第12話 生涯の忠誠・ロザリアの思惑
部屋の外で待機していたミラーナは、物音がしなくなったのを確認するとノックをする。
返答はない。
本来であれば、主の許しもなく入室をするのは従者としてあるまじき行為であるが、ミラーナはドアノブに触れると、静かに扉を開けた。
室内は目を背けたくなるような惨状が広がっていた。
うつ伏せに倒れ込み、血だらけのカッシオ。彼の身体から溢れ出る血が広がっていく。
カッシオの近くでは、白いドレスを紅色に汚し、普段の清純さとは掛け離れた様相のアウローラが、血に濡れた短剣を握りしめて呆けたように立ち尽くしていた。
部屋には濃い血の匂いが充満し、ミラーナの鼻孔を刺激する。常人なら平静を保つのも難しい状況だが、ミラーナは眉一つ動かさず、アウローラを気遣い静かな声で話し掛けた。
「……終わりましたか?」
なにが、とは問わない。
復讐か、それとも今回の戦いか。どうあれ、アウローラの中でなにかしらの区切りが付いたのか伺う。
声を掛けられて、初めてミラーナが入室してきたことに気が付いたのか、ゆったりとした動作でアウローラの瞳がミラーナに向けられる。
元々透けるように白かった肌は更に色を失い、死人のような顔色だ。
瞳は濡れ、揺れる。眼差しが伝えて来る感情は一つだけではない。達成感、高揚、後悔、恐怖、様々な色を伝えてくる。
その中で、ミラーナに強く訴えかけてきたのは、罪悪感であった。
「ごめんなさい、ミラーナ。私は貴女たちを個人的な復讐のために利用しています」
全てはカッシオを殺すためであったと、ミラーナは震える声で懺悔する。
親に怒られて帯びる幼子のように、震えるアウローラ。
そんな彼女を前にして、ミラーナは口元に優し気な笑みを浮かべると、靴が血で汚れるのも構わず、アウローラへと近付いていく。
「よいのです。私を含め、アウローラ様に付き従う者たちは理解しております。理解した上で、貴女様は我らの希望なのでございます」
嘘を付いていたかのように語るアウローラだが、ミラーナは最初から教えられていた。
3年前、父親が政争に負け、貴族としての誇りも、地位も、住む場所さえもなくなった。
家族は散り散りになり、寄る辺はない。これまで貴族の娘として育てられてきた世間知らずのミラーナは、日銭を稼ぐ手段すら持ち合わせていなかった。
飢えて死ぬか、それとも身体を売るか。もしかすると、ミラーナが選択する間もなく、
下卑た欲望の罠が張り巡らされた帝都で、行く当てもなく彷徨い続けるミラーナ。あわや名も知れぬ貴族の慰み者にされそうになった時、もっとも早く手を差し伸べてのがアウローラであった。
『カッシオに、帝国に復讐をするために、力を貸して頂けませんか? ミラーナさん』
生きる糧も、目的も、意味さえ失ったミラーナにはとても甘美な響きであった。
力なく
アウローラに拾われたミラーナは、彼女のメイドとして働くことになった。
従わせる側から遣える側へ。給仕の一つもしたことのないミラーナは、紅茶を淹れることすらままならず、失敗続きであった。
捨てられるのではないかとミラーナの不安を拭い去るように、アウローラは常に笑顔でミラーナが成長をするのを待っていてくれた。
それだけではない。アウローラのメイドとして働くようになってからも、好色な内面を隠そうとすらしない貴族に狙われることもあったが、アウローラは自身の名を盾にして護ってくれた。
この方に受けた恩に報いるために、私は命を懸けて生涯この方に尽くそう。
それからというもの、ミラーナは死に物狂いであらゆる技術の習得に明け暮れた。
メイドとしての技能だけではない。アウローラを護れるよう身体を鍛え、政治を学んだ。アウローラのためになることであれば、ミラーナは努力を惜しまずなんでも身に付けた。
そうして3年。身に付けた技能は確かな力となり、誰もが認めるアウローラの従者となった。
怯えた仔兎のように震える主を、ミラーナはそっと抱きしめる。
「私はアウローラ様に救い上げられた身。例え、地獄の業火に身を焼かれようとも、どこまでも付き従わせて頂きます」
ミラーナは知っている。
確かにアウローラの目的は復讐だ。敬愛する兄であるディーノを追放したカッシオだけではない。ディーノの追放に加担した貴族たちや、救いの手を伸ばすこともなかった兄姉である皇族たち。そして、息子が殺されそうになっているのに、情の一つすら見せなかった皇帝を自身の手で殺したいという衝動をアウローラは抑えられない。
けれど、それだけでないこともミラーナは知っているのだ。
ミラーナを救い上げてくれた慈悲も、戦乱にある大陸を平和にしたいのも、戦いによって多くの血を流す人々を憂うのも、全てアウローラの本心だ。
アウローラは復讐のために行動している自身を責めるが、ミラーナはそうは思わない。
人の行動は多面的だ。たった一つの行動で人の本質は決まらない。
たとえ、復讐の悪魔となろうとも、人々を救う天使となれるのが人なのだ。
「どうか、ご自身を責めないで下さい。アウローラ様の行動によって救われた者がここにおります」
「それは……復讐ために」
「ええ。その気持ちはあるでしょう。けれど、貴女様が私を救おうとしてくれたのもまた事実。たとえ、復讐という強い衝動があろうとも、全てを捨てることのなかったアウローラ様の従者であることを、私は誇りに思います」
復讐のために全てを捨ててもよかったはずだ。
地位も名誉も、良心すらも捨て去り、復讐のためだけにあらゆる者を騙し、殺してもよかったのだ。
