リープ3 バタフライ・エフェクト その6
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を『1』『2』『3』と立て続けに見る、およそ六時間に及ぶ耐久上映会は、夜の六時を過ぎたころようやく幕を閉じた。片づけを終えて外に出れば既に空は暗い。通りを走る車のフロントライトが眩しい。ポップコーン程度しか食べていないものだから、腹が減って仕方がない。
涼しげな風が髪をかき上げるのも気にせず、池里は両腕を天に伸ばして大きく欠伸をした。街灯に白い歯がきらりと光る。せめて口くらい押さえたらどうだ。その姿を見るに、やはり〝清楚系美少女〟なんて言葉は似合わないと評さざるを得ない。
池里の下宿先であるアパートは、俺達の帰る方向とは反対に進んだ先にあるから、必然的にここで別れることになる。「じゃあまたね」なんてヘラヘラ笑いながら池里に手を振る園へ、俺は「食事にでも誘えよ」とこっそり耳打ちしたが、園は「いまは時期が悪い」なんて臆病風をびゅんびゅんに吹かせてこれを断った。
「それなら、いつだったら時期がいいんだ?」
「今日じゃない日だ。たとえば明日とか」
この台詞は高校生の頃にも聞いた覚えがある。
さて、池里をその場で見送った後、俺と園は共に帰路についた。道中、園が「いやあ今日も池里さんは素敵だったね」なんて軟弱なことを言いやがるものだから、俺はつい「バカか」と呟いた。
「バカとは何さ。ちょっと酷いんじゃない」
「バカにバカって言って何が悪いんだ。俺は恋愛経験のない男だけど、これだけは言えるぞ。俺がお前みたいに恵まれた立場なら、もっと積極的に動いてる」
「どうだか。案外、君も奥手なタイプかもよ?」
「なんのために俺がアクション映画を観てきたと思ってるんだ? 俺だったら、とんでもなく濃厚なキスから場面暗転の即ベッドインだ」
「ジェイソン・ステイサムにでもなるつもり?」
「なれるなら大歓迎だ」と言ったところで、話の筋がずれていることに気づいた俺は、「とにかく」と言って無理やり軌道修正する。
「一週間しかないんだろ。今日が終われば残りは四日だ。大丈夫なんだろうな?」
「安心してよ。策はある」
さて、園がそう言ってから二日経った。俺達は相変わらず朝から晩まで映画を観る日々を続けており、そして園と池里の間にはなんの進展もない。それどころか、園がまともに池里と目を合わせて会話しているところすらあまり見たことがない。
その日も結局、ミヤモトで夜まで映画を観た後、その場で別れて至って健全な友人関係を継続するに終わった。帰りの道中、俺は「そろそろ食事にでも誘え」と、一昨日と同じことを言ったが、返ってきた答えはやはり「今は都合が悪い」であった。まったくとんだ腑抜けである。
さすがに痺れを切らした俺は、園に「いい加減にしろよ」と詰め寄った。
「今日が終わって明日が六日目。もう一週間近く経つってのに、お前は何も出来てない。一週間のうちにケリをつけるんじゃないのかよ、タイムリーパー」
「わ、わかってるよ。でも、彼女についての情報は着々と集まってるし――」
「情報がなんだ。そんなのいくら集めたところで、最終的に行動に移さなきゃなんの意味もないだろ。告白しろなんて意地悪言ってない。せめて食事にでも行けって言ってんだ」
「そりゃそうだけどさ」とぼやいた園は、ふと足を止めて遠くに視線をやった。その横顔には憎らしいくらい色っぽい憂いが帯びていた。
「でも、わかるんだ。たぶん彼女は僕のことを好きじゃない」
「それがマトモな人間関係ってもんだろ。初めから好きだ嫌いだがあると思うか?」
「違うんだ。そうじゃなくて」と園はやたらとまごついている。「じゃあどういうことだよ」と詰め寄ると、深刻さが色濃く浮かぶ表情で園は言った。
「……彼女は、池里さんは、君のことが好きなんじゃないかって」
何を言い出すのかと思ったら、なんてくだらないこと言いやがる。もし俺が池里だとしたら、友人ならともかく、男として付き合う相手に俺なんかを選ばない。選ぶはずがない。
俺は「そんなわけあるかよ」と園の不安を一蹴したが、園は「わかるんだよ」と食い下がった。
「僕は彼女を〝何週間〟も見てきた。でも、彼女が君に向けるような眼を見たことは一度だってない。池里さんは君が好きだ。絶対に」
