第9話 アウローラの宣戦布告
モストロ領域で迎えた朝。
満面の笑顔で昨夜のことを語るアウローラからの報告に、ミラーナは驚きを隠せない。
「ディーノ様の協力を取り付けたのですか?」
「はい」
心の底から嬉しそうなアウローラ。
昨日、ディーノはアウローラの提案を断っていた。ミラーナとしては、断られることに不思議はない。自身を追放した帝国のために、ディーノが動くとは思えなかったからだ。
だというのに、一夜明けて翻された返答。
アウローラが説得したのだろうが、昨夜なにがあったのか気になるところだ。
「一体どのように」
「愛ゆえに」
頬を赤らめ、誇らしそうに語るアウローラ。
それが事実なのかどうかミラーナに判断はできない。アウローラ以外に唯一答えを知っているだろうディーノを確認してみれば、とても険しい表情を浮かべていた。
とてもだが、愛のためとは思えない表情だ。
「それで、協力と言ったが、お前の目的はなんだ? 俺になにをさせたい?」
ディーノがアウローラに問う。
彼が訊いていることといえば、帝国民のため、大陸の平和のため、そして、アウローラの目的のためだ。
大きな指針はあるが、実際になにをするかというのは伝えられていなかった。
ディーノの問いに、アウローラは頬に手を添える。
「そうですね……」
一瞬、悩む素振りを見せたが、その表情は直ぐに含みのある笑みへと変わる。
「ーーイニーツオ、なんていかがでしょうか?」
両腕を広げて示したのは、モストロ領域に隣接する帝国の町であった。
ーー
「ふん。なにもないつまらんところだ」
辺境領イニーツオにある屋敷の執務室で、カッシオは暇を持て余していた。
紅茶を飲み、表面が反射するほど磨かれた黒革の椅子に深く腰掛け、優雅に紅茶を飲んでいる。
領地に足を踏み入れてから、一切仕事をすることもなく、暇だと口にする領主。
彼の代わりに下で働いている者たちが訊けば、さぞや苦々しい表情を浮かべるだろう。
カッシオが座る執務机の正面にある来訪者用のソファーでは、カッシオとは違いティータイムを楽しんでいるロザリアの姿があった。
「そうかしら? 帝都のように人が多くなくて、静かなよいところだと、私は思うわ」
「下民が少ないのはよいが、こうも娯楽がなくては飽きる」
帝都のような賑やかさはないが、人の少ない地でゆったりと時間が流れるのを楽しむのも贅沢の一つであろう。
辺境の地であるが故に、周辺には人の手が加えられていない自然も多い。それらを見て回るだけでも、目を楽しませてくれるはずだ。
しかし、生まれた時から帝都に住み、分かりやすい娯楽にしか触れてこなかったカッシオには、あるがままを楽しむという感性は育まれなかったようだ。
「そうね。けれど、」
一度同意を示したロザリアは、走る足音が廊下から響いてきたのを察して、くすりと笑う。
「どうやら、暇は潰れそうよ?」
ロザリアがそう言うと、荒々しいノックと共に一人の兵士が執務室へと駆け込んできた。
暇だとはいえ、平穏な時間を台無しにされたことが苛立たしいのか、カッシオが声を荒げる。
「騒々しいぞ!」
「も、申し訳ございませんっ! しかし、至急ご報告しなければならないことが!」
カッシオに睨み付けられて委縮する兵士に、ロザリアが報告を促す。
「それで?」
「は、はい! それが、第三皇女アウローラ・クローディア様が、このイニーツオに対して宣戦布告をなされました!」
「宣戦……布告、だと?」
「は、はい! 間違いはございません! 既にアウローラ様は町の正門に兵士を揃え、戦うつもりであるようです」
苛立ちのままにカッシオは握った拳を机に叩き付ける。
耳に響く大きな音に、兵士の身体がびくりと跳ねる。
「アウローラぁあああああああああっ!!」
カッシオの怒りの叫びが、屋敷中へと轟く。
――
イニーツオにある町、その正門より少し離れた草原地帯で、アウローラは騎士団長に命じて陣を構えていた。
