第2話 あの日 一の死


――死にたい。

……。


――死んで消えちゃいたい。

……。


――ああ、そうなんだ。

……。


――真人も、助けてくれないんだね。


「――はぁっ」

ベットから飛び起きて肺へ空気を送り込む。悪夢だった。

何度も頭に叩きつけられる悪夢。

「もう許してくれよ」

その言葉は届くのか。死人に口はないという。それどころか目も耳だってありはしない。

あるのは遺された人々の想いだけ。

それが俺の場合後悔だったということだ。

忘れるべきでないものだとしても、思い出すべきものとは限らない。捨てるべきものでなくても、見えないように蓋をして、誰に咎められるという。

「だから、もう」

――出てくんな、姉ちゃん。

部屋を一瞥する。カーテンから差し込む光はまだ弱い。午前四時ごろといったところか。

再び俺は眠りについた。

悪夢を見ないことを祈りながら。


太陽が弱い光だからといって、決して早朝というわけじゃない。そのことに気づかされたのは、既に短針が真上を指していた頃だった。

頭上の雨雲を睨みつける。無遅刻無欠席を貫いてきたわけではないが、理由なく休むのは気が引ける。結局のところ自分は優等生にも、不良にもなれはしない。どっちつかずの一般生徒だ。

雨が降っていないのが幸いだ。俺は急いで自転車を走らせた。

校門近くに着くと、既に帰宅している者がちらほらといた。

今日は午前授業だっただろうか。だとするのならとんだ徒労だ。

けど、折角だ。

反対方向へと進む自分へ奇異の目が向けられるも、足を止めることは無かった。


廊下と教室に人気は無い。体育館や運動場から声や音が聞こえてくることを考えると、今は部活動の時間に移項しているのだろう。

やはり今日は午前授業のようだ。

「今日って何かあったか?」

「あ! よう真人! 遅かったじゃん」

と、思考していると突然背後から声がかかってきた。

振り返ると見慣れた男がそこに立っていた。

「おはよう、渚」

「もう昼だっての」

黒沢渚。高い背丈と少し黒い肌が目につく。この高校ではかなりの有名人だ。

スポーツ万能、学業秀才、顔面偏差値も高めでおまけにいい奴ときたものだから学校ではかなりの知名度を誇っている。

そんな男が俺みたいな至って取柄のない人間と親しくなるのだから、人間分からないものだ。まあ、親友とか友情で結ばれているとかそんな間柄じゃなく、腐れ縁のようなものだと思っているけれど。

「その本って……」

渚が片手に持つ本が不覚にも気になってしまった。随分と分厚い本を後生大事に抱えているものだからつい。

「おお聞いてくれるか!」

あ、やばい。聞かなきゃ良かったかも。

「これはな、『異世界転生大全』だ!」

と、表紙をこちらに突きつけてくる。

方向転換し、部室へ向かうことにした。俺の態度はお構い無しで渚は捲し立てる。

「そもそも異世界転生っていうのは、人の興味を一番そそるジャンルなのさ。平凡な世界を平凡に生きている凡人が、突然夢のような世界に行き夢のような活躍をするという――」

 平凡な世界で平凡に生きている凡人代表の俺からすると、全く惹かれないわけだが。


「――そもそもにこの転生ネタっていうのは、浦島太郎もそれに近いと考えているね。つまりは、古来から人間が好むものは転生一つに籠められていると言っても過言ではない!」

「へー」

疲れないのかなコイツ。

かれこれ教室前から廊下まで、大声で一人談義を続けている。

人間誰しも欠点がある。この夢にまで見るようなエリートの欠点は、度が過ぎるオタクということだった。彼もそれは承知しているようで、誰しもにこんな姿を見せるわけじゃない。 この事実を知っているのは、俺も組する複合部だった。

