第21話 信じる

「――<Unlockアンロック>」


 麻央が指先を理科準備室の鍵穴部分に当てて小さくそのように唱えた直後、カチリという解錠の音がする。


 麻央はスライドドアに手をかけるとゆっくりガラガラガラっと横に引いて、なんの障害もなかったかのように部屋の中へと足を踏み入れた。


 麻央が見せたそれもまた魔術。鍵開けのための術であり、勇士では前世の間に習得してはいなかったものだ。


 勇士も麻央に続くように室内へと入ると、その教室の脇にひっそりと置いていた人形を回収する。


 図工室に忍び込んだ時同様にこの部屋には転移魔術で侵入しようと思っていたのだが、その必要が無くなってしまった。


 しかし結果が伴っているのだからこれはこれで良しだ……と、勇士がそう考えていたところへいきなり『ズイッ』と、麻央が何かを持った手を勇士の目前へと差し出す。


 突然のことに若干驚きながらも手渡すようにして押し付けられたそれを勇士は反射的に受け取ってしまった。


 見ればそれはどこの教室にもあるような白いチョークである。


「検知様式は『マーヴェルフ六芒星』を中心に据えた『ヤークルティガーのウグイ』でいいな?」


「……あ、ああ。それが一番手っ取り早いと思う」


 勇士の返事を聞くと麻央は「私はこっちの左隅から描いていく」とさっそく動き始めた。


 咄嗟のことで返事に詰まってしまったが、麻央がこれからやろうとしていること、そして今しがた任されたことは最初から勇士自身も行おうと思っていたことだったため、それ以上特に言葉を交わす必要性も感じず、勇士は麻央とは対角線上の準備室の奥側右隅へと移動した。


 そして勇士はその場で床に膝を着くと、指に挟み持つ白チョークへと魔力を込める。


 途端にボワッと怪しげな紫色に光をまとったそれを、勇士は床に押し付けると線を引き、そして図と文字を描き始めた。


 ――これは『ヤークルティガーのウグイ』と言われる魔法陣を作るための作業であり、効果としてはこの魔法陣が設置された空間で魔術を行使した人間がいた場合にその存在を検知するものだ。


 今後この理科準備室で魔術を行使する人間がいた場合、魔法陣を作成した勇士と麻央はその瞬間にその行為を察知することができるようになる。


「…………ふぅ」


 それからしばらく経って、勇士は入り口から見て部屋の奥側――窓側のそれぞれの隅に紋様を描き終えたところで、固まった身体を伸ばしながら立ち上がる。


 振り向くと部屋の見える位置に麻央はおらず、代わりとばかりに準備室の中心にある机の下からガタガタと物音がした。


 すでに麻央は部屋の右側の2つの角へ紋様を描き終わったあとらしく、部屋の中心部に仕上げのための『六芒星』を記しているようだ。


 勇士はそんな姿を自身も座って覗くことにする。


 床に着いた膝を埃に汚しつつも、麻央はそんなことは気にせずに身体の位置をあちこちに変えて、綺麗な図形が床に描かれていった。


 時折勇士の方にお尻が向くのだが、困ったことにスカートが捲れ上がりそうである――いや、時折チラチラと捲れての布が露わになっている。


(こういう作業になるってわかってるんだから、ちゃんとズボンを履いてくればいいのに……)


 しかし勇士は特に動じることはない、なにせ勇士は前世はれっきとした女性だったのだから。


 女性の身体など自分のもので見慣れているし、自分で言っちゃなんだがレイシアは結構な美人だったと思う。


 そのため今さら女子のパンツ程度で心を揺らすなどはあり得ないことだった。


(クマさん……か)


 だからその布のデザインを見て、むしろこの世界の女の子の下着は可愛いものだな、なんて感想を抱きながら眺めるくらいだ。


「――おい、後ろから何やら嫌な視線を感じるんだが、お前何を見ている?」


「へっ? い、いや……」


 あまりにあからさまに視線を向けていたからか、半眼の麻央が机の下からこちらを振り返り、怪しい物でも見るようにジト目を向けていた。


「何を、見ている?」


「いや、その……スカートが捲れ上がってるな……と」


「…………それで?」


「えっ」


 これは誤魔化し切れそいうにないと踏んで素直に白状した勇士だったが、思わぬ切り返しに息を吞んだ。


 えっと、『それで?』って、なんだ……?


