リープ47 時をかける少女 その3

 その日、飲み会が終わったのは十一時を回った頃だった。池里達とはその場で別れ、俺と園は共に帰路に就いた。呑んだせいというのもあって身体が熱い。涼しいはずの夜風がやけに生暖かく感じる。


 帰路を行く園は赤い顔をやけに険しくしている。その上、何も喋ろうとしない。昨日までの園だったら、池里がいかにかわいい存在であるかをうんざりするほど俺に聞かせていたというのに、よほど飲みすぎたのだろうか。


 互いに無言でしばらく歩き、やがて俺の住むアパートの付近まで来た辺りで、園は思い出したように足を止めて静かに語りだした。


「……江波。どうやら彼女は、僕のことを好きじゃないらしい」


「それがマトモな人間関係ってもんだろ。初めから好きだ嫌いだがあると思うか?」


「違うんだ。そうじゃなくて」と園はやたらとまごついている。「じゃあどういうことだよ」と詰め寄ると、思い切ったように園は言った。


「……彼女は、池里さんは、君のことが好きなんじゃないかって」


 何を言い出すのかと思ったら、なんてくだらないこと言いやがる。もし俺が池里だとしたら、友人ならともかく、男として付き合う相手に俺なんかを選ばない。選ぶはずがない。


 俺は「そんなわけあるかよ」と園の不安を一蹴したが、園は「わかるんだよ」となおも食い下がった。


「僕は彼女を〝何週間〟も見てきた。でも、彼女が君に向けるような眼を見たことは一度だってない。池里さんは君が好きだ。絶対に」


「そうやって的外れなことばっかり言ってるからダメなんだよ、お前は」


「いや、間違いない。これはもう、確信といっていい」


「だとしてもだ、俺はお前を応援するって決めてるんだ。俺からあいつにどうこうするつもりはない」


 言葉で答える代わりに、園は真剣な顔をして俺を見る。きゅっと締められた唇からは、悲しい覚悟が感じられた。事実がどうあれ、園が見ているのは俺と池里が甘い言葉を囁き合う光景だ。いくら説得したところで無駄だろう。


 やがて園は前を向いて歩き出しながら、「お願いがあるんだ」と呟いた。俺はその後をゆっくり追いながら、「なんでも言えよ」と答える。


「ありがとう。それなら――池里さんと、デートして欲しいんだ」


「バカ言うな」と言いかけたその時、脳裏に浮かんだのが北野から聞いた言葉だった。



 ――園はただ池里に幸せになって欲しいだけ。傍に立つ人は誰だって構わない。



 俺はその言葉の真偽を確かめるため、「なんでそんなこと頼むんだよ」と訊ねる。


「池里さんは君が好きだ。九割九分九厘ね。でも、万が一、僕の勘違いってこともあるかもしれない。僕は諦めの悪い男だから、その〝一〟の可能性をまだ信じてる。だから、君に池里さんとデートして貰って、彼女が本気かどうか確かめたい。それで、もし彼女が本気で君に惚れていると確信したら、僕は大人しく身を引きたいんだ」


「池里の幸せのためか」


「その通り。彼女の幸せが、僕にとっての一番なんだ」


「……お前の話はわかった。でも、もしも池里が本気じゃないなら、今度はお前が本気になる番だ」


「わかってるさ。その時がきたら僕だってしっかりやる」


 園は力強くそう宣言した。





 俺から言わせれば、恋愛なんてもののほとんどは、ただ何かに騙されているだけの状態だ。


 見た目に騙され、思わぬ一面に騙され、笑顔に騙され、勢いに騙され、そしてその場の流れに騙される。


『タイタニック』を思い出せ。アレは、若さのせいで諸々に騙された奴らの映画だ。例えば、ジャックとローズが街中でただすれ違うだけで恋に落ちたとは思えない。


 しかし、だからって俺は恋愛全てを否定するわけじゃない。とことん騙されたとしても、当の本人が幸せならば外野がとやかく言う必要は無いし、数は少ないだろうが、本物の〝運命〟だってあるはずだ。


 あの時、あの場所で出会ったジャックとローズのように。そして、池里のことを一心に思うあの園のように。


 そういうわけで、その日の朝は珍しく『タイタニック』を鑑賞していた。ロマンス映画を観るのもたまにはいいと思ったからというのもあるが、あの巨大な船が海に沈んでいく大迫力のシーンを楽しみたかったという側面が強い。


 さて、いよいよタイタニック号が氷山にぶつかるというタイミングになってチャイムが鳴った。玄関扉を開けると、そこにいたのは園である。弱々しく眉尻を下げながらも、しかし無暗に力のこもった表情をする園は、むっつりした顔のまま何も言わずに玄関で靴を脱ぎ、律義なことにそれを綺麗に揃え、何も言わずに居間まで上がり、座布団に正座で座りタイタニックの鑑賞を始めた。何かがあったことは聞かないでもわかった。


「どうしたんだよ、園」


「例のお願いの件だよ。君の代わりに池里さんをデートに誘ってきた」


「気が早いな。もっと後の日のことかと思ってた」


「そんなわけないだろう。僕達には七日間のタイムリミットがあるんだよ」


「そういえば、〝タイムリーパー〟だったな」


 園の隣に腰を下ろした俺はテレビ画面をじっと見つめる。


「……それで池里さんだけど、行ってくれるって。明日の昼過ぎ、六義園っていう大きな庭園だ。彼女には、白鯨のロケハンを手伝って貰うっていうことで話を通してある。カモフラージュのために北野も呼んだから、〝デート〟ってことはまずバレないと思う。君の隣で、彼女の気持ちを見極めさせてもらうよ」


「わかったよ。でも言っとくけど、思い込みは捨てろよ。何も考えずに池里を見ろ」


「君こそ、何も考えずに彼女を見るといいよ。わかるはずだよ、きっと」


 やがて、園が真っ直ぐ俺へ視線を向け、ぽつりと呟いた。



「……江波。君を信じてるよ」



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