リープ47 時をかける少女 その1
「僕がタイムリープ出来るって言ったら、どうする?」
専洋大学に通う学友、園敦が悩ましげにそう呟いて大げさに息を吐いたのは、今からおよそ三十分前、喫茶店『しまうま』にて起きた出来事である。最近やけに暑いせいで頭がおかしくなったのかと心配して色々質問したが、とりあえず頭は無事らしいので安心した。
しかし、園の〝タイムリーパー〟としての役作りはたいしたものであると評価せざるを得ない。俺の朝食を言い当てる、これから起きる騒動を言い当てるなんていうのはいくらでも小細工が出来るからともかくとして、俺が次に言おうとしたことを先回りして言うなんて芸当までやってのけた時は、さすがに唸った。中学生の時ならば、きっと信じていたことだろう。
「でも、何も際限なく時間を戻せるわけじゃない。一週間っていう短い期間だけ。短くても長くてもダメ。一度使えばインターバルが一週間必要。それに、時間を巻き戻したところで僕の過ごした過去がそのまま繰り返されるわけじゃない。タイムリーパーである僕の行動が歪みを作って、確定していたはずの過去に僅かな変化が起きるんだ。映画のバタフライ・エフェクトと同じさ」
園は自分の持つ能力の〝ルール〟をもっともらしく説明した。
それで、どうして園がそんな〝大変な秘密〟を俺に打ち明けたのかといえば、それは恋の成就のため俺に協力して欲しいからだという。わざわざこんな大掛かりな嘘を吐くのにどんな目的があるのかと思えば、よもやここまでくだらないことだとは。なんとも情けない話だが、ここまで本気で頼まれて手を貸さなければ薄情者だ。
「まあ、俺でよければいくらだって手を貸してやる」と言った俺は、とんでもない嘘を吐かれたことへのささやかな仕返しとして、園を少しからかうことにした。
「でも、まずは自分の力だけでやってみたらどうだ。時間を巻き戻せるんだろ? それなら、いくらだってやりようがあるんじゃないか」
すると園は「もちろん何回も試したさ」とうんざりしたようにぼやいた。俺から意地悪な質問が来るのも想定内だったらしい。
「でも駄目だった。出会いから一週間で彼女と恋仲になるためには、より大きな〝歪み〟を作らなくちゃいけないらしい。それで、その大きな歪みを作るためには僕以外の誰かの……つまり君の協力が必要ってわけ」
「なるほど。さっぱりわからん」
「だろうね。僕がこれを説明するたびに、君は同じようなことを言ってた」
そう言って園はヘラヘラと笑う。なんとなく腹が立ってデコピンをくれてやろうとしたら、園は先駆けて手のひらで額を護る。仕方がないのでみぞおちの辺りを軽く叩くと、園は「ぐぅ」と苦しそうに唸ってテーブルに額をついた。
「驚いた。それは初めてのパターンだった」
「そりゃ残念だったな。それで、お前はどんな相手に惚れたんだ」
園は「待ってました」とばかりに顔を上げ、アヤシゲな薄ら笑いを口元にを浮かべて語りだす。
「彼女の名前は池里真春。僕達と同じ大学に通う2年生。長い黒髪がよく似合う、一見したところ〝清楚系美少女〟だけど、どっこい血沸き肉躍るアクション映画が好きなんだ。そのギャップが堪らなくキュートでね」
園の話はまだまだ続きそうだったが、付き合ってもいない相手のノロケ話を聞くのも薄気味悪いので、「なるほど」と言って遮った。
それからほどなくして『しまうま』を出た俺達は、園の提案で『ミヤモト』という元レンタルビデオ店に向かうことになった。曰く、そのミヤモトとやらは園の所属する映画サークル『白鯨』が、清掃・管理を元店長から任されている店で、その代わりということで、店内にあるホームシアターを好きに使っていいことになっているらしい。もう使われていない店の管理の見返りが、ホームシアターの自由使用権では体よく使われている感が否めないが、園達が好きでやっていることだ。口は出さないでもいいだろう。
