巡る世界、刻む時
荒海雫
第1話 故郷へ A
光が瞬いた。黒色のキャンバスに色とりどりの光が思うがままに描いている。
二人は野原に腰掛けそれを見る。野原には建物や人工光の類が一切なく、星空を遜色なく
堪能できる。
「どう? 綺麗に見えるだろ?」
隣に座る少女に問いかける。
「そうだね」
透き通った声だ。その声に意思のようなものは感じ取れない。あまりにも抑揚がない。機械音声なのだろうかと疑う程だ。
嬉しいのだろうか、悲しいのだろうか、否、何も感じてなどいないのだろう。
彼女――シエラは常にそうなのだから。
光を僅かに反射する金色の髪と、赤い目が小さく揺れた。細長い睫毛が何度も上下する。
「もしかして眠い?」
「うん」
返事をする頃にはもう首が船を漕いでいた。絶景を見ていたいという抵抗もなく、睡魔に体を預けようとしている。いやそもそも絶景などと露程も感じていないのだろう。
めっきり寝ていない、ということはないのだが、これ程穏やかな世界は久しかった。それもあってか夜空の星々が行灯のようにも感じられ、心地よく思っているのかもしれない。だが、警戒を解くわけにもいかない。アイツらがいつ来るのか、それはわからないのだから。
「眠いのはいいんだけどな。まだ答えを聞いてないよ」
「答え?」
「星空を見せた答え」
満点の星空を見たい。そう願ってみせたのは他でもないシエラだ。うたた寝こかんとし、また景色を眺望するでもない、この。
その願いを叶えるためにこの世界のトビラを開けた。この世界が一番の最適だと判断したからだ。その思惑通り星空は燦燦と輝いている。
「疑問があるよ」
「何?」
「星空はあそこまで色は強くないよ。私の世界では少なくともそうだったもの」
空を指差し、指摘したシエラに僕は口ごもる。確かにそれもそうではあるけど。赤や青や緑に光り、果てには時たま複雑な関数グラフのように光が飛び回る始末。俺が居た世界でもこれは星空とは言わない。
「精霊、ってのが何かしらしているらしい。ユイさんの説明はよくわからなかったよ。でも、綺麗ではあるでしょ」
そんなことも言われてもなー、と隣で呟く。
シエラは顔を膝につけ、言葉を続けた。
「それでは答えを述べます」
「どうぞ」
「つまらないね」
いつだってそうだ。願いを叶えた後の感想は、初めから――二年前の旅を始めた日から何も変わらない。そして、決まってこう続ける。
「次の願いを言います」
「……どうぞ」
「私を殺して」
もう聞き飽きたその言葉は何も動じない。もう慣れ切ってしまった。
答えがわかりきっているのに、それでも聞いてしまうのは、いつか変わりうる日が来るのではないかという淡い希望を抱いているからだ。残念ながらこの二年間でその兆しすら見えてこないのは気が滅入る話だ。
「却下。他の願いにしよう」
「えー、ケチ」
「ケチって……」
その言い草はよくわからない。
「じゃあじゃあ、真人のいた世界に連れてってよ」
「……俺の?」
と尋ねると、シエラは頷いた。
まずい。明らかなイレギュラーに困惑する。
通常は渋々、シエラのしたいこと(本当にしたいのかどうかは不明だ)や見たいことを願う。
その中で俺の世界に行ってみたいなんて、今まで一度として願ったことは無かった。
ここで却下と言えばそれまでだが、折角の願いを無下にするのも躊躇われた。願いを言う前に寝られても問題だし。
立ち上がり、少しシエラと距離を取る。ユイとの会話は出来れば聞いて欲しくないからだ。 俺はユイのシニカルな調子に、少しだけ感情的になってしまう節があった。要するに、かっこうの悪いところをシエラに見せたくないだけだ。
ポケットから『ゼンゼンデンワ』を取り出す。見た目だけに限って言えば、旧型の携帯電話だ。しかし中々奇妙な機能があり、どういうわけか相手が居る世界が違おうと通話可能という代物なのだ。それ以外の機能がないという点も異様なものである。
ちなみにゼンゼンデンワというのは誰しもが察せれる程度の言葉遊びである。自分がつけたわけではなく、これを授けたユイによる命名だった。俺は愛と反逆心を持って『ケータイ』と呼ばせてもらっている。
番号を登録しているのは一件しかない。この番号はユイへと繋がる。ユイはアイツらからひっそりと僕らをサポートする存在だ。手引きをしているのか、はたまた闇に引きずり込んでいるのかはどちらも明言できないところだ。
まず彼女は就寝もしくは昼寝もしくはサボリ寝をしているため、一回のコールで出ることはない。悠長にしている時間もないため、何度も着信音でたたき起こし、やり取りをするしかない。ゼンゼンデンワ、その通りだ。
着信音を切ってやしないかといつも不安になる。
七回目のコールでようやく繋がった。
「やっほー、女の子の寝起きだよ。喜べ」
「願いを叶えました。変わらず――」
「殺して、って言われたんでしょ」
僕は不覚にも黙ってしまう。慣れきってはいるものの、受け入れがたいものであることに代わりはない。
「はあ~。溜息出るねぇ、真人クン。普通好きなだけの女の子に対してそんなにするかね。そのカギがあれば君一人どんな世界だっていけるっていうのに」
