タピオカVS京都
五三六P・二四三・渡
第1話
太陽が亀岡の方向の山々の陰に隠れ、すっかりあたりは暗くなりったころ、鴨川沿いの店に明かりがともり始める。
もう二十時だが、湿度の高さからか、空気に触っているかのような、うだる蒸し暑さを感じる。
川端通の並木が、道からはみ出て、河川敷に顔を出し、その隙間から星々が見えた。路上バンドが民族楽器の演奏をしており、ギャラリーの反応も上々だった。
対岸の遊歩道を挟んで流れているみそぎ川に覆いかぶさるように、川床を備えた店が並んでいる。
鴨川に料理屋の光とシルエットが映し出される。それらを遠くから見るとまるで鴨川が大河に見え、対岸自体が巨大な屋形船のように見える。
そんな景色を見なが
甲山がヤクザに拉致られて、事務所に連れこまれたのは数分後だった。
◇ ◇ ◇
「
いかつい顔が並び、いかつい声がかけられる。四方を明らかにカタギでない男たちに囲まれ、甲山はパンイチで背座させられ、縛られていた。
甲山は目を瞑り、そして次に目を開けたら、何もかもが解決していないかという期待を込めて祈った。
隣の部屋では男が猫なで声で数千万円を振り込んで欲しい云々という言葉を電話に向かって話していた。
「おいこら、何だまっとんのや。せっかく申し開きん機会を作ってやってるんがわからへんのか?」
よく言う。どうせ許すつもりなんてないんだろう。
たしかにブルって逃げた俺も悪いが、今更鉄砲玉なんて流行らないんだよ。そう啖呵を切りたかったが、震えて声が出ない。
黙っていると、木刀が顔に振り落とされ、倒れこむ。顔面に切り傷が出てきた。
これで4発目。
事のあらましを説明するのは簡単だ。甲山は東京のチンピラで、組に鉄砲玉を命令されたが、怖くなって京都まで逃げてきて、それで系列の組につかまるという流れだった。
何か深い事情があるわけでもなく、ただ怖かっただけだ。
と、自己嫌悪に浸っていると、新たに一人、男が入室してきた。少し良いスーツを着ており、それなりの高い地位にいるのが察せられる。その男が言った。
「まあ、もうええ。『本気でワビ入れて、もう一回ちゃんと鉄砲玉やれる言うんやったら許してやる』って向うさんから連絡あったわ」
その男がスマホをいじりながら言った。有名ソーシャルゲームのBGMが鳴っている。
「なんや甘いのう」とチンピラが答える。「愛宕山に埋めてやればいいのに」
「あんな場所埋めてもすぐばれるわアホ」
甲山は息をのむ。
どうやらチャンスらしい。もう一回やれとか言ってるが、今度こそ逃げおおせて見せる!
頭を勢いよく下げて煙草の焦げ跡のついた床にこすりつけた。
「本気で反省してます! 鉄砲玉でも何でもやります! だから許してください!」
「血の付いた顔を、床にこすりつけんな。汚れるやろ」
そう言いながらも、甲山の顔は踏みつけられて、より床を汚すこととなった。
うめき声をかける甲山に、少し偉そうな男――おそらく若頭だろう――が覗き込んだ。
「言葉だけなら何とでも言えるわな。誠意を見せてもらわんと」
男はそう言いながらドスを甲山の目の前で振って見せる。
「え、エンコ詰めですか……!?」
「ちゃうちゃう。そんな時代遅れのことせえへん。最近は別のモンを切り落とすんや」
そういうと若頭は甲山の胸部のピンク色の物体に刃を当てた。
「これを切り落とせ」
一瞬何を言われたのかわからなくなる。その言葉を頭の中を反芻しているうちに、意味を理解し、冷や汗が額が流れ出た。
「え? え? ちょっ、何言ってるんすか? そんなもん切り落として何の得になるんすか?」
「意味があまりないからや。最近のヤクザは器用さもひつようでな、指を切り落として、役に立たなくなっても困る。男のやつなら使うこともないしな」
「そ、そんな……」
使うことがないだって?
確かに多くの男はそうかもしれない。
だが甲山はそうじゃない。
かなり開発していたのだ!!!
