ゼロの旅人

犬宮 蓮

第1話

 

 俺は何者でもない。だが何者にもなれない。村人にも、夫にも、店主にも。人にでさえ怪しいところだ。

 俺は許されない。誰にも許されない。世間にも、親にも、村、国、そして、神にさえも。

 俺は何も持っていない。持たされない。地位も、金も、女も、酒も、力も。

 ――そう、俺はゼロだ。





 ゼロは何をしても変わらない。変わったとしても一時的に過ぎない。何が言いたいかって? そんなの俺が知りたい。

 俺は煙草を吹かしながら夜空を眺める。キリギリスの鳴き声、風の足音、木の囁き。俺はこれらをたまらなく愛している。



 俺は旅人だ。好きに生き、常に死に場所を探している。家族はいない。帰る場所もない。俺はただいろいろな所を旅するだけだ。



 そんな俺にも友人と呼べる者がいた。二十代半ばで、俺と歳も近い、色助という男だ。どうやって出会ったかは忘れた。

 そいつもまた旅人だ。だが俺とは違う。明日を見ている。未来を見ている。そして自分を見ている。俺とは違う。


 色助は口癖のように言っていた。



「おらはな~、いつか立派な家さ持ってな、たらふく飯を食うんだ。そんでもって、嫁さん貰って幸せに暮らすんだ」



 それは色助の夢だった。到底叶うはずもない戯言だ。今の時代、命なんて小さな砂利のように扱われる。たとえ死ななかったとしても、俺らのような下民が家を持つことなんてできない。色助が嫁を貰えるとも思えない。



 だが俺はそれが羨ましかった。家と嫁を持つことにではない。その夢を語れることにだ。

 なぜこのような気持ちになるのか、理解ができなかった。


 その頃だろう。色助を見る度に、話を聞く度に、胸の奥底が痛くなる。針でちくりと刺されたような感触。



 とにかく、俺はこの痛みを取り除きたかった。誰か取り除いてくれ、助けてくれ!

