第32話 予知夢

 ベランダの窓を派手に蹴り破り男と勇士のいるリビングへ飛び込んできたきららに対して、男は若干身を引いて驚きはするものの。


「なんだ、テメーは!!」


 とすぐに声を荒げて鋭く睨みをきかせる。


 しかし、そんな男に対してきららは決して怯んだ様子がない。


 どんなに体格差があろうとも、目の前の男が見た目にどれほどに恐ろし気であっても、自分たちの仲間で友人である勇士がボロボロになっている――それだけで頭の中は無尽蔵に湧き出る怒りですぐにいっぱいになって、そこに恐怖が入り込む余地などはまるでなかった。


「オレが相手になってやらぁぁぁああぁあぁああッ!!」


 その場にいる全員の鼓膜を破らんばかりの怒りの咆哮を放って、きららが男に向かって突き進む。


 男といえば、そんな猪突猛進なきららに一瞬身じろぎはしたものの、しかしすぐに冷静さを取り戻して低い姿勢で身構える。


 ――どんなに活きが良くてもガキはガキ、1発2発をもらってやったらそのまましっかりと組みついて、体格差にものを言わせて押し倒してしまえばよい。


 そんな思考を覗かせるような残酷な笑みを顔に貼り付けていた。


 男の足元に未だ倒れていた勇士はなんとか声を出して、そんな男からきららを逃がさなければと必死にもがくが、喉が涸れて上手く声が出ない。


 ものの数歩で2人が激突する――しかしそんな時、外から突然に鋭い声がかかった。


「きららッ!! お前の任務を忘れるんじゃないッ!!」


 それは篤の声で、怒りに浮かされるままに突撃しようとしていたきららの足をピタリと止める。


「おぉっと!! ちょっとワスれそうになってたぜッ!!」


 絶対に忘れていたはずのきららだったが変なところで強がってそう口にすると、進行方向を変えて今度は玄関の方へとリビングを横切って駆け始めた。


「こ、このガキ――ッ!!」


 きららの行動の意味を男は瞬時に悟って、その背中を捕まえようと走り寄ろうとするが。


「んな――ッ!?」


 きららに追いつく以前に、男の身体はガクンッと前のめりにバランスを崩して地面に膝を着けていた。


 男が自分の足元を見るために振り返れば、指一つ動かすのも困難なほどにボロボロになっていたハズの勇士が、そんな状態の身体を押して、今出せる精いっぱいの力でズボンの裾を掴んでいた。