「それだけは勘弁してください! 他のことなら! 他のことなら! 他のことなら何でもするんで!」
「他のことなんてあらへん。亀岡の山に埋められるか、お前の胸のタピオカ切り落として、ミルクティーに混ぜて売りとばすかや」
「タ……タピオカ……」
「ええか? よく考えて選べよ。このまま死ぬか。少し痛いのを我慢して、後はヤるときに彼女に馬鹿にされる程度か」
いや、そもそも切り落とされても、鉄砲玉に駆り出されて死ぬ可能性があるんだが。
しかし、それでも甲山は目の前の死の恐怖は絶対的なものと映り、少しでも先延ばしにしたいという欲求があった。
甲山は数分後、胸のタピオカを片方切り落とすこととなった。
◇ ◇ ◇
胸から痛みが脈打つように流れている。
遠くから下品な馬鹿笑いが聞こえていた。
雑な手当てをされて、倉庫に転がされた甲山は、絶望に打ちひしがれていた。
これでも甲山は一生片方しかタピオカの開発が出来ない体になってしまったのだ。両方でないとうまくいけないというのに。
憎い。
あいつらが憎い。そもそもの話、ヤクザになんてならなかったらよかったのかもしれないが、そんなことより自分の胸部の一部を切り落とすことになった直接的な原因が憎い。
だが無力だ。何もできない。
元来喧嘩は得意ではなかった。しかし何事も追いつめられるとやれるという自己評価があったために、ヤクザになってしまえば、肝が据わると浅はかに考えたのだが、特に変わらなかった。
(仕返しをしたいか?)
「ああ、そうだとも。仕返しがしたい。……? 今誰が話しかけたか?」
この倉庫には誰もいないはずだ。
だが声が響いている。
(私は生まれた時からお前と共にあった存在だ)
「生まれた時から共にあったもの……? なんだと? どういうことだ?」
(そしてお前が今失ったものだ)
今失ったもの。それは一つしかない。
「まさか……」
(そうだ。私はお前の胸のタピオカだ)
「俺のタピオカだと!?」
(お前は仕返しをしたいと言った。ならばその夢をかなえよう)
「待て! 俺は何も……」
次の瞬間大きな悲鳴と爆発音が聞こえた。
甲山は痛みをこらえながらも、立ち上がって、倉庫から脱出し、事務所に向かう。
「うあああああああああああああ!?」
そこには地獄絵図が広がっていた。
ヤクザたちは倒れ伏し、壁には穴が開いていて、そこら中に血が飛び散っていた。
そして一番目立つのは巨大な化物だ。
象ぐらいの大きさのウミウシに見える。肉で出来た少し分厚い円盤を折りたたんだような姿で、背中部分にイボのような突起が付いている。
そして次の瞬間、それは甲山の胸から切り取られた、タピオカだということに気が付いた。
「まさか……さっきの声は本当にお前だったのか……!?」
『いかにも。さあ存分に暴れてやろうぞ我が主様よ』
「やめろ! 確かに先ほどはああいったが組に喧嘩を売るなんて正気じゃない!」
『くくく、そういうと思っていたよ。だが私はもうお前から解放された身。命令など聞かんよ。主にやる気がないのなら私一人でもやってやろう。この京の町を壊しつくしてやろう!』
「やめろおおおおおおおおっ!」
タピオカは勢いよく室内から飛び出し、京の街へ飛んでいった。
タピオカは大きく飛び、そして跳ねながら。建造物を食い散らかす。
一度跳ねるごとにその巨体故、地面が大きく揺れた。
高瀬川沿いを南に進みながら、タピオカは次第にその体を大きくしていった。
タピオカが四条通に着くころには、既に道路を飲み込むほどの大きさになったのだった。
タピオカが跳ね、〇I〇Iの壁を蹴り、西側に曲がる。
四条河原町から四条烏丸の間の通りは近年工事により、車道を狭くし歩道を広くした。そのせあってか、逃げ惑う車が車道に突っ込む。あちらこちらで悲鳴が上がる。いくつもの車がタピオカに突っ込んだが、軽くひるむ程度で、動きを止めることは出来なかった。
四条大宮に到着したころになると、その体はビルの大きさを越えることとなった。
そこまでのことになっていると、甲山は認識していないが、それでも穴の開いたビルで、ようやく焦り始める。
「このままでは京都が滅んでしまう……どうすれば……」
(聞こえますか……何とかしてほしいですが?)