複合部とは、漫画研究部、文芸部、美術部が統合された部だ。年々部員の減少で結果、三つ統合となった。一年の頃、俺は美術部に、渚は文芸部に所属していた。二年生になり、統合された際に俺は渚と知り合い、今に至る。

扉を開けると、絵具やらパソコンやら漫画のネームやらが机に乱雑に置かれている。まるで獣にでも襲われたようだ。

部員構成も滅茶苦茶、共通の目的ももたない部室はまさに雑多といえた。

人の姿はない。汚いのはいつものこととしてそれはおかしい。少なくとも何人かは屯していていいはずだ。

「ホントに獣に襲われたとか」

「祭りの準備でしょ」

「あ、あー」

ようやく合点がいく。そうか、今日はその日か。

「鳩村祭り、まさか忘れてたとはいわないよね」

この村で年に一度の祭り、それが鳩村祭りだ。七月七日。七夕に行われるこの祭りは、大きな賑わいをみせる。

小さい村だからだろう。大人、子供、村中の人々が一丸となり、この祭りへと乗り出す。

行くつもりはさらさらないが。

「おれは行くけど、真人もどう?」

「今のところ行く予定は無い」

「どう?」

「ないな」

「一緒に行きましょうよ!!」

「耳元で喚くなよ!」

声、結構大きいんだから。

「で、どう?」

「……分かったよ。行く」

「良かったー」

 と、渚は快活に笑った。これまた裏表の無さそうな笑顔である。裏の顔はとんでもないけど。

「これで、最後の思い出が出来るよ」

「自分で言うなよ。――それくらい、察せれる」

渚はこの夏を最後に、この村を出ていく。

都会に引っ越すらしい。理由は父親の出世。単純明快で口を挟む余地もない。

俺は決して友達は多くはない。人と深く関わることを拒絶しているからだ。そんな俺に渚は接してくれた。壁を作り、何もかもを横流しにしていながら。何度も何度も。ついに壁が崩れるころには、きっと絆ができていた。

そんな渚が最後の思い出だと提案してくるのなら、断れるはずも無かった。

「それにさ、絵の練習にもなるわけじゃん?」

「渚が祭りのシーンなんて入れなければ良かったんだけどね」

「ははっ、ごめんごめん」

二人とも席に着き、作業を始める。

渚は文を書き進め、僕は絵を描いていく。

俺たちはコンビで漫画を描いている。まだまだ未熟な二人だが、得られるものはある。二人で一つのものを作る楽しさは何にだって代えがたいものだ。

いつまで続くかはわからなかった。子供の一時の遊び、ともとれるのかもしれない。それでも俺達は漫画を書き続けてきた。だがもうすぐ、それは終わる。

渚はこの村を離れる。二人の活動は、そこでお終いだ。

キーボードを打つ音とペンタブの音だけが響く。

しばらくすると、その静寂の空間は携帯のコール音でかき消された。

二人とも一方を見合う。

「……出れば?」

「あ、おれか」

時計を見る。

作業を開始して、二時間が経っていた。本当に時間というのは残酷なのだと思う。

既に起こったことは、永久に残り続ける不可逆の真理。たとえどんなに後悔しようと、取り戻せない何か。それを運命と呼ぶのなら、下らないものだと思う。そして同時に、残酷なのだと思うのだ。

「悪い、渚。少し寝るよ」

 絵を描くとどうにも疲れてしまう。

「ん、おお。――もしもし?」

ソファーに横になり、少し痛む頭を擦りながら、眠気に身を委ねていった。


目覚めた。活気ある声がどこからか響く。既に祭りが始まっているのか。

机には弁当が置かれていた。

『昼飯もまだでしょ。買っておいた。祭りではこの代わりに奢るように! 公園に七時集合な』

そういった文面だった。

気がきくのだか、ズル賢いのだか、よく分からない。おそらくどっちでもあるのだろう。

時計は六時近くを指していた。

怠い体を起こし、急いで弁当のテープを取っていった。


鳩村祭りなんて大したことはない。この村一番の行事といったところで、総人口三百人にも満たない小さな村だ。本当に大したことではない。具体的に言うのなら、屋台が五軒並び、子供達は鉄棒だの滑り台だのして遊び、大人達は世間話を交わしながら酒を飲んでいく。ただそれだけのこと。

