第31話 勇士の正義

 大股で詰め寄って振り上げる男の拳に、しかし勇士は目を瞑ったりして恐がる様子もない。


 むしろ冷静に木刀を構え直すと自ら前に歩み出る。


「オラッ!!」


 男は勇士の顔面に目掛けて一切の容赦のない拳を突き出すが、しかし。


「んがぁっ!?!?」


 拳は勇士の顔面を逸れ、そしてあまりに痛烈な手首への衝撃に声を漏らしたのは男の方だった。


「テ、テメー……ッ!! 何しやがった……ッ!!」


 ジンジンと後を引く痛みに額へと脂汗を浮かべながらも、努めて威圧的な口調で男はそう問いかけるが、勇士はそれに答えない。


 代わりに、


「このまま出て行け……ッ!! そしてもう二度とこの家の敷居を跨ぐなッ!!」


 と勇士は精一杯の低い声で凄みを入れる。


 しかし男は逆上を深めるばかりで、まったく聞く耳を持ちはしない。


「ふ、ふざけてんじゃねーぞッ!! 舐めくさりやがってこのガキがッ!!!」


 そうして男が再びその勇士との間合いを詰めて、今度こそはと殴り掛かる。


 だが勇士の木刀捌きが男の攻撃を許さない。


 それからも木刀で突いて、払って、全ての男の攻撃を封じ切った、いや、男に激痛を与えながら反撃にすら転じていた。


「クソックソックソッ……!! ちょこまかと鬱陶しぃぃいッ!!」


 痛みが重なるほどに男の動きは遅く、そして大振りなものへと変わり、そうすれば余計に勇士の四肢を狙った攻撃は正確に弱点を穿うがっていく。


 レイシアとして前世で数多と振るってきた剣の経験を前に、目の前の男はあまりに無力だった。


「もうやめろ……! 剣を持った俺に、お前では勝てない。潔く去ってもう2度と俺たちの前に姿を見せるなッ!!」


 必要以上に相手を痛めつけるのを良しとはしない前世の自分の声が、勇士の口を通して男に投げ掛けられる。


 しかし男はその言葉に大人しく従うどころか、むしろ一層の怒りの形相に顔を歪ませ、ポツポツと低く声を漏らす。


「もういい……もういいよお前……ぶっ殺してやんよ……殺す殺すコロス……ッ」


 男のその様子を見て、勇士は軽く舌打ちをした。


(――前の世界で嫌というほど見た……! コイツは今、本物の殺意を持ってやがる……ッ!!)


 前世の頃のままの筋力量ならば、こんな男ごとき魔力を使わなくても1本の木刀で最後まで封じ切れたはずだった。


 しかし今の子供の身体でそれは不可能、だからこそ今は木刀に微弱ながら魔力を込めて強化していたのだ。


 目の前の男を見れば姿勢を低く構えており、勇士の剣がどのような動きをしようとタックルでぶちかましをくれてやろうという捨て身の心づもりのようだった。


(アレを止めるには脳天のど真ん中に打ち込んで、一撃で失神させるしかない……でも――ッ!!)


 今の出力では、どうしてもそれほどの威力にはならない。


 木刀に流す魔力量を増やせばいい話ではあるのだが、それは加減を誤ればとんでもない事態になることは、前世の知識が生きている勇士にとっては火を見るよりも明らかなことだった。


(少しでも魔力量の調節を誤れば――こちらがアイツを殺してしまうッ!!)


 前世のレイシアの時も力の加減は不得手で、極小か中間か極大の魔力放出しかできなかったのだ。


 仮に中間の力を木刀に流したとしても、おそらく何の対策もしていない男の頭は真剣で切られたかのように左右真っ二つになってしまうだろう。


(イチかバチか……ッ!!)


 勇士は結局魔力量を変えず、その代わりに男に先んじて床を蹴って横へと飛び上がる。


「逃げんなァッ!! ぶっ殺してやるッ!!」


 勇士の急な動きに翻弄されつつも、しかし男は腰を屈めたまま低い姿勢で勇士を追って突っ込んできた。


(――掛かったッ!!)


 勇士の飛び上がった先はリビングの中央に置いてあるセンターテーブルの上。


 そして男もまた勇士を押し倒そうとそのテーブルに足を掛けたその時――


「っりゃぁぁぁあぁぁああッ!!!」


 ――勇士は全体重を載せた木刀をその男の頭目掛けて打ち下ろした。


 パキャァンッ! という高らかな音が部屋へと響く。


 時間が止まったかのように、2人の動きが固まった。


 それは高低差を利用して、あと僅かばかり足りなかった力を補うための策。


 そして今、自身が目の前の男に対して出すことのできる勇士にとっての全身全霊の一撃。


 ――しかし、現実はあまりにも無慈悲の一言に尽きた。


 勇士は明らかにおかしかったその一撃の感触に、自分の握るその木刀に視線を落とす。


 木刀の柄から先の刃の部分が、無くなっていた。


 空虚な柄の先端は力任せに谷折りにしたかのように荒々しく無残な有様を見せている。


 本来、魔力で強化された物質は頑丈になり、通常の攻撃で折れることなんてまずないのにも関わらず、しかし握りしめる木刀はハッキリと目の前で折れていた。


(まさか、あの時――ッ!?)