そうできなかったことを、アウローラは弱さというだろうけれど、ミラーナは強さと呼ぶ。
「今はお休み下さいませ。後のことは、私共にお任せ下さい」
ミラーナの胸の中でわずかに震えたアウローラ。
しばらくすると、緊張の糸が切れたのか静かな寝息が彼女の耳に届いた。
血に濡れ、眠る皇女を支え、従者は囁くように小さな声で誓う。
――たとえどのような困難な道であろうとも、私はこの命を懸けて生涯、貴女様に付き従います――
――
同じ頃。イニーツオの屋敷を離れる一台の馬車。
御者台の兵士がどこか心配そうな声で、車内にいるロザリアへと伺いを立てる。
「その……宜しいのですか?」
「なにが?」
「いえ、カッシオ様を置いていかれてです」
問われた意味など最初から理解していたロザリアは、おかしそうにくすくすと笑みを零した。
当然、兵士は困惑するが、ロザリアにとってはどうでもよいことだ。
「ねえ? では、貴方は私に残って剣を取れと言いたいのかしら?」
「そ、そういうわけではありませんが……」
兵士が口籠る。もちろん、そんなわけがない。
彼が言いたいのは、戦いに出たカッシオを置いて行くことで、不利益を生まないのかということだろう。
カッシオは感情的になりやすい人だ。それも、厄介なことに帝国でも高い地位を保持する皇族。彼の機嫌一つで自身の首が物理的に飛ぶかもしれないのだから、気が気ではないだろう。
とはいえ、保身もあるだろうが、多少なりともロザリアのことも心配しているのは伝わってくる。彼の首が離れようがくっ付いていようが、ロザリアには関係のないことだが、気遣いに応えるように不安は拭い去っておく。
「心配はないわ。私が帝都に帰ることは、カッシオ様も承知のこと。貴方はただ馬車を走らせればいいのよ」
「かしこまりました」
カッシオも把握していること知り安堵したのか、その声音には張り詰めた緊張が消えていた。
ま、私が勝手に帰るのだけれどね。
当然ながら、カッシオはこのことを知らない。もし、屋敷に帰ることがあればさぞ驚き、怒りを露わにするだろう。帰ることができたのであれば、だが。
ほぼ間違いなく、カッシオはアウローラに殺されているでしょうね。
そもそも、そうなるようにアウローラの思惑に乗っかったのはロザリアだ。
カッシオがイニーツオに飛ばされることになった会議。アウローラのやりたいことをロザリアは察しながらも、敢えて口出しをしなかった。カッシオを始末してもらうために。
次期皇帝候補として、長くカッシオを支援してきたロザリアだが、ここ最近のカッシオの行動は目に余るものがあった。
昔はなんであれ、私の言うことに従っていたというのに、最近は自尊心が強く、横暴な面が目立つようになってきた。そのせいで、駒として動かないどころか、勝手に不利益を生むんだもの。皇帝候補としても期待されていない今、残念だけれど切り捨てるしかないわね。
この残念というのは、カッシオを惜しんでいるわけではなく、これまでの支援が無駄になるという意味だ。
そもそも、ロザリアがカッシオの後援になったのは、彼が優秀な人形であったからだ。命令すればその通りに動くロザリアのお人形。皇帝になった時、傀儡としてこれほど優秀な神輿もあるまい。
育て方を間違えたわね。ただの飾りにしても、称賛するだけでは自尊心ばかりが膨れ上がって、傲慢になるのは当然だったわ。知恵が付いても面倒だからと放置していたけれど、なにかしらの手を打つ必要があったわね。それこそ、私の命令以外聞かないように――心を壊す、とかね。
ロザリアの頬が妖しく吊り上げる。
とはいえ、どう思ったところで手遅れだ。今頃、カッシオは殺されている。やり直しはきかない。
今、考えるべきはロザリアがこれからどうするか。
カッシオを傀儡の皇帝にするのは失敗。他の後継者に付くとしても、おいしい立ち位置は埋まっているでしょうしね。それに、誰かの下に付くだなんてごめんだもの。
皇子、皇女、それぞれ第三まで存在する候補者たち。うち、第二皇子は脱落。第三皇子、第三皇女は帝国に反旗を翻した。残りの候補は第一皇子と、第一、第二皇女の3名。
順当にいけば第一皇子が皇帝の座を引き継ぐであろうが、それを黙って見ているほど第一皇女も、第二皇女もお淑やかではない。順当に事が運ぶとは思えなかった。
「それに……ふふ。ええ、ディーノだったかしら。あれは予想外で、興味を惹かれるわ」
第三皇子ディーノ・クローディア。
カッシオの独断によって追放された元皇子。カッシオ程度に追放される実力しかないという認識であり、生きてはいないだろうとロザリアの記憶に残っていなかったが、なかなかどうして、恐ろしい能力を保持していたようだ。
遠目でしか確認できず、あの黒い怪物がディーノであると知ったのは、アウローラの軍を監視していた手駒の報告を受けてからだ。
報告した部下も半信半疑で信じられないようであったが、ロザリアは素直にその報告を受け入れた。
だって、そのほうが面白いものね。
軍隊を雑草のように蹴散らすディーノに、民衆の心を掴み、
「ふふ……もしかすると、彼らに与するのが一番の好手かもしれないわ」
カッシオのために築いた地盤は、ロザリアが掌握している。その地盤を持ったままアウローラに付けばどうなるのか……。
想像するだけでも楽しくなってくる。
ロザリアは帝都に到着するまでの間、ディーノとアウローラと協力関係を築いた場合の展開を想像して、悦に浸っていた。
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