「今度は何だ!」
また声が聞こえる。今度は自分の胸のあたりからした。
(あなたの残ったほうのタピオカです)
「もう驚かないぞ……しかし、あいつを何とかしてくれるのか?」
(私を切り落としてください。そうすればあれと戦えます)
もう片方のタピオカを切り落とす……
それはもう一生絶対に開発が出来ないということになる。
「くっ……」
(何をやってるんですか! このままでは多くの人が死にます! 取り返しのつかないことになりますよ!)
「しかし……」
(速く!)
「わかった……ええいままよ!」
甲山は勢いよくタピオカを切り落とした。
うめき声が口から漏れ出る。血にまみれたタピオカが床に落ちた。
甲山は名残惜しそうにそれを見つめた。
「さよなら俺のタピオカ……」
(ありがとうございます)
「ああ、これで京都は救われるんだな」
しかしタピオカからの反応はない。切り落とされたショックで、死んでしまったのだろうか。
「おい、大丈夫か!」
『くくく』
タピオカが低い声を出した。あまりの代わり様に、甲山はたじろく。
「何なんだ一体!」
『ふはははははは馬鹿ですかあなたは! 今さっきタピオカに騙されたというのにまた騙されている!』
「なんだと!」
『これも私も自由だああああああああ!!』
「よくもだましたなああああああああああああ!!」
タピオカが膨れ上がっていく。
甲山が慌てて逃げる。しかしヤクザの死体にけつまずいてしまった。
間に合わず、甲山は頭からバリバリっと喰われる形となった。
◇ ◇ ◇
一方そのころ、甲山の左タピオカは、今出川通りを平行に、家々を潰しながらを東に進んでいた。
タピオカに踏みつぶされ、京の街は大きな打撃を受けている。しかし巨大タピオカ出現から一時間もたっておらず、自衛隊の出動には時間がかかりそうだった。
左タピオカが鴨川に出る。建築資材だけでは水分がまかなえなかったのだ。
出町柳の高野川と賀茂川の合流地点でタピオカが体を休めている。
そんなときに、鴨川の下流から巨大な影が現れた。
左タピオカほどの大きさはないが、全く同じように肉厚の円を半分に畳み、巨大なイボのようなものを背負い、襞を動かすように歩いてきていた。
甲山の右のタピオカである。
右タピは大きく飛びあがり、左タピに襲い掛かった。
――速い。まだそこまで巨大化していない故、動きに余裕があるようだ。
左タピはよけ切れず、体勢を崩す。鴨川デルタに倒れこみ、堤防に傷をつけた。
瀑布のような水しぶきが上がる。
しかしこの体格差は大きく、力によって右タピは跳ねのけられ、空中を舞った。
出町柳駅に激突し、大きく周辺に損害を与える。
それを見物人たちは思う。
見たところ、大きいタピオカのほうが優勢のようだ。せめて、大きな傷を与えてから小さいほうのタピオカはくたばってほしいと。
その願いが叶うかはどうかとして、次の右タピの一手によって左タピは大きく傷を負うこととなる。
右タピのイボ部分から白い液体が噴出した。鯨の潮のように吹きだされたそれは、雨としてあたりに降り注ぐ。
母乳である。
甲山は男性である。母乳は出ないはずだが、なぜこんなことが起こっているのか?
それは甲山が長年自分のタピオカを開発してきたため、ホルモンバランスの胸部の二つの桃色の突起は、メスタピオカへと変わっていたのだ。
また突然変異したタピオカ故、その母乳には強酸の性質を持っていた。あたり一面が溶かされ、見物人たちは悲鳴を上げた。左タピオカも大きくダメージを受け、そこで勝負は決したのだった。
右タピは倒れ伏した左タピに覆いかぶさる。
そしてあたりを突起から噴出した糸を噴出して、繭のようなもので二体を覆い始めた。
そこからしばらくの間、動きはなくなる。
一日後自衛隊が到着し、戦車が出町柳周りを取り囲み、繭の調査に乗り出した。
そこでわかった事実は、世界を震撼させた。
なんと繭の中にタピオカの卵がびっしりと植え付けられていたのだ。
爆発命令がなされたがもう遅い。それよりも早く、子タピオカたちの産声が京都に鳴り響いた。
京都を……いや世界の運命を決する戦いが始まろうとしていた。
タピオカVS京都 五三六P・二四三・渡 @doubutugawa
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