「――しゃらくせぇっ!!」


 怒声とともに立ち上がった男は沸騰しそうな感情をぶつけるように勇士を蹴り上げた。


 そうして勇士の腕は簡単に振り解かれてしまうが、しかし、その僅かな時間がこの場においては決定打となった。


 カチャッ! ガチャリ! と施錠が外れドアの開く音が、外側と内側の間にそびえた壁を完全に取り払う。そして――


「――俺の大親友にッ!! 何をしやがってんだぁぁぁああぁあッ!!」


「んぐぅッ!?」


 突如として前傾姿勢で走り込んできた篤の身体が、男の背中へとぶつかって鈍い音を響かせる。


 勇士がこれまでに見たことのないくらいに目端を吊り上げて怒った篤が、ドアが開くなり室内へと飛び込んで、全速力のタックルをかましたのだ。


 勇士を蹴り上げるために玄関へと無防備な背を向けていた男は、まともにそれを受けて息の詰まったような声を漏らし、部屋の奥へと弾かれるようにしてよろめいた。


「ク、クソガキどもがぁぁぁああぁあっ!」


 男が背中を押さえつつその場で篤の方へと振り返るが、それは完全なる悪手。


「いっけぇぇぇえええっ!! スーパー・ウルトラ・エレクトロニクス・ハイパー・ウルトラ・ジャイアント・ウルトラ・フライング・キーーーックッ!!」


「がぽぉッ!?!?」


 振り返った男の腹のまさにど真ん中に、全速で全体重を乗せて飛翔してきたきららの両足が突き刺さった。


 男は今度こそ後方に倒れ、そして腹を抱えて悶絶する。


「麻央ッ! お前は勇士を! 俺ときららでコイツを動けなくするッ!」


「ええ、わかったわ!」


 ドタドタと激しい音に男の怒号が聞こえる中で、普段以上の重力を感じるように身体の言うことが利かない勇士の身体が、突然フワリと軽くなる。


「――――勇士ッ! 無事かッ!?」


 そしてうつ伏せになっていた自分の身体の上の方から声が掛かった。


 身体が軽くなったと思ったのは錯覚、いつの間にか勇士の上半身は持ちあげられて、そして温かで柔らかい何かに支えられていたのだ。


 勇士は声のかかる方向へと顔を上げる。


「――麻央……っ」


 その涸れた声を出した勇士を抱えるようにしていた麻央は、勇士の言葉にコクリと頷く。


「ああ、私だ。もう大丈夫だ、安心しろ。直に担任もクラリスも駆けつけるだろう。花梨ちゃんが呼びに行ってくれているからな……!」


 勇士の無事を喜ぶように麻央は目を細める。


 そんな麻央に対して、そしてこの絶対的なピンチに駆けつけてくれたジャスティス団に対して、多くの色々な感情が勇士の胸に去来する。


 それは安堵の想いや今も男と取っ組み合っている篤たちへの心配、はたまた家庭事情を知られたことへの恥ずかしさや自分のみっともなさ、そして自分を守ろうと集結してくれた感謝の気持ちも。


 そのような万感の中で勇士は口を開く。


「なん、で……?」


 ただそんな中で、一番最初に勇士の口を突いたのは疑問の一言だった。


「今日、俺はあの男と決着をつけようと思ってた……でも、それは誰にも伝えてないはず……。どうしてみんながここに……?」


 ――これは母親を守るための1人きりの、孤独な戦いのはずだったのだ。


 こんな家族が男に騙されて貢がされているというみっともない話、誰にも相談できるようなことではなかった。


 だから今日誰にも悟られずにこの戦いを終わらせて、そして明日からはまたいつものバカみたいに楽しい学校での日常を過ごそうとそう思って小学校を欠席したのだ。


 風邪だという欠席連絡も担任にしてあるし、麻央たちが学校を抜け出して自分のところに駆けつけるほどの理由はないはず――


 と、そう思っているのだろうなと麻央は考えて「馬鹿め」と優しく口にした。


「勇士、お前は私の能力を忘れてしまったか……?」


「の、能力……?」


 オウム返しにそう訊き返す勇士に対して、麻央は即答する。


「予知夢だよ」


 その言葉を聞いて思い出すのは前世の魔王城、最上階の玉座の間での魔王との一騎打ちの瞬間だ。


 闇を切り裂いて魔王の身へと届いたレイシアの一撃を、予知夢で持って避けるまでもないということをあらかじめ知っていた魔王の姿が勇士の脳裏に映った。


 麻央は言葉を続ける。


「私は知っていたのさ。お前がどこかのタイミングで学校を休んで、そして二度と学校の教室へと帰って来ない――そんな悲しい未来をな」


「帰って……来ない……?」


「ああ、そうだ。お前は今日、死ぬはずだったんだ」


 その起き得た、いや起きるはずだった未来を宣告されて勇士の背筋が凍るが、しかし麻央は淡々と話し続ける。


「ようやく昨日、お前が服の下に隠していた痣の数々を見てその原因が『家庭問題』にあると確定できたと思ったのに、まさか昨日の今日で事態がここまで進むというのは予想できなかったぞ?」


 そう言って呆れたように笑う麻央に、勇士は昨日の放課後の教室での出来事を鮮明に思い出す。


『そうか。やはり――――そうだったか』

 

