リープ3 バタフライ・エフェクト その4

 十五時を過ぎたころ。映画の話をたっぷりして満足げな表情を浮かべる池里は、「そろそろバイトの時間なの」という言葉と、カフェオレの代金をテーブルに残して、慌ただしく『しまうま』を出て行った。その後ろ姿を席で見送った俺と園は、示しを合わせたよう同時に息を吐いた。


 迫り来る池里の喜怒哀楽に大学生の男ふたりが揃ってこのザマだ。いくら〝清楚系美少女〟が相手とはいえ情けない。


「魅力的だろう、彼女」


「……まあな。お前が一目惚れするだけのことはある」


「アン・ハサウェイ、オードリー・ヘプバーン、マリア・デ・メデイロス、クリスティーナ・リッチ、ジェシカ・アルバ、ハル・ベリー、キルスティン・ダンスト、ハリウッドの名だたる女優にも負けないくらい――」


「おい待て。なんでそこにキルスティン・ダンストの名前が入るんだよ。サム・ライミ版の『スパイダーマン』観てないのか」


「君こそ、『ジュマンジ』を観たことが無いの? 子役の頃の彼女は美人さんだった」


「それなら、『キック・アス』の頃のクロエ・モレッツだって」と言いかけて、俺は「辞めだ」と自分で遮った。ハリウッドの美人女優を挙げていくという行為は、サイゼリヤの間違い探しと同じで、一度始まるとキリがない。


「とにかく、池里と話しかけるきっかけは出来ただろ。あとはお前がしっかりするだけだ」


「そうは言っても、上手くいくかな」


「上手くいかなけりゃ時間でも戻せ。俺が関わるのは、ここで終わりだ」


「そんな冷たいこと言わないでもいいのに」と唇を尖らせた園は、ふと「おや」と声を上げ池里の座っていた椅子に手を伸ばした。そこにあったのは、不自然なまでに丁寧に折り畳まれたメモ用紙である。開けば、何やら番号が走り書きされていた。


「これ、江波が置いたの?」


「いや違う」と答えると、園は腕組みをして一分ほど考えるような素振りを見せた後、おもむろにスマートフォンを弄り始めた。まさかと思い「何してるんだ」と訊ねると、園はあっさり「彼女の電話番号だと思ってね」と応じる。恋煩いとバカの両方が極まってやがる。もし池里が番号の交換なりしたいのならば、俺達にそう言えばいいだけの話で、わざわざこんな回りくどいことをする必要なんて無い。


 十一桁の番号をプッシュした園は、スマホをスピーカー設定にしてテーブルの上に置く。ツーコール後、通話は繋がって、『まさか、掛けてくるとは思ってなかった』と池里の声が聞こえてきて、俺は軽いめまいを覚えた。なるほど、バカは向こうだった。


 俺は「どうも」と言いかけた園に割り込み、「なんでこんなことした?」と言った。


『ふたりと映画友達になりたかったから、じゃ、ダメ?』


「だったらこんな方法使わず、直接渡せばよかったろ」


『映画みたいで面白かったでしょ? それに江波くん、あんまりわたしの話に興味無かったみたいだから。直接言っても断られると思って。でも、電話してくれたってことは、実はそっちも案外楽しんでたって解釈でいいのかな?』


 確かに、楽しめたということは間違いない。しかしなんだか、振り回されている感が否めない。不必要な負けず嫌いを発揮させた俺は、「うぬぼれんな」と言ってやろうとしたが、その直前に横からにゅっと園の腕が伸びてきたかと思うと、テーブルの上のスマートフォンをひったくって耳に当てた。


「そうそう! 実は今、君の話がすっごく面白かったって盛り上がっててね! でも江波ったらホラ、恥ずかしがり屋だから、素直になれなくって……。まあ、彼も悪い人間じゃないからさ!」


『わかるよ、なんとなく。ちょっと子どもっぽいところもあるけど、悪い人じゃない』


「大きなお世話だ」と俺は横から口を挟んだが、池里には聞こえなかっただろう。


『じゃあ、これからバイトだから、続きはまた明日。朝の十時にしまうまで待ってるから』


 池里は楽しげに『じゃあね』と残して電話を切った。天井を仰いで安堵したようにふっと息を吐いた園は、身体の横で小さくガッツポーズをした。


「やったね。彼女の番号ゲットだ」


「よかったな。じゃあ、後は頑張れ」


「待って。待ってよ。さっき彼女がまた明日って言ったのは、君と僕に対してだ。僕だけじゃ行けない」


「適当言えばいいだろ。風邪引いたとか、なんとか」


「ダメだ。君も来て。じゃないと僕……たぶん、彼女と何も喋れない」


 まったくとんだ臆病者だ。コイツは昔からそうだった。むやみやたらにモテるクセに、こと恋の駆け引きにおいてはまったくの弱者であることに加えて、肝心な時に動けないせいでいつも相手に愛想をつかされる。そして、全てがご破算になった後、俺に電話を掛けてきてめそめそと泣き言をこぼす。こちらは堪ったものじゃない。


 人の恋路に片足突っ込むのは趣味じゃないが、そろそろコイツの泣きごとに付き合わされるのもうんざりしてきたところだ。いい加減、しっかりして貰わないと困る。


 覚悟を決めた俺は「やるか」と言った。「助かるよ」と答えた園は、俺の手を掴んで固く握った。

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