 しかし、そこでピーン! とくるものがあった。勇士の前世の女性経験がここで幸いしたと言える。


(そういえば昔は新しいアクセサリー系の装備品を買った時などは、そのデザインについて人から良い感想をもらうのが好きだった気がするな……なるほどそうか、そういうことか……!)


 自信を持って勇士は答える。


「可愛いクマさんのパンツだな。好きなのか、クマさん?」


 ――パチコーンッ!! と軽快な音を響かせて勇士の顔面へと何かが炸裂したのは勇士がそう言い切った直後の事だった――




「――よし、描き終わったぞ」


 麻央はそう言うと、机の下から埃まみれになりながら這い出してくる。


「うぐぅ……っ」


 勇士はそんな麻央に対して、ポケットティッシュを数枚取り出して鼻を押さえながらも不満の声をこぼした。


 鼻を押さえるのとは反対の手で持っているのは、先ほどまで勇士の鼻の穴にピッタリと突き刺さっていた白チョークだ。


 その先端にはテカテカとした黒ずんだ赤が付着していて見た目にはあまりよろしくない。


「なんだ、ようやく抜けたのか」


「『なんだ、ようやく抜けたのか』じゃねーよッ! 無駄に高い射撃スキルを見せやがって!」


 机の下の麻央との問答後にその指で弾かれた1本のチョークが勇士の鼻の穴にダイレクトでストライクをかましてくれて、勇士は先ほどまで中で折れないように慎重に抜くので苦労していたのだ。


「抜いたら抜いたで鼻血は出てくるしよ……」


「準備室の赤チョークが足りないようだったし、ちょうどよかったじゃないか」


「ちょうどいいわけあるかッ!」


 そんな頭の悪そうな会話を交わしつつ、しばらく休んで勇士の血が止まったところで麻央が立ち上がる。


「それでは魔力を込めるぞ、勇士。いいな?」


「――ああ。わかってる」


 勇士も立ち上がり呼吸を整え、それから麻央と顔を合わせると1つ頷き合う。


 そして今しがた描き終わった魔法陣に向けて、足の裏に意識を集中させ、そこから少しずつ魔力を通し始める。


 2人の足元からほのかに立ち昇った紫の光が描いた線に沿って魔法陣をゆっくりと染め上げていき、そして完全に染め上げられたと同時に朱色にひと光りした。


 その光が収まるとすでにそこには魔法陣は存在せず、チョークの跡も何も無くなっている。


 ここに罠が張られているのだと知られないために、魔法陣がその姿を消したのだ。


「これでよし……っと」


 勇士と麻央は同時に息を吐く。


 これであとは誰かによって魔術の行使がされるタイミングを待つだけとなった。


 この魔法陣には勇士と麻央の2人の魔力を通したから、何かを検知したその時には2人同時にその詳細が伝えられることになる。


「ふぅ……」


 ひと仕事を終えることのできた達成感と少しばかりの疲労感に勇士が椅子を引いてそこへ座ると、麻央もまた同じように腰を下ろすのだった。




―――――――――――――



 

 そこは夜中の理科準備室の中。


 窓もドアも閉めているから風もなく、電気をつけている訳でもないからほの暗くしか辺りを見渡すこともできない、そんな面白味の無い室内ではあったが何故か勇士はそこが嫌に落ち着いた。


 四角い木製の椅子に腰を下ろしてからすでに10分かもう少しは経っているだろう、チョークの攻撃を受けた勇士の鼻の痛みは大分薄れて、あとは鼻奥の鉄臭さを少し残すばかりとなっている。


