第20話 月明りの少女

 月にちょうど雲がかかっているのだろう、少しうす暗くなった2階の廊下へとやってきてからようやく繋いだ手を放された勇士は、階段を駆け上がったことで少し乱れた呼吸を落ち着かせながら目の前の少女を見て疑問を投げ掛ける。


「どうしてお前がここにいるんだ――佐藤麻央」


「あら。私のことは"麻央"と呼んでくれるんじゃなかったのかしら? "勇士"くん?」


「……。やめろよ、麻央。俺だけしかいない場でまで、その少女口調である必要はない」


「……そうか? 別にコチラは自然に振舞っているだけで、少女口調が苦なわけじゃないんだがな」


 麻央は口調を魔王であった時のものに戻すとそう言って、ふわりと長く肩にかかった髪をかき上げて後ろへとやると理科準備室に向けて歩き出した。


 その折にシャンプーの香りなのか、先ほど階下で口を塞がれた時にも香ってきた甘く爽やかな香りが漂ってきて、勇士はドキリとした。


 ――うん? とした……?


 それと同時に今まで繋いでいた手の温もりがまだ残る手のひらに意識が向かう。


 しかし、勇士はブンブンブンッ! とたった今の記憶を、匂い、そして温もりをかき消すように乱暴に頭を横に振った。


「……それは何をやっているんだ……?」


 正面を見ればそんな勇士の奇行に対して半眼の麻央が振り返っていた。


「な、なんでもない……それよりお前、最初の俺の質問に答えてないだろ……!」


「あぁ、『どうしてここにいるんだ』、か」


 麻央は再びゆっくりと歩き始めたので、勇士もその後ろを少しの距離を置いてついていく。


「今日の昼休みの理科準備室、お前も感じたんだろう? 魔力の残滓を」


「……っ! ああ、そうだ。やはり気付いていたのか……!」


 勇士は昼休みに身体に走った静電気のような違和感を思い返して、あれほど露骨な魔力の残滓をさすがの元魔王も見逃すわけわないかと納得しそうになったが、しかしその時の麻央の反応も思い出す。


「でも、あの時のお前はまったく動じた素振りもなかったじゃないか。俺の反応を確認するでもなく、そのあと俺に何かを伝えることもなかった」


「ふん……。魔力の残滓が残っていた件について伝えなかったことについてはお互い様だと思うがな……。ちなみに私は気付いていたぞ? お前が魔力の残滓があることに不審を覚えた様をな」


「なっ……!?」


「お前は表情に出やすいんだ。今も昔もな」


 言われた瞬間に顔を押さえて表情を確かめる勇士をおもしろそうに眺めた麻央は、それからクスクスと笑って肩を揺らしながら夜の廊下を真っ直ぐに進んでいく。


「くぅっ……!」


 勇士はその反応を自分がからかわれたものだと思って、恥ずかしげに顔を歪めながらもその後を追って今度は横に並んだ。


「……それで!? 麻央、お前はどうしてここに来たんだ!」


 自分の調子を取り戻そうと語気を強めて問うた勇士に対して、麻央は不思議そうな顔をして勇士の方を向く。


「だから……言ったろう? 魔力の残滓を感じたからだ、と」


 勇士はその返答にじれったさを感じるように「そうじゃない!」と言って、なんだか熱をもったような頭を掻いて、そして言葉を続ける。


「元魔王のお前が、何の目的を持ってここに来たのかと聞いているんだ」


「ふむ……?」


 勇士の質問の意図を図りかねるかのように目線を上にして考える麻央に、勇士はさらに言葉を重ねる。


「まさか何かを企んでいるんじゃないだろうな。あるいは理科準備室で何かを行おうとしている魔術師とこれから共謀するとか……!」


「あぁ……なんだ。そういうことか」


 麻央はこちらの言いたいことが呑み込めると、フフッと薄く笑う。


「別に、そんなことは考えていないさ。ただ、このままではが危ないだろう? 魔術の理を解する者がもしも前世の私やお前に関係する誰かだったならな」


 ……? と一瞬考え込んだ勇士だったが、しかしその答えに辿り着くと同時、それは背中に電撃をはしらせるかのような衝撃を勇士に与えた。


(そうだ……。麻央の言う通り……! 俺は魔術の行使者が麻央と同じようにこの学校にも潜り込んでいる可能性があるから、その正体を探ろうということばかりに目が向いていたが――)


 それが勇士と麻央の前世の縁者であるのであれば、とてつもなく危ない。


 前世でまったく立場の異なる2人には、今や篤・きらら・花梨といったの友人がいるのだ。


 その魔術の行使者が前世の勇者側の立ち位置にしろ、魔王側の立ち位置にしろ、友人たちは有用な人質たり得るじゃないか……!!


 勇士の額からは知らずのうちに冷や汗が垂れ、足は止まってしまっていた。


 ただ、その足を止めたのは友人たちの身に迫るのではないかという危険に対する焦りや不安の感情だけではない。


「どうした?」


 麻央がそんな様子の勇士に気付いて足を止めて振り返った。


 しかしそんな麻央の疑問に答えることもなく、勇士の口からポロリとこぼれ落ちたのは裏表のない純粋な疑問だ。


「お前がここに来たのは……アイツらの身を案じて……?」


 そこに含まれた感情は「まさか元魔王であるお前が?」がというものが半分。


 今の勇士にはもう確信を持って麻央を疑うことができなくなっていた、だからこそもう半分を占める感情は「もしかして本当に……?」というものだった。


 そして少し間を置いてから、麻央は静かな声でその問いに答える。


「まぁ、『友だち』だからな……」


 唐突に、雲間から再び月光が差して廊下を明るく照らした。


 それに映し出されて、勇士の目の前の少女が暗い廊下に1人、白く浮かび上がる。


 その姿は舞台のスポットライトを浴びる演者のように印象的で、その表情は見るものに深い優しささえ感じさせる微笑みをたたえていた。


 窓の外を眺めるように勇士から外された瞳の色はアメジストのように不思議な輝きを発して艶やかで――


 ドキリ、と勇士の鼓動が高鳴る。


 鼓動が急に変調して、勇士の何かがおかしかった。


 ――高鳴るって、なんだよ。なんなんだよ、『ドキリ』って……!


 勇士は再び頭を掻いた。その原因を絶対に悟るまいとして、先程よりも強く髪の毛をグシャグシャにした。


「どうした?」


 そんな勇士へと声をかけるのは当然1人しかいない、正面にいる麻央だ。


 勇士はそんな麻央に「なんでもない」と意識してぶっきらぼうに答えると、その横を追い抜くように早足で準備室へと向かうのだった。

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