第15話 大切な思い出のために

 顔を青くした荒川が台座を降りて、代わりに稲葉、その次に宇都宮が本棚の上の段を隅から隅まで確認するも、「無い、本当に無い……!」という言葉だけがただただ繰り返されるだけだった。


「どういうことだ? 3人は本当にここに本を隠したんだよな?」


 そんな予想外の結果に対し、篤が声を低くして問いかけるが、荒川たち3人組はただただ困惑の表情で首を縦に振った。


 そんなやり取りで少し騒がしくなっていたその本棚の間の通路の入り口へ、新たな影が現れる。


「あなたたち、何を騒いでいるの?」


「あ……」


 それはこの図書室の司書の先生だった。


 集まっている勇士たちを見て少し眉間をシワに寄せ「図書室内では静かにしなさい」とだけ注意をすると、そのまま背を向けて戻って行こうとする。


「すみません、先生! ちょとお聞きしたいことがあるんです」


 咄嗟に、勇士の口から言葉が出た。


 振り返る司書の先生に、勇士は言葉を続ける。


「あの、ここの本棚の一番上の段にこの図書室のものではない本が置いてあったと思うんですが、それをどこかに移動させた覚えとかありませんか……?」


 なんで本棚にこの図書室のものではない本が? なんて聞かれるとそれはそれで厄介ではあったが、その他に頼りになる情報もない今、背に腹は代えられないはずだった。


 せめてなんでもいいから情報を持っていて欲しい、そう願った勇士の耳を打ったのはしかし、まったくもって予想外の返事だ。


「――え? ここの本棚にあった本は、昨日の蔵書整理で全部廃棄しちゃったわよ?」


「な――――っ!?」


 全員(輝羅々川を除く)がその言葉に同時に息を吞んだ。


 勇士は驚きの中で、しかし確かに昨日の放課後の図書室の光景を思い出していた。


 今日の罠の仕込みで使用するための本を借りに来た時に、そういえば入り口の隅に束ねられた本の山がいくつか置いてあった……!


 勇士は通路を駆けて出ると入り口へと目線をやった。


 しかし、もうすでにそこに本の束は無い。


「先生! は、廃棄したっていうのは、もうすでに業者か誰かが本を持って行っちゃったってことですかっ!?」


 勇士は慌てて上ずる声を抑えながらもそう尋ねると、司書の先生はそんな勇士に気圧されたようになりながらも「えっと……」と腕時計を確認しながら答える。


「本は昨日、裏門側にあるゴミ置き場に縛って置いてあるけど……資源ごみの回収は今日よ。時間もそろそろじゃないかしら」


 その言葉を聞いた瞬間に、勇士たちは弾かれるようにして駆け出した。


 後ろから「ちょ、ちょっと!?」という司書の先生の声が掛けられるが返事をしている暇はない。


 図書室を飛び出して、裏門に一番近い来客専用玄関の目の前に位置する階段へと2階の廊下を5人が走る。


 その廊下の窓からは目指している裏門前の様子がありありと見え、その光景に一同は立ち止まり、「クソッ……!」と舌打ちをしてしまう。


 すでに業者は本の束を回収車に乗せ終わっていて、今まさに裏門から出て行こうとしているところなのだ。


「これじゃあ、間に合わない……っ!!」


 篤が叫びにも似た声を出し、勇士も何とかできないかと辺りを見渡すと、麻央の悔しげに歪められた表情、それに花梨の目から零れる涙が目に入る。


 ここまで来て、こんな結果かよ……!?