 その時間の中で、2人の間に会話はなかった。


 ただ、2人して同じように、カーテンのわずかばかりの隙間から覗けるものをジッと眺めているのみだ。


 都会の空にぼやけて映る星々の中で唯一爛々と光るその星は、だからこそ一層周りとは異なって見えて、特別な存在に思えた。


「――赤い星は魔族や亜人類にとって力の象徴だ」


「え……?」


 唐突に口を開いた麻央へと勇士は顔を向けるが、しかし麻央は目線を窓の向こう側から逸らさずに言葉を続ける。


「本当かどうかは知らないが、前の世界で凶星と呼ばれた赤い星、あれは魔力波を放っているという話でな。だからその赤い星が大地へと近づいて見えやすくなる時、世界には普段よりも多くの魔力が満ちて、結果として魔法適正の高い魔族や亜人類の力は増大されるんだそうだ」


「あぁ……それは聞いたことがあるな。仲間の中にエルフの同僚がいた。彼女もそんな話をしていた気がするよ」


 勇士はそう返すと再びカーテンの隙間から覗く窓の外に映った赤い星を眺めて、そんな話をしてくれたかつての友人へと想いを馳せる。


 今この目で見えるあの星は凶星なんかじゃなくて、きっと火星か何かなんだろうけど、その赤さに火を灯されたように記憶の中が照らされて、勇士の頭には反攻軍の仲間たちの顔が次々に思い浮かんできた。


 きっとみんなは信じられないだろうな、まさかかつてのレイシアが今、勇士という男の子としてかつての魔王である少女と肩を並べて星を見上げているなんて。


 そして認めたくはないが――本当に認めたくはないのだろうか、それすらも今は心の整理がついていないが――俺はこの状況が嫌だとは思っていないんだ。


 そう思った勇士の口から、自然とその問いがこぼれた。


「なぁ。お前にとっての正義って、なんなんだ?」


「私にとっての、正義……?」


 麻央は星へと向けていた視線を勇士へと移すと、それからその問いを反復するように口にした。


 勇士は言葉を続けて、問い重ねる。


「お前はどうして魔王になったんだ? どうして魔族たちを率いて王国に攻め入った?」


 多分今までの、麻央と接する前の前世レイシアの記憶を持った勇士ならばそんなこと聞きたいとも思わなかっただろう。


 魔王を絶対的な悪であると決め込んで、そんなバックグラウンドを持つ麻央のことも敵視していたのだから。


 だがジャスティス団として渋々ながらも一緒に活動して、問題を解決して、そして打ち上げに参加して。


 短いながらもそういう過程を共にしてわかったことは、少なくとも今の麻央には自分と同じ価値観が存在するということ。


 弱きを守ろうとする心、正しきを行おうとする心を勇士は感じていた。


 だからもしかすると今の麻央ならば、前世の元魔王が何を考えて侵略行為をはじめたのか、そして今の麻央はその当時をどう思っているのかを聞かせてくれるのではないかと思ったのだ。


 そして語られる言葉の内に、もしも前世の自らの悪行を悔いるようなものがあったのだとしたら――


(俺は今の麻央を、信じても良いんじゃないだろうか)


 それはきっと前にも『中和』という概念を当てはめて考えた様に、前世の魔王が持った『悪性』の人格は現世の佐藤麻央の持つ『善性』という人格と混じり合って変質したということだ。


 いくら前世で敵対した間柄だとしても、勇士は今この世界を生きる『悪性』の消えた麻央まで恨み憎んで生きるつもりはない。


 だからこその問い。


 今の麻央の正義はどこにあるか?


 かつての魔王・グローツェスの正義はどこにあったか?


 勇士は問いを発して、麻央の瞳を覗き込んで、一瞬たりとも目を離さない。


 麻央はそんな真剣な眼差しを向ける勇士に対して少したじろいだ様子を見せるが、しかしいつもそうするように薄い笑みをたたえた。


「どうせ何を言ったって、お前は信じないんだろう……?」


 短く吐き出した息に乗せた言葉はこの現世で何度目かの、どこか憂いを、そして諦めを帯びたような言葉であるが、しかし。


「――信じる」


 勇士は即答する。


「――それが今の、お前の言葉であるのなら」


 それを聞いた麻央は、勇士の知る限り、初めてその薄く作った笑みを崩した。


 そうしてしばらく沈黙が落ち、しかしとうとう麻央が折れた様に「ふぅ」と小さく息を吐いて、薄く星明かりが差す机に目を落とし、ポツリと言葉を放つ。


「それならば、私のこれまでを。ここに至るまでの正義の話をしようか――」

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