第10話 最恐の蹂躙
カッシオが姿を見せた途端、アウローラの表情が強張る。
イニーツオには軍隊がほとんど存在しない。時折、モストロ領域から迷い込む魔物を討伐し、町の巡回をする程度の兵しか在中していないのだ。そのため、カッシオが引き連れてきた兵士は、彼が独自で保有する兵であろう。
その数も100に満たない。せいぜいが50といったところか。辺境の地で、争いのないイニーツオに連れて来るには、少々多いと言わざるおえないが。
対するアウローラの騎士団も、ほぼ同数。戦力的には互角の勢力が、イニーツオの町に広がる平原で睨み合っている状態だ。しかし、戦力は互角でありながらも、ディーノという規格外を抱えているアウローラ側が優位であった。
人の丈を優に超える巨躯を誇る魔物が、アウローラの騎士団の前でカッシオたちを睥睨しているのだ。明らかに飼いならした様子の怪物。見るだけでも恐ろしい魔物と戦わなければならないと思えば、兵たちの恐怖も理解できよう。
アウローラは、恐竜形態のディーノの前に躍り出ると、一切の感情をひた隠し、カッシオへと穏やかに語り掛ける。
「お久しぶりですね、カッシオ様。イニーツオでは元気にしておりましたか?」
恐ろしい怪物を見て青褪めていたカッシオは、声を掛けられて初めてアウローラがいることに気が付いた。
彼の顔は青から赤へと変色し、明確な怒りを宿した瞳でアウローラを睨み付ける。
「アウローラぁっ!? 貴様ぁ、次期皇帝であるこのオレに対して反旗を翻すとは、あまりにも不敬であるぞ!?」
幼い頃から、そして先日の会議からも、変わらぬ高圧的な態度。相手のことを慮ることのない、苛立ちだけをぶつける声に、アウローラは内心で不快感を募らせる。
「……変わりませんね。だからこそ、私は」
「殺してやる! 殺してやるぞアウローラぁあああああっ!!」
状況も忘れ、感情のままに吠えるカッシオを、アウローラはいっそ哀れに思った。
そのようになるまで、誰も諭してはくれなかったのですね。
感情を爆発させても誰も叱ってくれることはなく、それが正しいと肯定されて生きてきたが故に、本来なら身体の成長と共に学ぶ、感情を制御する術を知らない哀れな皇子。
見た目こそ大人だが、中身は全ての我儘が叶うと信じて疑わない子供でしかない。
私には、お兄様がおりましたから。
護ってくれるだけではない。弱く、泣くだけであった幼いアウローラを、優しく、時に厳しく導いてくれた兄。ディーノが傍に居てくれたからこそ、アウローラは歪むことなく生きてこれたのだ。
だからこそ、私からお兄様を奪った貴方を私は――
アウローラの思考は、声を荒げたカッシオの怒声によって中断させられる。
「突撃だ! 殺せ! 奴の死体をこのオレに前に持ってこい!」
「っ……総員抜剣!」
カッシオが伴ってきた兵士たちが、躊躇いながらも剣を抜く。
兵士たちの表情は皆、一様に青く、強張っていた。それは、戦いを前にした兵士というよりも、かつてカッシオに怯えていたアウローラの表情に似ている。
お兄様が恐ろしくとも、カッシオの前で臆するわけにはいきませんのね。
「――突撃!」
カッシオの部下とはいえ、帝国民である。できれば、剣を交えたくはなかったアウローラだったが、剣を向けられたとあっては引くわけにはいかない。
「お兄様のお姿を見れば、話し合いには応じると思っていたのですが、聞く耳すら持ちませんか」
「本当に変わらんな、あいつは。五年前から、ずっと」
アウローラの言葉に、ディーノが返答する。
アウローラが見上げて、ディーノの顔を見ても、恐竜の姿では彼の感情は伺えない。ただ、なんとなくであるが、ディーノはなにも感じてはいないのだとアウローラは思った。例え、血を分けた兄弟であっても、矛を交えることに感傷はない。
