生徒。片や腰まで届く長い黒髪を綺麗にくしで梳いた生徒。印象で言えば子犬と猫。安っぽく言えばカワイイ系と美人系、といったところだろうか。


「お待ちかねのヒロイン役の登場だ」、「オセーぞ黒沢」、「こっちにどうぞふたりとも」などの声が部員から上がる。ボブカットの生徒は恐縮したように「どうもどうも」とペコペコ頭を下げ、恥ずかしそうにはにかんだ。どうやら、あの黒沢とかいう方はここの部員らしい。もう片方の生徒は物珍しそうに部室を見回しているところから、きっと俺のような助っ人要因なのだろうと推測できる。


 園はそっと俺の耳に顔を寄せ、「あの子だよ、あの子」とささやいた。


「あの子を待ってたんだ」


「どっちだよ」


「あの見るからに〝清楚系美少女〟って感じの方」


 突然聞かされたおかしな言葉に「なんだよそれは」と声に出して呆れつつ、「あっちか」と言って俺がこっそりボブカットの生徒を指せば、園はすかさず「違うあっち」と逆の方を指す。どっちだって構うもんか。そもそも、いくら美人だろうがいくら可愛かろうが、大学生を〝少女〟というのは無理がある。


 しかし園は「わからない君がまぬけだ」とでも言いたげな表情で俺を見る。


「黒沢さんは美少女っていうよりも、いかにも小柄なアイドルって感じじゃないか。なんでわからないかな」


「わかるかよ、そんな微妙な違い」と小声で文句を垂れながらも、俺は「それで」と続けた。


「清楚系美少女はさておき、俺に何を協力しろってんだ?」


「それが、なかなか複雑な事情があって――」


 その時、誰かが俺達の前に立った。顔を上げれば、部室にやって来た長い黒髪の生徒がいたずらっぽい笑みを浮かべて俺達を見ている。


「ふたりとも。男同士でコソコソとなんの内緒話?」


「い、いやぁ。大したことじゃないよ」とはぐらかした園はあからさまに視線を逸らす。得意の演技力はどこへいった。こういう時に活かさないでどこで活かすんだ。


「あらそう。女の子には聞かれたくないことなんだ」


 そう言って少し唇を尖らせた〝清楚系美少女〟は、「まあいいや」などとあっけらかんとした口調で言いながら、俺達に握手を求めて手を伸ばした。


「はじめまして。わたし、池里真春です。真の春と書いて真春。よろしくね、ふたりとも」

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