「そうやって的外れなことばっかり言ってるからダメなんだよ、お前は」
「いや、間違いない。これはもう、確信といっていい」
「だとしてもだ、俺はお前を応援するって決めてるんだ。俺からあいつにどうこうするつもりはない。安心しろよ」
言葉で答える代わりに、園は真剣な顔をして俺を見る。きゅっと締められた唇からは、悲しい覚悟が感じられた。事実がどうあれ、園が見ているのは俺と池里が甘い言葉を囁き合う光景だ。いくら説得したところで無駄だろう。
やがて園は前を向いて歩き出しながら、「お願いがあるんだ」と呟いた。俺はその後をゆっくり追いながら、「なんでも言えよ」と答える。
「ありがとう。それなら――池里さんと、デートしてくれないかな」
池里に惚れているはずの園が、俺に「池里とデートをしろ」と頼んだ。まったくあべこべなことであるが、しかし園も自棄になってこんなことを言ったわけではなく、考えがあってのことだという。
曰く、池里は九割九分九厘、俺のことが好きだという。しかし、万が一にも勘違いということもあるかもしれない。そして、その一をまだ信じていいのか否か確かめたい。ゆえに、俺と池里にデートをさせて、池里が本気かどうかを確かめたいのだという。そして仮に池里が本気であれば、自分は素直に身を引きたいというのだ。
無論、園の考えは頭の毛からつま先まで間違っている。これは謙遜でも何でもなく、池里が俺のことを好いているわけがない。友人として気が合うというだけだ。だから園の考えは、宇宙の彼方から異星人が攻めてきて、『インデペンデンス・デイ』ばりの大戦争が起きることを心配するレベルの勘違いであると言わざるを得ない。
だが、一度思い込めばなんにでもなれる男が園敦だ。目の前で確たる証拠を突きつけてやらねば、いくら理詰めで説いたところで納得するはずがない。いや、それをやっても信用しない危険性だってある。
だから俺は園の頼みを引き受けた。もちろん、条件付きである。
「お前の話はわかった。でも、もしも池里が本気じゃないなら、今度はお前が本気になる番だ」
「わかってるさ。その時がきたら僕だってしっかりやる」
園は力強くそう宣言した。
〇
起き抜けに観る映画はスタローンに限るというのが俺の持論である。シュワルツェネッガーやセガール、ジェイソン・ステイサムやウォーロックでは、朝に観るにはやや脂っぽすぎて胃がもたれる。
そういうわけでその日の朝、玉子かけご飯を食いながらスタローンの『コブラ』をのんびり観ていると、園が俺のアパートまでやって来た。弱々しく眉尻を下げながらも、しかし無暗に力のこもった表情をする園は、むっつりした顔のまま何も言わずに玄関で靴を脱ぎ、律義なことにそれを綺麗に揃え、何も言わずに居間まで上がり、座布団に正座で座りコブラの鑑賞を始めた。何かがあったことは聞かないでもわかった。
「どうしたんだよ、園」
「例のお願いの件だよ。君の代わりに池里さんをデートに誘ってきた」
「気が早いな。もっと後の日のことかと思ってた」
「そんなわけないだろう。僕達には七日間のタイムリミットがあるんだよ」
「そういえば、〝タイムリーパー〟だったな」
園の隣に腰を下ろした俺は朝食を再開する。
「それで池里さんだけど、行ってくれるって。明日の夜、新文芸坐だ。そこでウォーロックの映画が二本立てで公開される予定でね」
「そりゃいいな。ウォーロックってところがいい」
「遊びじゃないよ」と息を吐いた園はさらに続ける。
「言っておくけど、もちろん池里さんには〝デート〟なんてことは伝えてない。僕と、君と、彼女の三人で一緒に行く。君の隣で、彼女の気持ちを見極めさせてもらうよ」
「わかったよ。でもこっちも言っとくけど、思い込みは捨てろよ。何も考えずに池里を見ろ」
「君こそ、何も考えずに彼女を見るといいよ。わかるはずだよ、きっと」
そう言って園は俺をじっと見た。いつの間にか空になった茶碗を卓に置いた俺も、テレビに向いていた視線を園へと向ける。
やがて、園が真っ直ぐ俺を見つめたまま呟いた。
「……江波。君を信じてるよ」
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