アウローラにこそ情深く接してくれるが、ディーノは身内と認めた者以外への感情が冷めている。故にその判断は非情だ。情けなど、ありはしない。
そんなディーノに家族として認められていることを、アウローラは改めて嬉しく思い、頬が緩む。
「アウローラ様! 御覚悟を!」
兵士の一人が剣を掲げて、アウローラへと突っ込んでくる。
自身に向けられた刃を見ても、アウローラは恐れることはない。ただ一言、愛しき兄とへと告げるのみ。
「――お兄様、お願い致します」
「ああ」
――赤い果実を踏みつぶしたかのような、耳に纏わりつき水気を伴う不快な音が周囲に響く――
ぶしゃっと、黒みがかった赤い果汁がぶちまけられる。
地響きと共に踏み出したディーノが黒い鱗で覆われた足を上げれば、血溜まりが広がり、中央には鎧がひしゃげ、顔も分からなくなった潰れた肉の塊と化した兵が見るも無残な姿へと変貌していた。
惨劇を目のあたりにした兵たちは、一様に血の気を引かせた。
鉄の鎧を纏った兵を、紙屑のように踏みつぶす怪物に、立ち向かわなくてはいけないことに。なにより、先程の兵と同じように潰れたひき肉に変えられることを恐れて。
恐れ戦く兵士たちを前に、最恐の竜が咆哮する。
「――――――――――――――――――――――――――――ッ!!!!」
大気を震わせ、人々を震撼させる雄叫びは、一方的な蹂躙の合図であった。
――
「剣を振れ! 矢を射れ! 魔法を撃てっ! なんでもいい! 怪物の進行を止めろぉおおおおおおおおっ!?」
襲い来る怪物に、兵士たちは必至に抵抗をした。
剣で斬り、矢を射り、時には魔法による火球や雷撃を放った。
けれども、黒き怪物の歩みを止めるには至らない。
刃は黒い鱗に弾かれ傷一つ付けることも叶わず、矢は刺さることなく地に落ちる。ただの一歩すら停滞させることもできず、怪物は兵士たちを蹂躙する。
「な、なんだこち――ぎゃぁっ!?」
「くそがぁあああっ!? あ…………」
「嫌だぁ、嫌だぁっ! 食べない――」
牙で、爪で、尾で。
一人、また一人と兵士はその数を減らしていく。
その有様は、既に戦いと呼べるものではない。一匹の怪物による一方的な狩りに他ならない。
血を巻き散らし、雑草にように狩られていく仲間を目にした一人の兵士は、剣を握ったまま動けずにいた。
「こんなの……こんなのどうすればいいんだ……っ!」
あらゆる敵対行動が無意味だと目のあたりにした者たちは悟る。いかに鍛えようとも、人種は弱い。一度強大な魔物と相対すれば、人種の中で屈強な兵士であっても、そこらの女子供と差はない。悲鳴を上げ、逃げ惑い、怪物がいなくなるのを震えて待つしかないのだと。
カッシオが連れて来た兵士たちの心は折れた。武器を捨て、その場に膝を付く。きっと彼らは、二度と剣を握ることはできないだろう。
助けてと命乞いをする自身の兵たちに、恐怖か、それとも怒りか、身体を震わせたカッシオが声を上げる。
「なにを……なにをしている!? そのような蜥蜴一匹を相手に、貴様らそれでもこのオレの兵士かっ!? どれだけで死んでも構わん! 早くその怪物を――」
「――誰を殺すって?」
背筋を触れられたかのように、カッシオはぞっとする。
怪物から人の声がしたからではない。忘れもしない、聞き覚えのある声であったからだ。
「な……今の、声…………は?」
「相変わらず、傲慢に生きているな、カッシオ」
「ディーノ、だと?」
第三皇子ディーノ・クローディア。
カッシオの策謀によってモストロ領域へ追放され、死んだはずの弟の声であった。
日が遮られ、カッシオは影に覆われる。無意識に顔を上げれば、金色に光る怪物の瞳がカッシオを見下ろしていた。
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