リープ3 バタフライ・エフェクト その2

 園に連れられて俺が向かったのは、池袋にある『新文芸坐』という映画館だ。園曰く、そこはいわゆる名画座と呼ばれる類の場所で、往年の名作や近年の準新作を二本立てで上映してくれるとのことである。


 池袋駅の東口から裏通りを歩いて五分。ピンク系の店の看板が目立つ通りにある、真新しいガラス張りのビルの階段を三階まで昇っていけば、そこが目当ての新文芸坐である。


 入口のところにある券売機でチケットを買い、店員に渡してちぎって貰い、半券は財布に大事にしまう。それからL字状になった通路の中ほどにあるベンチに座り、開場の時をじっと待つ。厚い壁一枚隔てたシアターからは、爆発と銃撃の音がいくつも重なって聞こえる。期待感が煽られて堪らないのは、これから上映される映画が、俺が最も好きな映画である『クロスXレンジ』だと園に知らされたからだ。


 ――クロスXレンジ。往年のアクションスター、クリスチャン・ウォーロックが主演を務める超AAA級アクション映画だ。


「火薬・爆破・筋肉」が全盛期である30年近く前に生まれた映画なのに、黒いスーツを隙無く着込み、軍隊仕込みの格闘術でスタイリッシュに戦う暗殺者が主役というあまりに時代を先取りしすぎた設定のせいで、その興行収入は当時こそふるわなかったものの、2000年代になってようやく再評価が始まった作品だ。つい最近ウォーロックが亡くなったことを受けて、諸々の事情によりDVDスルーすらされなかった幻の作品、『クロスXレンジ・チャプター2』のブルーレイが今週半ばに発売予定である。


「でも、今日見てもらいたいのはウォーロックだけじゃない」と園はポップコーンをかじりながら言った。


「俺が観たいのはウォーロックだ」


「まあ、そう言わないでよ。とにかく僕が頼みたいのはふたつ。君は最前列中央の席に座って。それで、左隣にいる人の顔を確認して欲しいんだ」


「待てよ。ウォーロックの雄姿を観ずに、上映中は隣に座った奴の顔をずっと見てろってのか?」


「いや、どんな人か確認する程度でいい。ただ、しっかりと頼むよ」


 よくわからないが、ここまで来たのだから「嫌だ」なんて意地の悪いことを言う必要もない。俺が「わかった」と頷くと、園はホッとしたように息を吐いた。


 それから間もなくシアターに続く扉が開き、俺と園は中へ入った。俺は言われた通りに最前列中央の席に座り、園は後ろの方の席を選んで座った。


 しばらくすると、学校のチャイムのような音が館内に響くと共に館内の照明が落ちた。同時にスクリーンを覆っていた幕が上がり、映画の宣伝が始まった。しかし、俺の左隣はおろか、右隣にも誰も座らない。いったい何を確認しろというのか。


 左隣の席に誰かが腰掛けてきたのは、配給会社のロゴが表示され始めた頃である。他にも空いている席は多くあるというのに、よくこんな席にわざわざ座るものだと思いつつ、義理を果たすためにそいつの顔を横目で確認する。


 そこに座っていたのは、腰の辺りまで届くほど長い黒髪を持つ女性だった。薄暗い中でもくっきり目立つほどに肌が白い。どこか眠たげにスクリーンを眺める眼には色気がある。太っているわけではないが、全体的にふっくらとした印象を受ける。


 なるほど美人だ。しかし今はウォーロックだ。


 俺はスクリーンに視線を戻し、ナイフの手入れをするウォーロックの無骨な手元を真剣に観た。





 上映終了後。劇場を出ようとする人波に逆らい、俺に駆け寄ってきた園は、開口一番で「どうだった?」と期待を込めた視線で訊ねてきた。「やっぱり最高だな」と答えると、園は「そうじゃないよ」と肩を落とす。


