第11話 故郷で C
「そしておれは記憶に蓋をした。真人が死んでいることに目を逸らしたんだ。……独りになるのが、怖かったんだ」
渚の声は震えていた。
そうか。街で見たあのニュースはこの事故だったのだろう。列車の脱線事故。俺も死んで、渚の家族も死んで。なんて厄日だ。
「だからおれ、幻を見ていたんじゃないかって。真人と会ったこの数日間、全部夢だったんじゃないかって」
渚は顔を上げた。
「嬉しかったんだ。真人が帰ってきたとき、心の底から」
顔を綻ばせた。ぐしゃぐしゃの笑顔で、どんな返事をしろというのだろう。
「さて、次は真人の番」
「俺の?」
「うん、なんで今ここに居るのか。説明してくれないとね」
長くなる、と注意してから、渚へ伝え始めた。
「何だか夢みたいな話だね」
と、渚は俺の話を締めくくった。
「恨んでいる?」
唐突な疑問に、何を、と聞き返すと
「おれが祭りに誘ってなかったら、真人は死んじゃなかった。だから、恨んでいるんじゃないかって」
確かに渚に誘われなければ祭りに足を運ぶことはなかっただろう。だがそれが死に直結したわけじゃない。自分はあの時、死を避けることもできた。迫りくる鉄骨から少女を押しのけて、俺がその代わりとなった。自分を犠牲にすることを選んだのは俺自信なのだ。誰が責められるべきことではない。
そう伝えると、渚は僅かに微笑んだが、伏し目がちなのは変わらなかった。
「いや、やっぱり恨まれるべきだ。おれは、みすみす、真人が救った彼女を――」
その時、ケータイが揺れ動いた。着信だ。ユイからかかってくることなど滅多にないのに。
「もしもし」
『おうおう随分と悠長だな! おい!』
その声には緊迫したものが伝わってきた。
「ど、どうかしたんですか」
『どーしたもこーしたもないっての!』
『シエラちゃんが捕まった』
『どうなってるんだ真人クン。一緒じゃなかったのか。……おい真人クン、おーい』
捕まっただって? ――天使だろう。俺がシエラを見ていなかったから、その背中を見送るがままだったから。
「真人? それ、ユイさんって人だろ? なあ、何だって」
隣で渚が肩を揺らしてくるが、言葉が出てこない。どんな思考も歪んで、正常に動かない。
「ああ、もう!」
渚が力づくで俺からケータイを奪って、スピーカーモードにした。渚とユイの会話が聞こえる。
「渚です。放心状態の真人に代わってお聞きします」
『――ああ、君は』
「あの、シエラちゃんが、どうなったんですか」
先程の漏れ出たユイと俺の会話が多少聞こえていたのだろう。渚は締まった顔つきでユイに尋ねた。
『捕まったんだ。一目見たから間違いない。と言っても、遠目で、一瞬だけだけど。あれは間違いなくシエラちゃんだった
「そんな……、なんとかして助けることはできないんですか!?」
渚が身を乗り出して問う。
数秒の間。
ユイが逡巡し、出した答え。
『――無理だ』
切迫した声から、落ち着いた声音に切り替わったそれは、疑わずとも真実だというのがわかる。
『シエラちゃんは重罪人だ。天使の警備も厳しいだろう。それをかい潜って救出するのは――不可能だ。諦めろ』
天使の恐ろしさを知っている俺だからわかる。天使に対し、逃げることがやっとだったのに、対面し戦うとなれば、命がいくらあっても足りない。天使という鋼鉄の牢に閉じ込められたシエラを救うには、力も数も遠く及ばない。
『もうすぐ君の元にも天使がやって来るだろう。その世界に長居してると、君もシエラちゃんと同じ目に遭うだろう。加えて、私もあまり時間が無いんだ。今、私も逃げおおせてる最中でね。何とか撒いてはいるが、そう、長くは続かないだろう』
「ユイさんもカギを使って逃げてください!」
渚はそう言うが、ユイは軽く笑って受け流す。
『逃げられないよ。少なくとも、私のカギじゃね』
「何を――」
『あと一回だ。一回だけ、世界を移動させてあげよう。それで、幕引きだ』
ユイはそれきり黙り込む。息が跡切れ跡切れになっている。天使の手から逃れるのは容易ではない。その尋常ならざる疲労は想像できる。
あと一回。それが現実的な回数だった。
天使に捕まればどうなるだろうか。
天界逃亡は重罪だという。下される罰は、死ぬよりも辛い事。そうユイが語っていた。
このままこの世界に居座れば、天使に捕らえられるのは明白だった。だが、世界を移動したとて、もうそれ以上世界移動の機会は無い。いずれにせよ、天使から逃げれるはずもない。
だけど俺は、自分の身を案じてはいなかった。死ぬよりも辛い目に遭う。それは捕らえられたシエラにも同じことが言えるだろう。
シエラを見捨てて、一人で別の世界に逃げ込んで。
そんな臆病なことがあるだろうか。
何か、何かあるはずなのだ。シエラを救う方法が――。
「……そうか」
一つだけ、ある。だけどそれは根本的に大きく間違っている。正しくはない。――だが、それでいいのだ。だって俺は、初めから正しくなどないのだから。
「シエラの世界に行く」
「でも、天界は――」
「天界じゃないよ。でも、シエラが居る世界だ」
渚が首を傾げる。
『なるほど』
――シエラちゃんの元の世界、か。
そう。シエラが一の生を全うしていた世界に行く。今のシエラではなく、今に行き着くシエラの下へ向かうのだ。
シエラが死んでしまった原因を取り除くことで、シエラを救うことができるだろう。
『だけどいいのかい。それは君が救いたかったシエラちゃんではないよ』
「……わかってます」
俺が救いたかったのは、絶望の淵に立たされたあのシエラだ。元の世界にいたシエラではないのだ。それが根本的な違いだった。
「でも、いいんです。シエラが救われるなら」
『――ははっ。好きなだけの女の子にそこまでするかねぇ』
ユイの言葉に少しだけ笑った。
『渚クン、いるかい?』
「え、ああ、はい。すいません、何がなんだか」
『それも含めて説明するよ。ただ真人クン、君は席を外してくれ』
「……はい?」
『重要な作戦会議だ。君には聞く権利がない』
「だってよ真人」
渚が追い払うような手振りを見せる。一体全体何だというのか。どうせまた、禄でもないことを思いついたに違いなかった。
「わかったよ……」
まあ渚ならそう悪いこともしまい。
渋々、渚から離れていった。
「終わったよ」
渚が声をかけてくる。少しぎこちないように見える。何か吹き込まれたか。
「何だって?」
「なんでも。真人は気にしないで」
本当に気にしないで欲しいのなら、ありのままの全容を話すべきだと思うが……残念ながら渚は口が堅い。黙る、と決めたことには意地でも貫く。それに問い詰める時間もありはしない。
「準備はできてるらしい。いつでも行けるって」
「わかった」
首元の金色のカギを触る。これが最後なのだと思うと、どこか寂しく感じる。
ゆっくりとカギを空間に向け回していく。
白い光が集まってくる。ただただ淡く、白い。どう染まるのかも、わからぬ色だ。
「これがトビラ、かあ」
「渚も行くのか?」
「ああ、そういう手はずだからな」
「……変なことすんなよ」
「そっちこそ失敗はなしだよ」
足を踏み入れていく。
希望も不安も、その白は包み込んでいく。その先にある道さえ塗りつぶすようなものだった。
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