首からさげた白いカギを俺は握った。一見、何の変哲もない鍵のように見える。しかしこれは世界と世界を繋ぐ『カギ』だ。これを使うことで様々な世界を行き来することができる。文字通り、どんな世界だろうとだ。
確かに俺一人でも世界を渡り歩くことができる。一人ならアイツらを振り切ることだって簡単とは言わずとも、今よりは。そんなことは初めからわかっている。
「でも、決めてますから」
彼女を助けると。
「はあ~」
再び大きな溜息をつかれた。
「あの、そろそろ本題に入りたいんですけど」
「はいはい、次の願いね」
「俺の世界に行きたい、と」
少しの沈黙を置いた上で、ケータイからは爆笑が聞こえ始めた。割れんばかりの大声だった。
「ははははは! 地球って! よりにもよって地球って! はははは!」
ケータイを耳から遠ざけた。こうなるとしばらく止まらない。
笑い声が絶え始めたのは実に一分は経過していた。
「いやー、そうきたかー。私でも流石に読めなかったわー。」
「そんなにお笑いです?」
「君の心境を思えばね。具体的な願いは無い感じなんだね」
「はい。とりあえず行ってみようかなと」
「ふーん。で、実際どうなの?」
「どうなのって、何がですか?」
「いやいや分かるでしょ。自分の世界に行くのってどんな気分なのかって」
俺は眉をひそめた。
「別に何も思ってません――」
「嘘つけよ」
「嘘はいけないね。自分が死んだあの日のこと、鮮明に覚えている癖に。ねぇ、真人クン?」
死んだ。そう、俺はもう死んでいる。
死んで、生きている。
「前から気になってたんだけどさ」
ユイの声が沈黙を破った。
携帯電話を強く握りしめていた事に気づき、一呼吸置いて次のユイの言葉を待った。
「どうして姉を救おうとはしないの? そのカギを使ってしまえばそれでいいのに。カギ
は時間移動も思いのままなんだから」
「……それは」
「まさか目の前の少女一人救えずに、姉なんか救えるはずがないなんて思ってないよね」
俺は答えなかった。答えられなかった。本当に助けたいのは彼女ではなく、彼女に重なる姉なのではないかという疑念が、俺の中にはあるからだ。ただ自分が、臆病なだけなのだろうか、と。
再び沈黙を破るのもまたユイだった。
「まあいいや。私も暇なことだし、君の自由ってことで。――さて地球だね。いい場所と時間を指定しておくから、しばらく待っててね。それまで頑張れ~」
通話を終えた。途端に脱力する。
見透かされてる。そんな感覚を覚える。
その深層にある感情を、複雑に絡み合ったものを、ユイは全て見透かすように思えて仕方が無かった。
適当こいてるだけなのかもしれないが。
「……こうしてる場合じゃない」
急ぎ足でシエラの元へと向かう。
二人が座り込んでいた場所へと戻ってきたが――、
「……!?」
シエラの姿が何処にも無かった。痕跡一つ残さず。
最悪の事態が頭を過る。
「シエラ! シエラ! 居たら返事をしてくれ!」
反応は、ない。だが辺りを見渡すと妙なことに気がつく。
林の奥で不自然に葉が動いている。それを見や否や、林まで駆けた。
「――」
「――て」
声が聞こえた。誰かと話しているのだろうか。俺は上手く聞き取ることが出来ない。
「居るのか、シエラ」
「……大声出さなくても分かるって」
呼び掛けると葉を頭の上に乗せたシエラが出てきた。
「良かった……」
「随分と焦ってたね」
「あ、いや、それは……」
自分が思っていた以上に狼狽えていた。気恥ずかしさで、顔をうつむかせた。
「そ、そんなことどうでもいいよ。っていうか誰かと話していた?」
「え、えっと、木の妖精がね」
どーたらこーたら、とシエラは濁す。
まあ今更彼女の奇行を訝しむほど素人じゃない。
「あ、ね、ねぇ。あれって何かな」
と、僕は視線を向ける。
「っ、隠れよう」
「え、ちょっと!」
咄嗟にシエラの手を捕まえて走り去る。
野原の先に見えた妙な光を放つ者。独特な鎧と翼を併せ持った生物でも、無機物でもない存在。
天使。俺とシエラを捕まえようと動く、天界の使者たち。
それらに生気はなく、まるで機械だ。ただ目標を俺達に指定され、動いているような機械。しかもそれは一体ではない。何体もの天使が俺達へと迫りくる。
こちらに勘付いたのかはわからないが、距離を取るに越したことはない。天使の手にかかりそうになったのは一度や二度のことではないのだ。
「まずいな。逃げよう」
天使の一体がこちらへとやって来る。踵を返すが、行く先々で天使が目に入る。囲まれているのかもしれない。
こんな逃亡を幾度となく繰り返している。何度も何度も天使から逃げ切るために、その手を引く。果たしてシエラを救ったところで、意味なんてあるのだろうか。逃げて逃げて、逃げた先で何があるというのだろう。
――ないか。どうしようもなく意味など無くて。どうしようもなく自分勝手。
そんなことは旅が始まったあの日からわかっていたことじゃないか。
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