「隣に座った子のことだよ。どうだった?」


「ああ、ずいぶん美人だったな。こう言うと何だけど、ウォーロックの映画が似合わないような」


「……それだけ?」


「それだけって……他に何があるんだよ」


「いやほら、知り合いだったりしないかなってことだよ」


「知り合いなわけあるかよ」と言うと、園は「そうかい」と酷く落胆した様子で肩を落とした。どうやら何か訳ありらしい。どこか悲壮感すら漂うその表情が、それをはっきりと教えている。


 劇場を出た俺は園をベンチに座らせて、「どうしたんだよ」と訊ねた。


「いや、たいしたことじゃないんだ。大丈夫」


「そんな顔して大丈夫なわけあるかよ。それに、さっきのタイムリープ云々の話のこともある。理由を話せよ。力になってやるから」


「君って人は、いつもいつもそう言ってくれるね」


 力なく微笑んだ園は、なんとも気の抜けることを言ってのけた。


「あの子のことが好きなんだ」


 俺は「力になる」と言ってやったことを早くも後悔した。





 近くの喫茶店に場所を移し、俺はそこで園の話を聞いた。


 園が惚れたという先ほどの女の名前は池里真春(いけさとまはる)。同じ専洋大学に通う生徒で、学年も同じ二年生。曰く、〝清楚系美少女〟なんてくだらない言葉がよく似合う女らしい。顔の良し悪しと性格はさておき、大学生に〝少女〟とはいかがなものなのかとは思う。


「一週間前……といっても、僕にとってはもう何十日も前の話になるけど、とにかく、君にとっては一週間前だ。食堂で彼女を見かけてね。その時にビビっときた。これは間違いない。運命の出会いだって思ったね。ロミオとジュリエット、あるいはジャックとローズだと思ったね」


 園は早口でそう語った。相変わらずなんともメルヘンな野郎だ。しかし、ロミオとジュリエット、あるいはジャックとローズでは、二人を待ち受けるのはバッドエンドだが、それはいいのだろうか。


 さて、池里という女は男女問わず知り合いは多いが、反面、友人と呼べるような人物は少なく、授業が終わると真っ先に大学を出るのだという。その理由というのが趣味の映画鑑賞。なんでも池里は、学業とバイト以外の空いた時間をほとんど映画に費やしているのだとか。この話を聞いた時、なんとなく親近感が湧いたのは、俺もまた授業を受けるのもそこそこに、映画ばかりを見る生活を送っているからだろう。


 しかし、よくぞここまで調べたものだ。ほとんど――というか、間違いなくストーカーの所業である。警察に突きだしてやった方がこいつの将来のためになるのではと思わざるを得ない。


「……大丈夫なんだろうな?」


「何がだい?」


「協力して大丈夫なのかってことだよ。俺はお前に警察の世話になるようなことをやらせるつもりはないぞ」


「勘違いしないでくれるかな。決して犯罪行為はしていないし、する予定だってない。そもそも、彼女とはまともに話したことすらほとんどない。だから、いつも遠目から見てるだけだった。誓うよ」


 そういう奴のことを世間一般ではストーカーと呼ぶ。俺はますます「大丈夫なのか」と不安を覚えた。


 不安といえばもうひとつある。〝整った〟という程度では表現出来ないほど顔がいい園でもどうにも出来ない相手が、果たして俺が手伝った程度でどうにかなるのかということである。俺は人の恋愛にあれこれと口を出せるほど、その道に通じた男ではないから、猫の手でも借りた方がマシ、なんて結果になることも十分にあり得る。


「まあ、江波の言い分ももっともだ。でも、君に協力を頼むのにも、もちろんキチンとした理由があってね」


 曰く、園が俺に協力を要請する理由は、次の二点のタイムリープを行う際の〝ルール〟に起因する。


 ルールその一。園が巻き戻せる時間は一週間だけ。それ以上はもちろんのこと、それ以下でも駄目らしい。しかも、次に能力を使用するには一週間のインターバルが必要である。ゆえにキッカリ一週間のうちにケリをつける必要があって、一週間でどうにもならなかったら、園はそのたびに巻き戻しを行っているそうなのだ。


