第9話 故郷で B
「おはよう真人」
「……おはよう」
再び目を覚ますと、渚の顔が映り込む。少し潤んだ瞳を袖で拭く。
「さ、そろそろ帰らないと祭りに間に合わない。駅まで行こう」
渚は颯爽と歩き始める。ふと、視線を感じ振り返る。その視線の先にはシエラがいる。少しだけ目があったような感覚を覚えながら、気のせいだと一蹴し、渚の後を追っていく。
「時間が無いんじゃないのか」
「時間だけに囚われてちゃ何も始まらないのも事実だよ」
「たこ焼き頬張りながら言うセリフじゃないだろ……」
駅に戻る道中、渚はたこ焼きを購入していた。デパートにて小走りだったのは小腹が空いたからだったかもしれない。
たこ焼きは俺にとって嫌な思い出がある。あの、少女と黒い塔を思い出す。あの少女は今、何をしているのか。どのように成長しているのだろう。ユイさんのようにひねくれていないといいのだが……。
「ほらよっ」
「……! もがっ……!」
渚が突然たこ焼きを俺の口へと突っ込ませる。熱が舌を直に伝わる。
「は、はふっ……! 馬鹿、お前!」
「はははっ」
「ふ、ふふっ」
耳に聞こえたのは二つの笑い声。その内一つは、驚く程に綺麗で――。
「……え?」
そんな、何で。
振り向いて、彼女の顔を直視する。彼女の、シエラの笑顔を。
「シ、シエラ……」
「楽しいね、真人君」
突然のことだった。何がきっかけなのかさえもわからずに。
手放しに喜びたい。だが、声が出ない。体が硬直して、頭もろくに回らない。人間はきっとそうできている。あまりに信じられないことが起きた時、これは正常なんだと異常な判断をするように。俺もきっとそんな反応をしていて。
ただ頭の奥底では理解をしているのだろう。だってこんなにも涙が溢れてきて、笑みが溢れるのだから。
大きく、息を吸って。
「……帰ろう。シエラ」
必死で探して出た言葉はそれだった。
これが正しかったんだ。夢を叶えるとか、願いを叶えるとか。そんなものに取り繕わないで。日常を生きて、笑って。そうすることが何よりのシエラを救う方法だったんだ。
積み上げてきた二年の月日と、旅の苦労なんてどうでもいい。感じているこの今という時を、心に刻み込んだ。
シエラはいつものように無言で頷く。それなのに、何よりも嬉しかった。
*
夢ではなかろうか。悪夢ばかり見る自分に訪れた幸運な夢。意識がはっきりした頃には既に渚の家へと着いていた。玄関にずっしりと買いあさった本を置く。シエラと会話をしようとしたが、渚に一足先に公園へ向かうよう言われた。渋々俺は了承し、公園へと向かった。シエラは浴衣に着替えた後に渚と共に来るようだ。
外は夕暮れが近い。ちらほらと町を歩いている人達がいる。笑顔が花を咲かせ、その足取りは軽い。事故によって祭りが弔いの儀式のようにならないで良かった。笑えない話だけれど。と、思考していると、そういえば自分がこの世界で死んでいることに気づいた。どういう訳か渚はそのことを知り得ないようだったが他の住民は話が違うかもしれない。
「後でお面でも買うか……」
その時にバレなければいいのだが。
お面を買い変装をする。狐のお面はどうにか自分の顔にはまった。目の部分に穴が開いているから視界に困ることもない。
住人からは少しだけ訝しむ目が向けられるが、まあ仕方のないことだ。目立つことさえしなければ何を言われることはないだろう。
公園の端に一人座っていたが、
「おーい!」
と背後からかけられた声に振り向く。
そこには渚と、その後ろに隠れるシエラが居た。
「お待たせ」
「待ってないよ」
嘘だ。首を長くする程待っていた。
「お面なんてつけて早速楽しんでるね」
「ま、まあね」