少し変わったところをあげるなら、踊りだろうか。踊り自体はなんてことのないものだ。だが十メートルはあろうかという鉄のモニュメントを囲み、村人のほとんどが踊る姿は少し不思議で不気味だ。モニュメントの中には火が灯され、何百人という人間の影を作り出す。

モニュメントは一体何を表しているのか見当もつかない。俺が生まれるずっと前から使われているそうだ。所々の錆がそれを証明している。

時計を見る。既に七時は回った。

帰るか否か思い悩んでいると、電話がかかってきた。

相手は思った通り渚だった。

『えーと、まずは……ごめん』

「事情を話してくれ」

渚が約束をすっぽかすのは相当に珍しいことだった。

『いや、その、もう鳩村には帰れそうにないんだ』

「……何だって?」

思わず聞き返してしまう。

『向こうに先に住んでた父さんが倒れちゃって。ちょっとよくないらしくてさ。それで――』

「いいよ。わかったから」

渚の声が少し震えていることから、もう説明は充分だった。

「今日はもう仕方ないけれど、また今度鳩村に遊びにくればいい」

『そこで、提案なんだけどね』

と、渚は唐突に言った。

『真人に勝負をしかけようかなと』

「なんだ突然」

『どっちが先に、プロになれるのか、勝負しよう』

渚の提案はこうだった。

お互いプロとしてデビューし、それまでお互い会わない、と。己の技術を磨き、そしていつかまた会おうという。

俺は絵描きとして、渚は物書きとして。

『だめ、かな』

「……いいよ。その勝負受けて立とう」

 どうせ将来したいこともない。

『やった!

「だけど途中で逃げ帰ってくるんじゃないぞ。立派なプロになってまた会おう」

『うん、約束だ』

 携帯をしまう。

見つめた火がより一層強くなった気がした。

渚が提案した祭りのシーン、書き上げるとしよう。

「何か変な音しねぇか?」

「そうか?」

不意にそんな会話が聞こえた。

変な音?

耳を澄ますと確かに、何か音がする。人が発する音ではない、もっと重い何か――。そうだ。それはまるで、金属の悲鳴のような――。

「お、おい、やばいぞあれ!」

「離れろ!」

四方で叫び声が連鎖する。

金属の悲鳴はより明確に耳に届き、原因の予感さえ形作った。

――鉄塔だ。

後ろを振り返る。

そこには、異様に傾いている、否、傾き始めた鉄塔の姿があった。

その影は俺の足元に伸ばしている。倒れる。しかも自分の方へ。

僅かに時間は残されている。脚を大きく二歩だせればまだ助かる距離だ。

目の前にもう人はいない。早く自分も避けないと――。

だがその脚は半歩で止まった。

何故か?

視界に女の子が入ってきたからだ。女の子の後ろに映るのは、今にも潰そうとする黒の鉄塔。

女の子はこちらを注視して、逃げようともしない。気づいていないのだろうか。たこ焼きを口へ頬張っている。呑気なものだ。

このままでは女の子は死ぬだろう。助けたところで、結局は自分が死ぬ。それでは意味が無い。代わりに死ぬ。それは美しくても、きっと正しくはない。

だから俺は――足を少女へ向けた。

正しさ、なんてもう自分にはありはしない。人を一度見殺しにしておいて、どんな正しさを唱えろという。もう逃げるのは――たくさんだった。

「――!」

両手で彼女を突き飛ばす。思いの外勢いが出てしまった。声もなく彼女は遠くへと倒れこんだ。

そうだ。これでいい。

一瞬の思考の内に衝撃が全身を包み、意識を霧散させた。

そして――

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