突然の命令であったはずなのだが、彼らに不安や動揺は見られない。むしろ、その表情には高揚感すら見て取れる。
「まさか、宣戦布告とはな」
騎士たちを遠巻きから見ていたディーノは、隣でイニーツオの町を見据えるアウローラへと声を掛けた。
「いいのか? これは帝国に対する反逆だぞ?」
イニーツオ、そしてカッシオへの宣戦布告。
内容は簡単だ。無条件降伏をして、この地を明け渡せ。そうでなければ武力により制圧する、と。
これまで帝国が周辺他国に突き付けてきた条件と同じ内容だ。まさか、大陸でも屈指の軍事大国であるサングエ帝国にこのような宣戦布告を行うなどと、帝国で生きる誰もが思うまい。
そして、この宣言は辺境領イニーツオだけに留まらず、サングエ帝国に対して反旗を翻したことに他ならない。それも、帝国の姫君が、である。これの意味するところは大きかった。
お前は自分のしたことの意味を理解しているのか? というディーノの問いに、アウローラはしっかりと頷いてみせる。そこに迷いの色はない。
「もちろん、分かっております。もとより、お兄様を追放された時に、私の心は帝国から離れております。戦う覚悟は、あの時から決めておりました」
「……そうか」
アウローラの覚悟を受けて、ディーノは少しばかりやるせない気持ちになった。
かつて、ディーノに護られているだけであったか弱い妹に、このような決意をさせてしまった責任の一端はディーノにあると思ったからだ。
ディーノは皇子としての生活を窮屈に感じており、追放されると決まった時も動揺はなく、むしろ自由に生きることができると清々しい気持ちになったものだ。そこに深い考えはなかった。
けれど、自身のことしか考えていなかったディーノの行動の結果、アウローラは帝国と戦う覚悟を決めてしまった。血塗られた道。弱くとも、他人を思いやれる妹に剣を取らせてしまったのはディーノのせいだ。
世の中はどうあっても弱肉強食であり、自身の行動の責任は全て自身で贖うべきだとディーノは考えている。しかし、妹の幸福を願う兄としては、アウローラにこのような道を歩ませてしまった責任を感じずにはいられなかった。
だというのに、アウローラはディーノに対して申し訳なさそうに俯く。
「ただ、そのためにお兄様のお力を利用するような形になってしまうのは申し訳ないです」
「あほ」
アウローラの頭を手の平で軽く叩く。
謝罪すべきはアウローラではない。妹を省みることのなかったディーノだ。アウローラが謝ることは何一つとしてない。
「俺が決めたことだ。お前が思い悩む必要はねぇ。どんな結果になろうとも、それは俺の力が足りなかっただけだ」
「お兄様はそう仰るでしょうが……。少しは、私に責を負わせてよいと思います」
アウローラが拗ねたようにそのようなことを零した。
思いもしなかったことを口にされ、ディーノはきょとんとしてしまう。そして、笑う。
全ては自己責任というディーノの自論を理解した上で、それでも自身にも荷を背負わせて欲しいといういじらしさに頬が緩んでしまった。
むぅっと唇を結ぶアウローラの額を、ディーノは笑いながら小突く。
「生意気だ」
「お兄様は意地悪です」
ぷいとそっぽを向くアウローラを見て、久方ぶりに心の底からディーノは笑い声を上げた。
ここまで言われて、やらないわけにはいかないな。
上着を脱ぎ、戦う準備に入るディーノ。
ふと、周囲を見渡せば、騎士たちにも高い戦意が見て取れた。帝国に反旗を翻したというのに、焦燥や混乱は見られない。もとよりこうなることの覚悟を持って、アウローラに付き従ってきた者たちだったということなのだろう。
皇族としての器は、俺やカッシオよりもアウローラが上か。
妹の成長を嬉しく感じていると、不意に違和感を覚えた。昨日よりも騎士団の人数が増えているのだ。
それだけではない、いつの間にか、そして今尚、草原地帯に集まる人の数が増え続けていた。彼らの服装はまちまちで、とても騎士には見えない。
なにかしたのか?