 ちくしょう……と勇士がそう声に出してしまいそうになる直前。


「――泣くなよ、田中」


 諦めに揺らがない、そんな芯のある声が上がった。


「まだ終わっちゃいねーだろ」


 輝羅々川が、いつになく真剣な表情で花梨の前に立ってそう言っていた。


「で、でも……もう車が……出ちゃって……っ!」


 嗚咽を噛み殺すようにして絞り出された声を受けて、それでもなお輝羅々川に諦めの表情はない。


 くるっと今度は勇士の方へと顔を向けて問いかける。


「正直なとこ、今のジョーキョーがよくわかってないんだが、田中の大切な本をあの車が持って行っちまったってことでいいんだよな?」


「ああ、そうだけど……って。お前、何を……?」


 勇士が完全に答え終わる前にガラガラッと窓を開け放ち、その縁に足を掛ける輝羅々川を見て、勇士は戸惑いの声を隠せない。


 他の面々もそんな輝羅々川の様子を、呆気に取られたように見るしかない。


 輝羅々川はしかし、そんな視線を気にもせず言葉を続ける。


「オレはバカだから頭を使うことはよくわかんなかったけどよ、今度はアレを追っかけるんだろ?」


「追いかける……? ――って、まさかお前ッ!?」


 そこまできて勇士はようやく輝羅々川が何をやらかそうとしているのかわかり、瞬時に止めようと手を伸ばしたが、時、すでに遅し。


「――カラダを使うってんなら、今はオレのターンだッ!!」


 それだけ言い残すと、輝羅々川が跳んだ。


 窓の縁を思いっきり蹴り出して。窓の外側へと。


 勇士たちの目に、その姿が空へと飛び込むように高く見えたのは一瞬。


「き、輝羅々川ーーーッ!!」


 すぐにその姿は下へと落ちて見えなくなり、次いでバキバキバキッという何か細いものを束ねて折ったような、盛大な破壊音が2階まで届いた。


「輝羅々川ーッ!!」


 勇士たちは急いで窓に駆け寄って下を覗き込むと、そこには校舎脇の茂みを割って歩く輝羅々川の姿があった。


 しかしそこで勇士たちが大きく胸をなで下ろしたのも束の間。


「うぉぉぉおおおぉぉぉおぉぉぉおおお―――――ッ!!!」


 輝羅々川は少し苦労して茂みから出ると、裏門から左折して出て行った回収車に向けて猛然と走り向かって行く。


「アイツ、本気で車を追う気だぞッ!!」


 篤はそう言うと、改めて廊下を駆け出した。


 勇士たちももちろんその背中を追って走る。


 靴も履き替えず、来客専用の玄関の窓口にいた事務職員たちに目を丸くされながらも4人は校舎を出て裏門も抜けて、回収車が走り去った方へと向かってひたすら走った。


 そしてあと少しで大通りへの道だというところで、プーッ!! という大きなクラクションの音が道角の先から聞こえてくる。


 それに続いて「こらっ!! キミ、何のつもりだっ!!」という大人の怒声もだ。


 急いでその角を折れて、そしてその先の光景を勇士たちは見た。


「――なぁ、おねがいだよっ!! さっきのせた本を返してくれよっ!! そん中に大事な本があったんだっ!!」


「――こらっ! 落ち着いて……! まずは服を引っ張るのをやめなさいっ!!」


 回収車の前の道に立ちふさがるようにして、輝羅々川と大人の男性がもみ合っている。


 いや正しくは、回収車から降りてきた男性の腰に輝羅々川がしがみつくようにして、本を返してくれるように頼みこんでいたのだ。


 道のど真ん中で車を止めてのやり取りになっているということは、まさか輝羅々川は走っていた車の前に割って入ったりでもしたのだろうか。


「輝羅々川ーーーっ!!」


 勇士が思いっきりその名前を叫ぶと「おーっ!! 止まったぜーっ!!」と威勢のいい声が返ってくる。


 「止まったじゃないだろうっ!!」という男性の怒ったような、困ったような言葉も聞こえて、現場はとてもつもなく混沌を極めていた。




―――――――――――




「「「「「すみませんでした」」」」」


 そう何度目かの謝罪の言葉を繰り返すと、ようやく「行ってよし」と立派な髭を蓄えた校長が頷いた。


「ほら、それじゃあ行くわよ」


 5年1組の担任である洋子先生がそう促して、普段は絶対に入ることのない校長室のドアを内側から開ける。


 そして勇士、篤、麻央、輝羅々川、花梨の5人は授業中で静まり返った廊下へと出た。


 それに少し遅れてお辞儀をして出てきた洋子先生は、勇士たちの目の前に立つとキッと鋭い視線を向ける。


「あなたたち、次やったら本気で怒るからね」


 なんとも言葉を返せない緊張した空気が漂うが、洋子先生はそれから疲れたように1つ息を吐くと「それでも、大事な本が戻って良かったわね」と花梨が大事に胸に抱える本を見て優しく言葉をこぼした。


