第2話 少女と、女と、黒猫
「あんたはもう、生きちゃあいない。……かといって、死んでもいないがね」
サキはその言葉を聞きながら、身を硬くした。
頭の中では何を言っているのだろうと思う自分と、どこか腑に落ちている自分とがせめぎあっていた。
しばらくすると、混乱は少し落ち着いたが、かわりに驚きと困惑が形を成した。
どす黒いもやもやとしたものが、サキの胸をさすった。
「半分死んでいるって、どういうことなの」
困惑するサキに対して、ヨミのほうはというと、極めて平静であった。
「いいかい、この世界には、
サキは、頷いた。
「ここはその二つの世のちょうど間。<境界>ってとこなのさ」
「じゃあ私は、みんなが生きている世界にもう居ないってことなの? <現世>にいないから、生きていないってこと?」
サキは、脳裏によぎったことを聞かずにはいられなかった。言葉にするのは恐ろしかったが、自分の知らないことがあまりにも多すぎたのだ。
「理解が早いじゃないか。手間が省けて助かるよ。さっきも言ったようにここは現世とあの世の境目だ。
つまりここにいるのは、死にながら現世に強い未練がある者。そして滅多にないが、生きていながらあの世に行きたいと強く願った者が迷い込むかの、どちらかさ」
サキは、ようやく理解した気になった。
本来居るべき場所に居ないから、自分は死んでいる。納得はできないが、声に出してみるとなんだかそれですべて説明できてしまうような気がした。
ぼんやりとした悲しみがサキを満たした。
「……そっか。死んじゃったんだ、私」
「早合点するんじゃないよ。言ったろ。生きてはいないし、死んでもいないって」
サキは、はっとして、顔を上げた。
「元の世界に戻れるの? どうやったら戻れるの?」
「へぇ。あんた、現世に戻りたいのかい?」
「……あたりまえ、じゃない」
なぜ、そんな当たり前のことを聞くのだろう。生きられるのならば生きたい。それが普通ではないのだろうか。サキは不思議に思いながら首を縦に振った。
「ふうん」
ヨミは値踏みするような目でじっとサキを見つめた。
突然、ヨミの腕が、サキに向かってすっと伸びてきた。
両手でサキの頬に優しく触れると、そのまま手を這わせ、サキの首を掴んだ。
「……そいつぁ、嘘だね」
ヨミは、両手に力を入れて、サキの首を絞め上げた。
「何……! 苦し……」
目の前がちかちかする。
サキは、ヨミの手を掴み、振りほどこうとしたが、びくともしなかった。このほっそりとした腕のどこに、こんな力があるのだろうか。
ヨミは力を緩めなかった。
「楽になりたいかい、えぇ、嬢ちゃん! なら死んじまったほうが楽で早いかもねぇ!」
ヨミは、甲高い声を上げてまっすぐサキ見据えた。
顔は笑っているようにも見えたが、目の奥では明確な殺意がギラギラと閃いていた。
なぜこんなことを言われなければならないのだろう。
サキの中で、沸き立つような怒りが膨れ上がった。
帰らなければならないのだ。
友達や、お母さんが待つ現世へ。みんな、心配して私のことを待っているに違いない。
こんなことを、される筋合いはない。
サキは、ぎゅっとヨミの腕に爪を立てた。
ヨミは、苦悶の表情を浮かべながらも、今にも噛みつきそうに睨むサキを、じっと見つめた。
ふっとヨミの手の力が緩んだ。
サキは、ようやくありつけた空気を、大きく肺を膨らませて吸い込んだ。
「コホ、コホ! 何するの、一体!」
「……悪かったね。試してみたかったのさ」
「試す……?」
未だ喉の奥が絡みつく感じがする。
「口ではなんだかんだ言っててもね、心のどこかで生きることを疎ましく思っていた、なんてやつ、山ほどいるのさ。そんなやつをほっといた結果が……」
ヨミは何かを思い出したように、言葉を遮った。
「いや、なんでもない。どうやら嬢ちゃんの気持ちは本物みたいだね」
ヨミの表情を見た瞬間、サキの中にあった怒りは消え去ってしまった。
心に蓋をしていくような暗い表情だった。
「現世へ戻る方法、だったね。ちょいとこっちへ来な」
ヨミは柔らかい笑みを浮かべて、手招いた。ものすごく冷たい雰囲気を纏った人なのに、ふとした瞬間にとても魅力的に見える。不思議な女性だとサキは思った。
「あれが見えるかい」
そういうと、ヨミはサキの背後にある細い道を指した。
巨大な蛇がうねっているような、なんだか空恐ろしい感じのする道だった。少しずつ下に降りていくような道だったが、道の先は灰色のもやで覆われて、見えなかった。
「あの先はね、<船渡し>に繋がってるんだ。船渡しってのはまぁ……、現世との距離が一番近い場所ってことだ。そこにたどり着いて、まだあんたが生きたいって思うなら、その時はあたしが責任をもって送り返してやるよ」
サキには、何かをもったいぶるようなまどろっこしい言い方に感じられた。
(私を試そうってわけ……)
「ふん、ちったあマシな顔になったね。さ、それじゃ後はそこの黒猫に聞いておくんな」
ヨミはごそごそと胸元を漁り、扇子を取り出した。
その仕草は色っぽくて、はだけた部分から見える胸のふくらみは、柔らかい輪郭を強く意識させた。サキはなんだか見てはいけないものを見ているような気がした。
「そうそう、忠告しておくが……」
ヨミはサキの鼻先に、閉じた扇子の先を突き付けた。
「生きたがっているのはあんただけじゃない。せいぜい気をつけな」
「どういうこと?」
サキはムッと扇子を押しのけて言ったが、答えは帰ってこなかった。
ヨミはそのまま、後ろ手に頭の上でひらひらとさせながら、去っていった。
コツコツとヨミの履いている下駄の音が響いた。
「まぁ、直に分かるさ。さっさと行こうや……」
黒猫は大きな伸びをして身を震わすと、曲がりくねった道へと歩みを進めた。
サキは、慌てて黒猫を追いかけた。
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