 そんな感情が、俺の脳味噌を埋めつくした。俺は心の中で泣きわめき、俺の体液で埋め尽くされた。




『助けてやろうか?』



 すると声が聞こえた。耳からではない。頭から? いや、心からだ。

 その声はなんとも言い難い声だった。聴いていて嫌な気持ちにならない。正しく、心の拠り所と言える。俺はその声に耳を――否、心を委ねた。



『お前の心の痛み、治してやろう。私を頼れ、私にすがれ、私を信じろ。私はお前なのだから』



「私はお前……おまえは、わた、し」



 声は、俺を覆い尽くした。

 俺は拒絶しない。声は俺なのだから。

 俺と声は入れ替わった。俺は心に、声は俺に。



「うん、悪くない」

『そうか? そう言って貰えるとなんか嬉しいな』



 俺は声との会話を楽しんでいる。こいつは俺を見てくれる。俺を必要としてくれる。俺に与えてくれる。

 声は痛みを治してくれると言った。俺はそれを信じ、共に歩んだ。



 それからしばらく経ったある日の暮れ方。俺たちは歩いていた。昔と何も変わらない。町や村を転々とする。それが俺だ。



『最近、痛みが治まったような気がする』

「それはよかった。だが、まだだ。そろそろトドメを刺そうか」



 声はそう言って、北の方角を指さした。どうやら北に向かうらしい。

 声はあまり喋らない。大体俺が話しかけても無視される。必要最低限のことしか口にしない。



『そう言えば、そっちには小さな村があったな』

「ああ、そこに行けば薬が見つかる」



 俺はそれを聞くと心が躍った。

 あの痛みともおさらばできる。

 声は、俺が考えていることを察したのか、少し笑った。



『珍しいこともあるもんだな。お前が笑うなんて』


 声との付き合いもかなり長い。声が笑うのは初めてのことだった。



「どうでもいいことだろう。それより、村に着く前にお前には眠ってもらう」

『何故だ?』

「薬の在処を知られたくないからだ」


 どこか違和感を抱いたが、俺はすぐさまその違和感を無視した。薬が手に入るのだ。少し眠るのなんて安いもんだ。

 俺は目をつぶり、眠りに入る。そこは暗い湖のような場所だ。自分の体がどんどん沈んでいく。苦しくはない。むしろ心地よいのだ。



「さあ、始めようか」



 俺が眠る直前、確かにそう聞こえた。だが、どうでもいいことだと思い、そのまま眠りに就く。



















『……! ……ろ! おきろ!』



 俺はその声により、意識が覚醒する。まだ目の前がぼやけており、周囲を確認できない。俺が目を擦ると、何やら奇妙な液体が俺の目の中に流れ込んできた。多分、手に付いていた何かだろう。


 俺は服の裏生地で再び目を擦る。そして、最初に俺の目に飛び込んできたのは、俺の手だった。だがそれは俺の知らないものだった。


 俺の手は生まれてこの方、琥珀のような色をした肌だ。では何なのだろうか、この赤いものは。



「なんなんだ、これは……血? だが、いったい誰、の」



 俺は周囲を見渡す。すると、俺のすぐ目の前に誰かが倒れている。いや、既に息絶えている。

 俺は恐る恐るその誰かの顔を確認する。



「っ! い、色助! いったい! いったい誰がこんなことを……もしかして」



 血塗られた手。そして、俺のすぐ横に置かれた、血の付着した斧。色助を殺したのは――


「――ううう、うそだぁぁーーーー!! 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ」




 嘘だ! 俺は崩れ落ち、その言葉を何度も何度も口にした。

 だが、わかっている。それが嘘ではないことを。

 ただ、認めたくなくて、自分に言い聞かせているだけなのだ。



『せっかく治してやったのに、醜いな。お前は私だろうに』



 すると声が聞こえた。耳からではない。頭から? いや、心からだ。

 その声はなんとも言い難い声だ。聴いていて嫌な気持ちにならない。心の拠り所と言えるような声。俺は再びその声に耳を――否、心を委ねた。



「いっ、いったい、いったいどうなって! なんで色助が!」

『私はお前だ』

「それがなんだ! 色助を返せ!」



 俺は涙を流していた。これまでの人生で一番と言っていいほどに。



『…………ブフっ!! クククっ……』



 声は笑った。先ほど聞いた微笑むような笑い声ではない。人を馬鹿にしたような声。



「くそ、出て来い、卑怯者!」

『わかっているのだろう? 私はお前。お前は私だ』

「違う」

『違わない。痛みを治してやった。それにお前はわかっている』



 俺は声の言葉の意味がわからない。確かに痛くない。だが、色助が死んでいいわけがない。涙が止まらない。


 すると、俺の腕がピクリと動き、近くに転がっていた手鏡を拾った。鏡は俺を映した。



 俺の目からは滝のように涙が流れていた。

 そして俺の顔は、笑っていた。

 俺はわからない。何故、笑っているのか。何故だ。



『だから言っただろう、お前は私だ』

「うそ、だ」

『嘘じゃない』



 何かが壊れるような音が聞こえた。

 今までで一番嫌な音だ。最悪だ。


 俺はゼロだ。誰でもない。誰も許さない。何も無い。それが俺たちだ。




「『誰だ? いや俺だ。違う。違わない。嘘だ。嘘じゃない。死ぬ。死のう。死ぬ? 嫌だ。嫌なのか?』」



 俺は誰かと会話している。

 もう俺は壊れた。ゼロですらないのかもしれない。

 ゼロはゼロでも、無ではない。だが、俺はきっと無になるのだろう。



「『嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ――』」





 俺は、魂が抜けたように、ドスンと大きな音を立てて倒れる。


 俺は直に死ぬのだろう。何故、死ぬのか。俺は誰なのか。いったい何をしたかったのだ? きっとそれは誰にもわからないだろう。


 もうすぐ死ぬ。走馬灯とやらは全く見えない。きっと、その程度の人生だったと神様が判断したのだろう。そして、死んだらきっと俺たちは地獄に落ちるのだろう。


【では、仲良く三人で炎でも浴びてこようか】

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