リープ47 時をかける少女 その5

 ベンチに座って十分ほど待っていると、やがて向こうから池里がこちらへ手を振りながら歩いてくるのが見えた。薄い水色の浴衣に赤い鼻緒の下駄。なるほど、あれを貸しているのなら、貸衣装屋の和装も納得だ。


 俺の前まで来た池里は、「どうかな」と言ってくるりとその場で回る。「悪くないな」と感想を述べると、池里は「素直じゃないね」と言って笑った。


 時刻はもう四時を回ったところ。閉園まで残り一時間もないのに、園からの連絡は未だにない。池里に聞いたが北野からの連絡もまだだという。いったいどこをほっつき歩いているのだろうか。

調べたところ園内に休憩所があったから、そこでふたりを待つかと提案したが、池里は「そんなこと言わずに少し歩きましょうよ」と言った。この暑いのに加えて、慣れない恰好をしているというのに歩き回りたがるなんて、無駄に元気な奴だ。


「大人しく待ってろよ。そのうち戻って来るんだから」


「せっかくこんな素敵な恰好してるのに座ってるだけなんてもったいないじゃない。幾ら払ってこれを借りたと思ってるの?」


 そう言われては返す言葉もない。渋々ながらも「なら行くか」と言うと、笑みを浮かべた池里は俺の手首を掴んで引いた。突然のことに少しだけ胸が高鳴ると同時に園の顔が頭をちらついて、罪悪感に襲われる。反射的に「止めろ」という言葉が口をついて出たが、池里はそんなこともお構いなしになお引っ張った。


「いいじゃない。減るものじゃないでしょ?」


「羞恥心はないのか、お前には」


「あるって言ったばっかり。そんなことまで忘れちゃったの?」


 池里という女が我が強い性格であることは、出会ってから一週間足らずで既に学習済みだったから、これ以上言っても無駄だと思って止めにした。「勝手にしろ」と呟いた俺は、池里に手を引かれるまま園内を歩いた。


 石で出来た短い橋を渡り、木陰が覆う道を行く。日の当たるところに比べればかなり涼しく、歩いていても汗ばまなくていいので楽だ。ふと視線を遠くへ向ければ、木々の向こう側には真新しいビルの外壁が見える。蝉の声聞こえる田舎的風景の中から近代的な建造物を見ると、どこか不思議な感じがして、時間の狭間に迷い込んだ気分になる。


 六義園の外縁を沿うようにしてしばらく歩いた俺達は、やがて園内を見渡すことの出来る藤代峠という場所までやって来た。池里はそこの頂上まで伸びる階段をゆっくりと昇りながら、「ねえ」と俺に声を掛けた。


「江波くんってさ、この人生で一目惚れってしたことある?」


「そんな恥ずかしい経験は無い……と言いたいとこだけど、実はしょっちゅうある」


「本当に? 信じられない」


「本当だ。というか、男なんてのはだいたいそんなもんだ。例えば一日街を歩けば、三回は一目惚れする。さっきすれ違ったあの子がかわいい、電車の隣に座ったあの子がかわいい。そんな具合にな」


「でも、それって惚れてるわけじゃなくって、〝かわいい〟って思ってるだけの話でしょ?」


「俺に言わせりゃどっちも同じだ。でも、どうせ何時間かすればそんなこと忘れるから、惚れたなんて言葉を使わないだけの話だ」


「ヘンなの」と笑った池里はさらに続ける。


「じゃあさ、例えばその子のことを忘れられなかったらどうなるの? いつも決まった時間にすれ違うとか、必ず隣に座ってくるとか。そうすれば忘れられないでしょ?」


「さあな。まあ、もしそんなことがあったら、本気で惚れる奴は多いと思うぞ」


「それって、江波くんも?」


「わからん。そんなこと経験したことがないからな」


「へえ。今は違うんだ」


 時間が止まったような感覚を覚えた。涼しい風が俺達の間を緩やかに通り抜ける。開けた景色を見て、いつの間にか峠の頂上まで着いていたことに気づいた。嫌な予感を覚えた俺は、とっさに池里の手を振りほどき、腕を背中に回した。


 池里は俺に背を向けて、頂上からの景色を眺めている。


「ねえ、江波くん。わたし、かわいくない?」


「……なんでそんなこと答えなくちゃいけないんだ」


「だってわたし、江波くんのことが好きなんだよ」


「冗談言うな」と俺が言うと、池里はこちらを振り向いた。眉間にしわを寄せるその険しい表情は、怒っているようにも悲しんでいるようにも見えた。


「女の子がこんなことをこんな真面目な顔して言うのが、冗談だと思う?」


「どうなんだろうな。とにかく、そろそろ園達が戻って来るだろうから――」

 

「誤魔化さないでよ。園くんは関係ない。わたしは、江波くんの言葉を聞きたいの。江波くんがわたしをどう思ってるのか、今聞きたいの」



 俺が池里をどう思ってるのか。そんなの、ただの友人に決まっている。


 でも、意識したことが一度も無かったといえば嘘になる。池里の笑顔が、池里の話し方が、池里の振る舞いが、一挙手一投足が、魅力的に映ったことは一度や二度じゃない。


 俺は嘘が嫌いだ。……でも、大切な友人を裏切るのはもっと嫌いだ。



「……お前は映画の趣味が合う。性格も悪くない。さっぱりした物言いは聞いてて気持ちがいい。……でも、それだけだ。たぶん、お前が言ってくれた〝好き〟と、俺がお前に対して思ってる〝好き〟は種類が違う」


「……そっか」


 そう呟いた池里は、俺に背を向けるともう一度「そっか」と呟いた。思わず、耳をふさぎたくなった。


「この衣装、返してくるね」


 俺が「ああ」と返すより前に、池里は早足で階段を駆け下りていった。あっという間に離れていった背中は、木々に隠れて見えなくなった。


 ポケットの中でスマートフォンが震えたので見てみれば、園からメッセージが入っている。なんでも、乗りこんだ電車がトラブルで動かず、今の今まで車内にカンヅメ状態だったらしい。


 俺は無心で指を動かして文字を打った。



『池里が落ち込んでる。お前が力になってやれ。上手くいけば、八日目がお前を待ってるぞ』



 最低限のことだけ書いて、メッセージを送信した俺はスマートフォンをポケットにねじ込んだ。



 耳をすませば、蝉の声に混じって気の早い祭囃子がどこからか聞こえてきた。

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