そう受け取られても仕方あるまい。事情を説明する訳にもいかない。
「んじゃ、早速お披露目といこう。腰抜かすなよ?」
「抜かさないよ」
渚は後ろのシエラを前に出るよう促した。
シエラはすっと、出てくる。
その浴衣は藍色を基調としており、その所々に朝顔を咲かせている。朱色の帯がよく映え、シエラの華奢な体をよりくっきりとさせているものだった。
いや、ベタな言葉ではあるが、朝顔と同じように花開いているのはシエラなのかもしれない。
周囲の目が凄い。道行く人達がこぞってシエラを見ては目を丸くする。
金色の髪は小さくまとめられ、くりくりとした赤色の瞳は気恥ずかしさからか少し揺れていて。
まさしく、この場に咲いた花、なのだろうか。
「……」
言葉を 失っていた。胸の鼓動が熱くて早い。呼吸さえ、ままならなくて。
腰を抜かしそうになった。
「おれのことは放っておいて二人で仲良くしなよ」
「え、ちょ、ちょっと待ってくれよ」
俺は夢中で渚の袖を掴む。
「いやいや、折角なんだからさ」
「とは言ったってな……!」
横目でシエラを見る。その目としっかりと合ってしまった。その視線を外すことができない。面と向かい合うと気恥ずかしさで潰されそうなのに、ずっと見ていたいという衝動に駆られる。
「行かないの……?」
シエラが頬を赤く染めて、小さな声で呟いた。
「……」
……行きます。
いやー凄い騒ぎになってるね。
「オーラ出てるもんなぁ……」
外国人の浴衣姿、ってだけで目立つものはあると思うが、その上容姿端麗ときたものだから、周りの目を奪うのは必然と言っていいだろう。
可愛いとか、綺麗……とか、あちこちから聞こえてくるし。今夜真人が闇討ちでもされそうでもある。
おれは公園の遊具近くで真人とシエラの二人を見守っていた。いや、見守ることしかできなかった。あの二人には独特で奇妙な繋がりをどこか感じて。自分が入る隙間なんか少しも無いような気がする。
手は繋いでいないし、会話もたどたどしいように思える。でも、端から見れば十分だ。時折、シエラからも笑顔が溢れている。
シエラちゃんに真人の姉の話をして、それからシエラちゃんは変わったように思える。無表情から思い悩むようなものが感じられて――今はこうして笑顔を浮かべるようになった。やはり真人のことを気遣ってのことだろうか。自分自身と真人の姉を感じ取らせないように、辛い想い出を思い起こさせないために。
うんうん、とおれは呟いた。
あの二人が幸せなら、それでいい。
悔しさももちろんあるけれど、友人が幸せを感じているのなら、自分の感情など些細なことだ。
「……さて」
おれはおれのことを始めるとしよう。
久しぶりに祭り荒らしと言われたその実力を見せてやるとしよう……!
「ん? そこの君は」
と、久しい人物がそこに居た。
「渚君じゃないか」
「村長のじっさん!」
年老いた声とは対象的に鍛え上げられた肉体。間違いなく、この鳩村の村長だった。
少し背が丸まったように見えるが、まだまだ元気なようだ。
「お久しぶりです。すいません、挨拶もいかずに」
「気になさらんな。こうして顔を見れたことが何よりだよ。――急に街を出た時は村のことを嫌いになったのかと思ったからね」
「そ、そんな。向こうにいるときもこの町のことを想っていましたよ」
真人に会いに行くという目標もあったことだし。
「あ、そういえば」
先程から疑問に思っていたことを村長に聞く。
「あの鉄塔はどうしたんですか?」
鳩村祭りといえば、というあの鉄塔はどこにもない。
もう踊りが終わり、鉄塔は片付けられたのだとしても、公園の中にないのはおかしいだろう。
「……知らないのか?」
「知らない?」
何を?