 そう言って自分の身体の下に組み伏せた勇士を、悲しげな目で見つめる麻央の姿が思い返される。


「い、いつから……?」


 いったいいつから、麻央はその悲劇の未来を知っていたのだろうか。


 それはきっと昨日よりも前のことには違いない。


 しかしそれでは一昨日か、それとも1週間前か、それとも……


 勇士が重たい意識の中でそう考えていた時、ドガンッ! と激しく何かがぶつかる音と「ぐはぁッ!!」と声を上げるきららの声が後ろで聞こえる。


「――クソガキどもがッ!! いつまでも有利を気取ってんじゃねぇぞコラァァァアアァァアッ!!」


 そして再び、室内に男の怒号が響き渡った。


 勇士が声のした方向へと顔を向けて見れば、きららが壁に背中を預けてぐったりとしている。


「きらら……ッ」


 篤ときららの2人がかりで組み伏せていたはずの男が何かしらの隙をついて立ち上がり、反撃に転じていた。


「麻央ッ! 勇士を連れて先に逃げろッ!! ここは俺が――」


「――ジャマだッ!!!」


 身構えた篤だったが怒りの沸点を越えた男は篤の胸倉を掴むと、その身体を容赦なくセンターテーブルへと叩きつける。


「篤……ッ!」


 ガコンッ! という激しい音とともに篤がのたうち回るが、男の視線はすでにそこにはなく、ギラギラと怒りに光らせた目はしっかりと勇士をとらえていた。


「さぁクソガキ……テメーの持ってるICレコーダーを寄越しやがれ。少しでも渋ってみろよ、テメーのダチらに酷い目に遭ってもらうぜ……!」


「下衆野郎……ッ」

 

「はははっ!! いくらでも言って――――あァ?」


 男が醜く笑いながら勇士へ近づこうと一歩を踏み出すと同時、勇士の身体をゆっくりと床に寝かせて麻央が立ち上がり、そして勇士を背に男の前へと出る。


「どきな嬢ちゃん、そのキレイな顔をデコボコにされたくなかったらなぁッ!」


 とびきりの低い声で脅した男の表情は悪辣あくらつな笑みに満ちていたが、しかしそんな凄みに対して目の前の麻央が一切の怯えの表情を見せていないことを悟り、再び不愉快さに歪められた表情で「チッ!」と舌打って怒鳴り散らす。


「マジで痛い目見ねぇとわかんねーのか、あァッ!?」


「やってみなさいよ」


「……あァッ!?」


「だ・か・ら、やってみなさいよって言ってんのよ、このウジ虫が……!」


「…………――ッ!」


 男はその挑発に対して言葉を返さなかった、そしてその代わりに出たのは一切の力加減を忘れた右の拳。


 それが麻央の頬をえぐるようにして振り抜かれ――そして、パコンッという間抜けた音が部屋に響いた。


「――は…………はれッ!?!?」


 男が裏返った声を出してヨロヨロと後ずさる。


 その右腕は、とても不自然に肩からぶら下がっていた。


「お、お、お……お前ッ! 何を、何をしやがったッ!?」


「何って、伸びきったアンタの腕を力の向きをそのままに引っ張ってあげただけよ。伸びきった肩に本来のパンチの威力以上の負担が掛かって関節が外れちゃったのね、ご愁傷様」


 そう言って、麻央が1歩詰めると男もまた1歩さがった。


「何よ……? 困るわね、今の私には筋力が足りてないんだから、あなたから掛かってきてくれないと充分な力が出せないのに」


 ふふふっ、と悪魔的な笑みを口元だけに浮かべてまた1歩男との距離を詰める。


「お、お前はいいいったい、な何なんだっ!?」


 男はまるですくみ上がる自分を鼓舞するかのように大きな声を出すが、額からシャワーを浴びた後のようにとめどなく流れ落ちる冷や汗が、男の怯える様子を率直に表していた。


 不自然に吊り上がった口角をそのままに迫る麻央に、男はただただ後退ることしかできない。


「あなたが掛かってこないんじゃ仕方がないわね……。ちょっと魔術を使わせてもらうわ――<影の手たちシャドウ・ハンズ>――いいわよね? 体格差があるんだもの、これくらいがちょうどいいハンデよね?」