 勇士は取っ組み合いに発展する直前に、胸を蹴り飛ばされて壁に叩きつけられたことを思い出した。


 そういえばあの時、木刀を隠していた背中の方から『ピシリ』と嫌な音が聞こえて――ッ


「――オイ、コラ……」


 沈黙を破るその声に、ハッと目線を木刀から目の前の男へと向ける。


「テメー、わかってんだろうな……?」


 口調は押し殺されたように静かだったが、その血走った目の奥には今まで以上の敵意と殺意が燃えているのが勇士にはわかる。


 木刀が折れてしまったことで威力の半減した一撃は、男に対してまるで決定的なダメージを残すことができていなかった。


 ツー、と細い血の線が男の髪の間を割って顔へとかかる。


 にも関わらず、男はその手で血を拭うこともせず、代わりに勇士の胸倉を掴んだ。


 そして、


「死ねやッ!!!」


 机から引きずり降ろされて床に転がされた勇士は、立ち上がることすら許されずに蹴り回される。


「うぐッ!!!」


 亀のように背中を向け、丸くなって頭を守る勇士だったが、しかし男の体重を載せた踏みつけに身体中から嫌な悲鳴が上がる。


 しかし、その猛攻は止むことがない。


 それは本当に、人がどれくらいまでなら生きて耐えることができるのかという考慮が一切排除された、容赦のないものだった。


「死ねッ!! 死ねッ!! 死ねッ!! 死んじまえ、このクソガキがァッ!!」


(マズ――い……このまま……本当に――死――)


 絶えず蹴飛ばされて揺さぶられた勇士の意識は次第に不確かなものへとなり、勇士は悔しさにフローリングの床へと爪を立てる。


(俺は……この世界でも……ダメなの――か……?)


 前世での魔王との一騎打ちは勝利とは言えない相討ち、自身の信じた正義は果たせども、その後の幸せな世界を見ることは許されなかった。


 そしてこの世界でも、この男が自分を殺せば逮捕はされるだろう、最低でも行方をくらまして母親の前から姿は消すことになる。


 自分自身の中の正義を最低限は果たせるが、しかしやはりこの世界でも自分はその後の世界を見ること、生きることは叶わないのだ。


「――オラァッ!!」


 力の弱まった瞬間を見計らったように、男は勇士の防御に隙間のできた腹を下から思い切り蹴り上げる。


「げぇッ!!」


 胃液が出るかと思ったが、その隙は本当に命とりになると思い、勇士は再び丸くなってその衝動を堪え切る。


 ガスガスと息を上げながらも蹴り続ける男を背に、勇士はしかし「ふっ」と自嘲的な笑みを漏らした。


(正義っていうのは――なんとも……)


 なんとも、自己犠牲が過ぎる。勇士はそう思う。


 孤児であり、常に剣を振るう場所のみが自分の居場所であったレイシアは家族の温かさを求めていた。


 だからこそ勇士に前世の記憶が戻ったその時から、レイシアが遂に得ることのできなかった『家族』、それを守らなければならないという志が唯一絶対の正義として心のど真ん中に君臨した。


 もしかしたら同時に、ずいぶんと前に蓋をした気持ちのつもりだが、この世に生を受けた勇士という1人の子供として母親の味方でいたいという気持ちも確かにあったのかもしれない。


 ――理由がなんであれ、とにかく勇士は身を粉にして、声も上げずに浴びせられる暴力が止むのを待ち続ける。


 前世での魔王との戦いの時と同じ、この命を尽くそうとも自身の正義だけは最後まで貫くという意志と共に。


 しかし、そうやって悲壮の覚悟を決めたそんな時だった。


 ピンポーンと、荒れ狂った空気の流れるこの部屋の中には似つかわしくない、間延びした音が響く。


 インターホンが鳴ったのだ。


 続けて呼びかけるような声が扉越しに中へと聞こえる。


「おーい! 勇士! 中にいるのかっ!?」


 それは聞き間違えることもない、確かに篤の声だった。


「勇士くんッ!? 中にいるの!? ここを開けてッ!!」


 続けて聞こえるのは麻央の声。


 2人がなぜ――とその先を考える前に、男が「チッ」と舌打って勇士の頭を鷲掴みにすると、床へと押さえつけて低い声で言う。


「いいか……静かにしてろよ……? ここで騒いでみろ、その喉を握り潰してやる……!」


「…………」


 だが言われるまでもなく、今の勇士に声を上げられるほどの力は残っていなかった。


 身体のあちこちが痛み、力も上手く入らない、生ける屍同然の姿だった。


 扉の向こう側からは依然として「勇士ッ! いるんだろう!? 返事をしろッ!!」と篤の声がする。


 それに対して男はチッと小さく舌打ちをして腹立たしさを覚えているようだった。


 そんな男を横目に、勇士はどうして篤たちが自宅までやってきたのかをこんな状況で考えてしまう。


 まだ昼前で授業が終わっているとは思えないし、それに学校へ欠席の連絡は入れているのだから、不審に思って勇士の自宅を訪ねる理由なんて何もないはずだった。


 男は外から勇士の名前を呼びかける声を黙殺し、外の篤たちも扉の前から離れる様子はない。


 両者にとって決め手のない状況となっている、そう勇士が思ったその時。


 ガシャァーンッ!! と何かが割れる音が近くで響いた。


 勇士は身体を動かせず床に縮こまったままだったが、勇士の頭を押さえつけていた男は反射的にそちらを振り向く。


 そして次に聞こえた砕けたガラスを踏みしめる音、そしてその声に、勇士は何が起こったのかを明確に悟る。


「――っしゃコラぁぁぁああぁあぁああっ!!」


 それは先程まで男が上げていたよりも大きくて、バカみたいに気合いの入った雄叫び。


「ジャスティス団ッ!! 参・上!!」


 その声の正体は、わざわざそちらを見なくたって勇士にはわかることだった。


「――助けにきたぜッ、勇士ッ!!」


 リビングに接したベランダの窓を破り入った輝羅々川剛ノ介の宣言が、室内へと大きく響き渡った。

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