「そうか……。葬儀にも君は居なかったな。連絡がうまくいっていなかったのか」
「あ、あの。葬儀って、何なんですか?」
聞くんじゃない。
そんな声が頭の中に反響する。
おれは知らない。知らない。知らないでいたい――。
じんわりと汗が額につたる。
「真人君はな、六年前に――」
ほら、やっぱり。
聞くべきじゃなかった。
*
一時間程で祭りを堪能した。やはり大したことのない規模だ。射的に金魚掬いに冷えたラムネ。どれも祭りの定番ではあるが、それ以外の催しがまるで無いのはいささか問題ではないかと思える。いやもう少しシエラと遊んでいたかったというのが事実なのだが、他に時間を潰すものが無い上に、やはり周囲の目を引くこともあって、退散することとなった。
俺たちは渚の家へ戻ることにした。家には着いたが、渚そこにの姿は無かった。気づけば公園にも居なかったことだし、どこかほつき歩いているのだろうか。渚の安否は二の次としても、俺たちには問題がある。そう、家に入れないのだ。鍵は渚が持っていることだし、俺が持つカギは何でも開けれるほど万能じゃない。しばらく俺達は立ち往生するはめになった。
確かにこうして二人の時間がまた生まれたのは喜ぶべきことだ。。だが、今こうして変化を見せたシエラとの距離感を俺は掴みそこねていた。二人が夢中になって祭りを楽しんでいた時とは打って変わって、どんな風にどんな事を話せば良いのか、頭が沸騰するようで言葉一つ出てこない。
気まずい沈黙にいてもたってもいられなくなった俺は提案をした。
「星を見に行かないか?」
前の世界では星を見せたところ、シエラに難色を示されたこともある。それは建前のようなものだったがこの空気感が払拭できるなら、まあ何でも良かった。
シエラは顔を綻ばせ、その提案を受け入れた。
渚の家から歩いて数分。元々立地が高いこともあって、町を一望でき、見上げれば星も広がる景色を見つけることができた。
七月七日。織姫と彦星が出会う日。その日が過ぎれば、再び分かたれてしまう。そんな話をシエラは神妙な顔つきで聞いていた。
自分が持ちうる星座うんぬんのエピソードは決して多くも深くもないが、それでもシエラは真剣に聞いてくれた。
話すことも尽き、どうしたものかと考えた時、唐突に思いつく。
「シエラ」
と声をかければ、黄色い髪が揺れた。
「願いを叶えた答えは何だ?」
もう呆れる程繰り返してきたこの言葉。
そして、答えはいつも決まって――
「幸せ」
「……え?」
「幸せだよ。心から」
いつも決まって、つまらないね、と言うのに。
感情などほぼ出すことのない表情を浮かべながら、そんなことを言うはずなのに。
幸せ、なんて。
笑顔を見せながら、本当に幸せそうにするものだから。
不思議と、涙が溢れてきた。人は悲しくなくても涙が流れるときがあるのだ。
涙を手で拭い、シエラと向き合う。
「気づいたことがあるんだ」
シエラは、
「何を?」
と次の言葉を促してくれる。
「自分が旅をしていた理由を。俺、シエラと姉ちゃんを重ねてたんだ。実際、初めて会った時がそうだった。だからこそシエラを天界から連れ出した。それで二年間、俺はシエラを助けたいのか、それとも重ねた姉を救いたかったのか、ずっとわからなかった」
でも、と俺は意を決して言葉を繋げた。
「違った。俺はきっと――シエラのことが好きだったんだ」
初めから、かどうかはわからない。
だがシエラの笑顔を見て気づいたのだ。求めていたのは、シエラが相好を崩し、はしゃいで、泣いて、そんな普通の女の子みたいなシエラと、叶うなら傍に居たいのだということ。
早鐘の熱い胸と紅潮する顔が、その感情の何よりの証拠だった。
シエラは面食らったように、口を開けて呆けている。赤い目を丸くさせて、時でも止まったようにじっとこっちを見つめて。
「ご、ごめん。こんなこと突然」
「う、ううん。大丈夫」
気恥ずかしさで息が詰まるようで、シエラから目を反らした。その動作が同時に被って、お互いがどんな顔を浮かべているのかわからない。
それから音のない時間二人の間に居座る。どんな言葉をかけるべきか、どんな反応をするべきなのか、答えわからず黙ったまま。シエラを横目で見るが、その顔は伏せていてわからない。こんな時にあの無表情を浮かべてくれていたらどんなにいいか。踏み込む勇気も。いつもの調子に戻るきっかけも掴めずに、ただただ時間が流れていく。
このままではいけない。そう思った矢先、不意にあの言葉を思い出した。お決まりの台詞だった。
「次の願いを言ってくれよ」
「え?」
「まだ旅を続けなきゃいけないでしょ。だから、次の願いをさ」