 麻央が短く詠唱を終えるとその背中から黒いもやが立ち昇り、そして束なったかと思うと手の形を形成していく。


 それは魔力の塊であり、この世界の魔力に触れた事の無い人間の目には見えることのないものだろう。


 しかし麻央を目の前にした男は、恐らく目で見えずとも肌で感じられていた。


「な、なんだ……何なんだお前は……ッ!?!?」


 目の前の麻央から放たれる威圧感が数倍に膨れ上がり、そしてその牙が自分に向いているという事実に男の脳が警鐘を鳴らしていた。 


 それから何歩さがったのだろうか、唐突に男の背中に何かがぶつかった。


「もう後がないわね」


 それはきららが蹴破って入ってきたリビングの窓の、蹴割られていないもう片面の窓ガラス。


 男はとうとう部屋の一番奥にまで身を引いてしまっていて、そして麻央はその1歩前まで詰め寄って来ていた。


「――ま、待ってくれッ!!」


 麻央が手を上げて何かをしようとした直前、男がパーに開いた左手を突き出してそれを制止する。


「わ、悪かった! 俺が悪かったッ!! だから、なっ!?!?」


 媚びを売るように眉尻を下げて、男が「こうしよう!」と指を1本立てて麻央へと提案のジェスチャーをした。


「俺の負けだ、だかr――


「――<九九九の弾手スリーナイン・シャドウ・バウンズ>」


 ――ほべぇッ!?!?」


 ドドドドドッ!! と、いくつもの真っ黒な弾丸が目にも止まらぬ速さで男へぶつかっていく。


 初めから男の言葉に聞く耳などは持っていなかった麻央による一方的な攻撃が、開始の宣告も無しに始まっていた。

 

 弾丸の正体は拳。


 麻央の背に立ち昇る黒靄が無数の拳を作って男へとガトリング砲のような乱打を加えているその光景を、麻央を除いて勇士だけがその目に捉えていた。


 太い蛇のような影の手が鎌首をくねらせて、男の必死のガードを易々と潜り抜けてその身体へと喰らいついていく。


「あッ、ばッ、ばッ、ばッ、ばッ、ばッ、ばッ……ッ!」


 あまりの速度の連打に、男の悲鳴が壊れたラジオのように散発的にしか聞こえない。


 ガシャンッ! と、その十数秒に渡った攻撃は、男の背の窓ガラスが負荷に耐えかねて割れる音とともに終わりを告げる。


 前にも後ろにも支えを失った男はそのまま地面へと膝を着いて、前のめりに倒れ込んだ。


 そして、部屋からは麻央による攻撃の鈍い音も、ガラスの割れる音も、男の悲鳴も、それら全てが消え去って静寂が訪れた。


「――これで、終わったわね」


 そんな中で、麻央の静かな声だけが大きく響く。


 足元でピクピクと痙攣する男を見下して「ふんっ」と鼻を鳴らした麻央が、トレードマークの二つ結びをくるりと翻して勇士へと向き直る。


 割れた窓から入った一陣の風が、開け放たれた玄関目掛けて吹き抜けて、振り返った麻央の髪を宙へと流した。


 そして慈しむように勇士を見るその表情に、勇士は目を離せない。


 何故だかはわからなかったが、しかしそこに自分が欲した何かがある気がして、勇士は手を伸ばす。

 

 麻央はそれをどう捉えたのか、勇士の元へと駆け寄って座るとその手を取った。


 勇士自身もどうして欲しいのかわからずに伸ばしたのだから、それからどうしていいのかはまるでわからない。


 ただ、握られた手のひらから伝わる温もりに今まで張りつめていたものが全て溶かされるようで、気の緩んだ勇士の意識は段々とその輪郭を失っていく。


 ――次第に賑やかになり始めるアパートの周囲、遠くから聞こえるサイレン、アルミの階段を駆け上がる音に「勇士くんっ!?」と聞き覚えのある声――


 多くの物事が勇士の外側にあって飛び交って、そして耳を通じて内側へと流れ込んでこようとする。


「終わったのよ」


 しかし雑多な喧騒の中の温かなその一言が「今はゆっくりとお休み」と自身を許してくれているような気がして、だから勇士はとうとうその意識を手放すことにした。


 勇士の視界が白く、染まっていく……――――

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