外を少し歩くだけで全身から汗が噴き出るほど日差しが強い。最近は五月の頭でも30度を超える日は珍しくないから、今の時期に暑いことは不思議ではないが、ここまでくると異常だ。園から聞いたところによると、気の早い夏の高気圧が一時的に全国に張り出していて、これから一週間近くはこのような天気が続くらしい。
俺は額から落ちる汗を手の甲で拭いながら、園に訊ねた。
「それで、なんで俺達はミヤモトとやらまで行かなくちゃいけないんだ」
「店に池里さんが来る予定でね」
「なんだ。約束でもしてるのか」
「そんなわけないじゃないか。今の彼女にとって僕はまだ初対面だよ。ただ、一週間を何度も繰り返したおかげで、彼女がそこに来るということを知ってるだけ」
俺の協力を取り付けた今もなお、園は自分がタイムリーパーであるという主張を曲げようとしない。ここまで設定を貫こうとする根性に呆れを通り越して感心してしまった俺は、「いい加減にしろ」という言葉を呑み込んでさらに続けた。
「でも、バタフライ・エフェクトと同じなんだろ? 池里がそこに来ない可能性だってあるんじゃないのか」
「それが来るんだよ。面白いことに、必ず」
「必ずは無いってさっき聞いたばっかりだぞ。出来の悪いB級映画でも、こんなすぐに設定が破綻することはない」
「まあまあ。そう言わずに。だから面白いんじゃないか、人生っていうのは」
ミヤモトは専洋大学から歩いて十分ほどの、通りから外れた住宅街の中にある。錆びたシャッターを引き上げ、扉の鍵を開けて中へ入ると、熱っぽい空気が俺達を出迎えた。かつてビデオが並んでいただろう空っぽの棚には、薄く埃が積もっている。
「そのうち掃除しなくっちゃ」なんて言いながら進む園に先導されるまま薄暗い店内を進み、レジカウンターの向こうにある扉を開ければ、ホームシアターセットが設置された部屋に繋がっていた。壁の一面に広がっている、軽く100インチは超えそうなスクリーンは、何も映っていないのに見ているだけで迫力がある。
「さあ、とりあえず映画を観ようか」と園は言って、映画ソフトが並べられた部屋の棚を漁る。園が選んできた一本は、俺が一番好きな俳優である、故・クリスチャン・ウォーロック主演の『レッド・オーシャン』という作品だった。
豪華客船を襲う海賊共と、たまたま船に乗り合わせた元特殊部隊員の主人公、さらには巨大人食いサメが三つ巴の争いを繰り広げる内容の映画で、この〝男の子の好きなもの全部乗せ感〟が大変胃もたれして堪らない一本である。
しかし、なんとも園らしくない映画を選んだものだ。というのも、園は幸せそうな見た目の通り、爆発ドカドカ薬きょうバラバラ血しぶきバシャバシャのアクション映画なんかよりも、観た人が幸せ指数を引き上げ、ホッコリ笑顔になるようなヒューマンコメディー映画を好む男だからだ。
スピーカーの設置を手伝いながら「こんなの選ぶとは珍しいな」と俺が言うと、園は「実は、池里さんはクリスチャン・ウォーロックが大好きでね」と答えた。
「本当かよ。俺が言うのもなんだけど、とんだ趣味だな」
「まあ、そこは否定しないよ」と言って園は笑う。
「でも、そこが素敵なんだ。君はそう思わない?」
「まあ、思わないこともないかもな」
それから各種セッティングを終えた俺達は、横長のソファーに並んで座り『レッド・オーシャン』の鑑賞を始めた。園は血しぶきが飛ぶたびに、あるいはサメが誰かを食いちぎるたびに、あるいは主人公が海賊共の首を掻っ切るたびに、顔を歪めて視線を背ける。それでも視聴を止めないのは、池里と話を合わせたいがためなのだろう。涙ぐましい努力だ。報われるかはわからないが。
物語が中盤までいったところで犠牲者は三十八人にも及び、園はとうとう「小休止を挟もうよ」と白旗を上げた。