終わりのない逃避行。たとえ意味なんてなかったとしても、続く限り。シエラが望む場所なら、どこへだって。
だから俺はシエラに次の願いを促した。
でも、応えた言葉は驚愕させるに十分なものだった。
それはあのときの「死にたい」という言葉ではない。
しかし、それ以上の絶望を与える一言。
「もうこの旅は終わりにしよう」
と、シエラは言い放ったのだ。
*
祭りが終わった。道に照らされた提灯が少しづつ、その灯りを消していく。
一人暗がりの中にいる。月と星が僅かな光源となっておれを照らしている。でもそれは温かくなんか無い。まるで佇む罪人に当てられた、追求のスポットライトのように感じられる。
村長が言った言葉。
――死んでしまった。
おれを呆然とさせ、その場で立ち尽くさせた。
そして、嘘だ、という言葉で頭を埋めた。
でも、足は少しずつ動き出す。真実を知るために。
いずれ辿り着いたのだ。
墓場だった。鳩村の唯一の墓場。鳩村で死んだ人達が眠る場所。
初めて来たはずなのに、見覚えがあった。初めて来るはずなのに、迷うことはなくやって来た。
何故だろう。
おれは進むべきではないのかもしれない。
このまま真人と過ごすのが、正解なのかもしれない。
でも、同時に、知るべきだとも感じるのだ。
この心に巣食う不安の正体は何なのか。
だから、俺は歩を進めた。
少し歩いて、人を見つけた。
一つ墓の前に二人、手を合わせている。
こんな光景を前にも見た気がする。
そして、こちらを向いた。その顔には見覚えがあった。
真人の両親だ。
「……こんばんは」
おそるおそる声をかける。
「こんばんは」
涙は流していない。その代わり、疲れきった表情をしていた。
二 人の元へ歩いていく。
線香の香りがする墓を見た。
『柊真人』。
そんな名前が刻まれた墓を、見てしまった。
*
「やめようって、……え?」
聞き取れた。しかし容易には呑み込めない言葉だった。
シエラが、旅の終わりを口にした。
次 の願いではなく。いや、旅の終わりこそが願いとでもいうのだろうか。
「な、なんでまた」
激しい動揺が襲う。
「私を救っても、意味なんてないよ」
意味はない。自分が何度も反芻していた言葉。
「私が幸せになって、真人君も幸せになって、二人とも報われる。そんな旅は私もいつまでも続いて欲しいよ。でも、いつか終わっちゃうんだ。報われることのない終わりが、来ちゃうんだよ」
「……それって、どういう?」
一体シエラは何を知っていて、俺は何を知らないというのだろう。
「……じゃあね」
そう言ってシエラは駆け出してしまう。
「ま、待って!」
シエラは振り返ることすらなく、ただ闇に消えていく。
俺は追いかけようとするも、体が泥にまとわりつかれたように重く感じられた。
自分にとって旅を続けた理由の答えがシエラへの好意だったとして、逆にシエラは何を思ってこの旅をし続けたのだろう。それはシエラが変わろうと変わるまいと同じだったのではあるまいか。
シエラにとってこの旅に意味はない。
俺が自分勝手にシエラを連れて、シエラの変化を自分勝手に願って。シエラにとってその変化が何だという。シエラは一度だって救いを求めたことはなかった。死を願い続けていた。シエラの事を思うのなら――心の底からシエラだけを思うのなら、その願いを叶えてあげることこそが、本当にとるべき行動だったのではあるまいか。
結局は、全ては自分のため。
姉とか、好意とか。そんな行動理由はどうでもいい。
自分の意思だけを優先して、シエラの事を――何も考えてあげられなかった。
俺は動けないまま、シエラの言葉だけを頭で繰り返すだけだった。
*
ふらふらとした足取りで家に着いた。中を見ても当然シエラの姿はない。代わりにうなだれた渚がそこに居た。
「おかえり」
そう言う声も力無い。
「ただいま」
「あれ? 一人なの?」
「まあ、その……色々あってな」
俺はどうするべきだったのだろう。あの背中を追いかけるべきだったのか。いやきっと、俺にはその権利さえありはしない。もうこの手で引かなくてはならない意思のないシエラは、いないのだから。
「ねぇ、本当に真人、なんだよね」
突然渚は妙なことを聞いてきた。
「……何だよそれ」
「おれ見てきたんだ」
「何を?」
渚はおそるおそる俺に指を差し向けてきた。
「真人の墓を」
「……」
「ずっと何か引っかかってて、ずっと感じてた違和感があったんだよ」
「違和感、か」
「うん、ちょっとだけ聞いてくれるか? おれの身に起こったことを」
渚はゆっくりと口を開き始めた。
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