アウローラを伺えば、未だにそっぽを向いて拗ねていた。いい加減に機嫌を直せ。
――
報告を受けたカッシオは苛立ちを隠そうともせず、荒ぶっていた。
「帝国の皇女でありながら、このオレに反逆するとはなんとう蛮行! ふざけるなっ!!」
感情の赴くままに、執務机に乗っていた書類やティーカップなどを叩き落す。
音を立てて割れるカップ。散らばり濡れた書類は零れた紅茶によって濡れてしまう。
その怒りが自身にも及ぶのではないかと、報告に来た兵士は顔を青褪めさせ、震えて嵐が過ぎ去るのを待つ。
彼の癇癪を止めたのは、今も落ち着いてソファーに座っているロザリアだ。彼女はカッシオに怯えることなく、子供を諭すように優しく声を掛ける。
「そう怒ることはないわ」
「なぜだ!? このオレに盾突いたのだぞ!?」
「もちろん、許されざる行動ね。けれど、これは好機よ」
カッシオに同調しつつ、ロザリアは彼の背後に回ると、肩に手を当て椅子へと座らせる。
そして、肩で息をするカッシオの耳元で、甘い香しい吐息を零し、囁く。
「カッシオ様を辺境の地においやったのはアウローラ様の策略。帝国を乗っ取るためだった。切れ者であるカッシオ様はそのことに気が付き、敢えてこの地に身を費やした。帝国に反逆するアウローラ様を倒すために、ね」
実際にアウローラにどのような思惑があり、カッシオがどういった考えだったのかは関係がない。そう見せるというのが大切であった。
「ここでアウローラ様を倒せば、カッシオ様は英雄よ」
「このオレが……英雄」
「そう。反抗の意思を事前に察知し、潰したまごうことなき英雄。カッシオ様は帝都へと凱旋し、帝国の誰もが、貴方を褒め称えるわ」
カッシオの脳に染み渡るのは、甘い毒か。それとも、ただの蜜か。
蠱惑的なロザリアの言葉は、カッシオを奮い立たせるのに十分な効果を発揮した。
怒気は霧散して宙に消え、新たに沸き上がったのは英雄願望。喝采され、皇帝となる己を夢想し、カッシオの胸中を得も言えぬ高揚感が満たした。
「くく……くはははははははっはははっ!! ――素晴らしい! 皇帝となるオレに相応しい舞台ということか! おい、貴様!」
「は、はいっ!?」
突然呼ばれた兵士は、慌てて返事をすると立ち上がる。
「出陣の準備をしろ! 今回はオレも出る!」
「し、しかし、皇子の身になにかありましたら」
「口答えをするな! それとも、貴様の首から跳ねてやろうか!?」
「ひぃっ!? も、申し訳ございません! 直ぐにご準備致します!」
殺されてはたまったものではないと、兵士はカッシオから逃げるように執務室から去っていく。
兵士への興味を直ぐになくしたカッシオは、下卑た笑みを浮かべる。
「くく、アウローラがこのオレに首を狩られる瞬間、どのように惨めに泣き叫ぶか、今から楽しみでしかたがない……」
興奮が抑えられない様子で、カッシオもふらふらと部屋を出て行った。
残されたロザリアは一人紅茶を飲みながら、ちらりとカッシオが去っていった後を目で追った。
「……そろそろ切り時からもしれないわね」
カップの紅茶は温く、冷めきっていた。
~~
準備を終えたカッシオは、兵士を引き連れて屋敷を飛び出すと、馬に乗って駆けていく。
「くはははっ! アウローラぁああっ!! 英雄たるこのオレが罪人である貴様を斬ってくれよう!」
カッシオの頭の中には、自身が勝利した後のことしかなかった。
どのようにアウローラを貶めようか。どれだけの人が自身を英雄として崇め湛えるのか。
アウローラがどれだけの勢力を率いて、どのような策を用意しているかなど考えもしない。なぜなら、皇帝となるべき己が死ぬことはないと、根拠もない自信を持っているから。
彼にとって世界の中心は己であり、他の者は頭を垂れてカッシオに奉仕するための存在でしかなかった。
しかし、カッシオが抱いた妄想は、立ち塞がった現実によって呆気なく霧散する。
アウローラが陣を構えているという町の正門へと駆け付けたカッシオは、町の外に広がる光景に愕然とした。
「な、なんだあの……化物はっ!?」
アウローラが率いる騎士団の前に、巨大な竜に似た怪物が待ち構えていたからだ。
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