「でも、色恋沙汰なんてものは一週間程度じゃなかなか厳しいんじゃないのか」


「なるほど。江波らしい真っ当で真っ直ぐな意見だね。でもそのおかげで、白桃の柔肌よりも脆い僕の心は既に傷だらけだ。悲しみの貯金箱にはもう一枚のコインも入らない。つまり、いっぱいいっぱいってこと。わかる?」


「意味わからんこと言ってる場合か。八日目に踏み出す勇気を持てよ。多少失敗したところで巻き戻せるんだろ?」


「バカ言ってるのは君だ。せっかく神様が100パーセント安心保証のある一週間を僕にくれたんだよ? それを有効活用しないでどうするのさ」


「そんなことしてたら、いつまで経っても一週間から抜け出せないだろ」


「やっぱり頑固だね、江波は。でも僕だって負けないぞ」と園は不必要な気合をここぞとばかりに発揮させる。


「出会いの時点で気づかないうちに取り返しのつかない失敗をしている危険性だってあるんだ。出会いから一週間で勝負をつける。なにを言われたって僕の考えは変わらないよ」


 まったく意気地のない奴だ。こんな気概で挑んでいたら勝てる勝負も勝てるわけがない。不毛な言い争いはしばらく続いたが、園は一向に諦めず、根気負けした俺は「わかった」と折れた。


 ルールその二。同じ時間を繰り返しても、必ずしも同じことが起きるわけではない。


 園の言葉を借りれば、過去というのは録画した映像と同じで、本来はどうあがいたって変えようのないものである。しかし、確定した過去の時間軸に未来を知る人物がいれば話は別だ。もしもその人物が過去の自分とは別の行動を取れば、確定していたはずの時間に歪みが生じて、〝映像の内容が差し替えられる〟のだという。


「さっきのカップルは、僕の知っている時間軸とは別の行動を起こした。あれはね、僕が今日の朝食にパンを食べなかったからだ。あるいは、靴を左足から履いたからだ。あるいは、君に僕の秘密を教えたからだ。とにかく、〝今の僕〟が〝過去の僕〟と違う行動を取ったせいで、あの彼は頭から水を掛けられる羽目になったっていうわけさ」


「なんだそりゃ。たとえお前が朝食にコメ食ったってうどん食ったって、あのカップルには関係ない話だろ」


「〝風が吹けば桶屋が儲かる〟って言葉があるだろう。あるいは、〝バタフライ・エフェクト〟って言い換えてもいいかもしれない。なんでもないような行動や現象が何に繋がっているかなんて、本来不可逆的である時間を生きることしか出来ない僕達にはわからないんだ」


 もっともらしい理論を並べた園はさらに続けた。


「でも、たったひとりで確定した過去に歪みを作るには限界がある。だから君が必要なんだ。未来を知る人物がふたりいれば、確定した過去に歪みを作るのはひとりでやるよりずっと楽でね」


 もちろんこの〝ルール〟とやらを信じたわけではない。しかし、是が非でも俺に協力を頼みたいという園の思いは理解出来た。人の恋路に首を突っ込むのはなんとも面倒で厄介な話だが、しかし園は俺を信頼してこんな嘘を入念に仕組んだのだ。やってやらないわけにはいかない。


「わかった、頼まれてやる」


「よかった。まあ、そう言ってくれることはわかってたけど」


「だろうな。タイムリーパーだからな、お前は」


「まあ、そういうこと」と言って園はヘラヘラと笑う。なんとなく腹が立ってデコピンくれてやろうとしたら、先んじて園が俺の腕を掴んで押さえてきた。きっと、〝前回〟の俺も同じことをしたのだろう。


 腕を降ろした俺は、小さく息を吐いた。


「とにかく、やるからには全力でやれよ。中途半端なことはゴメンだ」


「わかってるさ。耳にタコが出来るくらい、君に同じことを言われたからね」


 こちらへ腕を伸ばした園は俺の手を固く握ると、「最強鬼ヤバチームの完成だね」と言って歯を見せて笑った。コイツの冗談はいつもどこか抜けている。

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