「情けない奴だな。この程度、海賊の親玉が巨大サメに四肢を順番に食いちぎられるクライマックスのシーンに比べればまだまだ序の口だぞ」
「勘弁してよ。聞いただけでもう吐きそう」
「そもそも、初心者がこんな映画に手を出すのが間違いだったんだ。『プロジェクト・ブレイド』辺りにしておけばまだマシだったのに」
「だったら先にそう言ってくれればよかったじゃないか! 意地悪なんだから!」
「それだけ元気がありゃ大丈夫だ。ほら、続き再生するぞ」
「待って。待ってよ。本当に駄目なんだ」
そう言って園はわざとらしくぐったりとソファーに寝込み、天井を仰いで目をつぶった。
「江波、水を買ってきてくれないかな。少し気分を変えたいんだ」
「いいぞ。ついでにポップコーンとコーラでも買ってくる」
「固形物は勘弁してよ。絶対に吐いちゃうから」
「俺が食いたいんだよ」と言いつつソファーから立ち上がり、部屋の出口へと向かえば、俺が扉を開ける前に向こうから勝手に開いた。現れたのは、金色に染めた髪を頭の後ろで軽く束ねる、露出度の高い服を着た女である。
開口一番「誰スか、アンタ」と言った女は、戸惑いに加えてやや敵意の込められた視線で俺を見る。初対面の相手と会話しているにも関わらず言葉遣いが悪い。これが池里真春とやらなのか。これでは、園の言っていたような〝清楚系美少女〟だとは到底思えないが。
俺は「お前こそ誰だ」とぶっきらぼうに対応した。
「アタシはここの管理を任されてるんス。見たとこアンタ、『白鯨』の人じゃないみたいスけど――」
「いいんだ、北野。その人は僕の友達だから」
園がソファーから身体を起こさないまま俺達に手を振った。すると北野と呼ばれた女は「なんだ」と息を吐き、一転して笑顔になる。
「すいません、勘違いしちゃいました。アタシ、北野武緒っていいます。白鯨の部員で、園サンの後輩っス。お初お目にかかります」
オセロの駒をひっくり返したような切り替えの早さに面食らいつつ、俺は「江波千晃だ」と自己紹介した。すると北野は、「ああ、あの!」と嬉しそうな声を上げる。
「話はよく聞いてるっスよ。園サン、江波サンのこと大好きっスからね」
「そりゃ初耳だな。本人からは大好きなんて言われたことがないのに」
「当たり前っスよ。アポロがロッキーに面と向かって好きだなんて言うと思うんスか?」
そう言って北野は口角を大きく上げて「ぐへへ」と笑う。一見マトモそうに見えるが、白鯨に入部するだけあって妙な奴だと思っているところに、園から「北野はブロマンス映画が大好きでね」と説明があった。つまり、俺と園で色々と妄想しているのだろう。厄介かつ物好きな奴だ。
その時、扉を挟んだミヤモトの店内の方から、「武緒ちゃーん」と北野を呼ぶ女の声がした。
「秘密のシアタールームで、貸し切り映画を観れるんじゃなかったの?」
「ああ、すいません、先客がいました。でも、悪い人たちじゃないスよ。アタシのサークルのセンパイとその友達ですし」
「悪い人じゃなくっても、わたし、大学の知り合いとは会いたくないんだけど?」
「大丈夫っスよ。白鯨のメンバーと友達になるような人なんて、よっぽど友達が少ないに決まってまスから。真春サンの知り合いってことは無いと思いまスよ」
「聞こえてるぞ」と俺が言うと、北野はわざとらしく「てへ」と舌を出した。
それからやや間があった後、ひとりの女が怪訝そうな顔をしながら〝秘密のシアタールーム〟に入ってきた。女は俺を見て、それからソファーに寝転がる園の方を見た後にホッと息を吐くと、安堵の笑みを浮かべつつ「本当に知り合いじゃないみたいね」と胸を撫で下ろした。
「はじめまして、池里真春です。真の春と書いて真春。よろしくね、ふたりとも」
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