「す、すみませんでした……」


 泣き過ぎで目じりを赤くした花梨が再びペコリと頭を下げる。


「みんなにも、こんなに大変な思いをさせてごめんなさい」


「いやいや、田中が頭を下げることじゃないだろ?」


 即座に反応した篤の言葉に、みんなは一様にウンウンと笑顔で頷いた。


 行動自体はとても危ないことで2度とやって欲しくはないが、それでも1人の友達を想ってそこまで一生懸命になれる子供たちを見た微笑ましさに、洋子先生もこれ以上責めたりはできないな、と頬を掻く。


「さぁ、教室に帰るわよ。最後にクラスのみんなにも心配をかけた事をちゃんと謝るのよ?」


 はーい、という5つの返事が静かな廊下に響き、5人はワイワイと喋りながら教室までの階段を上っていった。




―――――――――――




 放課後の教室にいるのは勇士と篤、それに輝羅々川の3人だけだった。


 麻央と花梨はいつの間にか帰っていたようで、『今日の成果について盛り上がりたい』と言っていた篤は少し残念がっていた。


 ただ、そんな篤も今は輝羅々川と一緒にじゃれ合って遊んでいる。


 勇士は、そんな2人の様子をボーっと見ながら、慌ただしかった今日の顛末てんまつを思い返した。


 路上で回収車を止めていた輝羅々川の元に勇士たちが駆けつけて、色々と事情を説明しているうちに洋子先生と司書の先生も走ってきて、大人の介入によってなんとかその場は収まった。


 それにつけても回収車を遅れさせてしまったのだから、小学校に対してのクレームは入るわ、先生たちに怒られるわ、しまいに校長室に呼び出しまで喰らって大変な1日だった。


 まあ、これからの事後対応がある先生たちに比べれば自分たちは「大変だった」の一言で終わらせられる分、全然マシではあるのだが。


 ホント、大人たちには申し訳ないことをしてしまった。


 そして今回の1件を引き起こしてしまった荒川・稲葉・宇都宮たち女子3人組は、昼休みに改めて花梨に対して謝罪をした。


 さすがにここまでの大事に発展するとは思っていなかった3人はかなり堪えた様子で、気の弱い稲葉・宇都宮に至っては薄っすらと涙さえ浮かべて自分たちの行いを反省していたから、もう2度と同じような真似はしないだろう。


 色んな事があったけど、それでも今日一番驚いたのは花梨に対してかもしれない。


『どうしてこんな事するのっ!!』


 そんな普段聞くことのない花梨の大きな声が、大通りの回収車の前で合流した輝羅々川に対してまず放たれた一言だった。


 窓から飛び降りた挙句、車の前に立ちふさがってまで花梨の本を取り戻そうとした輝羅々川に、花梨はまず怒って見せたのだ。


 腕っぷしと度胸には自信ありの輝羅々川もそんな花梨に圧されて「ごめん……」なんて素直に謝ってたんだから相当な気迫だろう。


 でも一瞬だけ荒げた声はまたすぐに大粒の涙に沈んで消えてしまった。


『――本なんかより、輝羅々川くんが大きな怪我をするんじゃないかって、すごく怖かったんだよ……っ』


 花梨は、それから茂みに落ちた時についた傷の治療のために輝羅々川が保健室に行くのにも離れずに付いて行ったものだから、その間輝羅々川はぶっきらぼうの皮を被って照れていた。


 花梨は輝羅々川の気持ちに気付いていないのだろうが、そのことを知っている勇士たち外野からしてみればとても微笑ましい光景だった。


「――よしっ、輝羅々川。お前はなかなかに見所のあるやつだ! ジャスティス団への入団を許可するっ!!」


「よっしゃぁぁぁあああ!! 任せとけぇいっ!!」


 勇士がボーっとしている間に、どうやら篤は輝羅々川を勧誘していたようだ。


 なんというか、輝羅々川はそれに対して完全にノリで答えているように見えるが、何をする集団なのか本当にわかっているのだろうかと勇士は小さくため息を吐いた。


 ――でも、まあいいか。


 正義の味方、ジャスティス団。別に悪いことじゃない。


 今回はまあ少しやり過ぎなところもあったけど、結果的に花梨の悩みを解決することができたし、輝羅々川のことも存外に良いヤツだとわかったのだから。


 勇士はそう考えることにして、窓の外に広がる夕暮れに紅く染まったグラウンドを視界へ映した。


 そして落ちる太陽の眩しさに目を細めながら、もう1つ考える。


(佐藤――麻央……)


 アイツは結果的に誰にも深い傷を残すことなく事を丸く収めてみせた。


 荒川たち犯人の事件後のフォローまで完璧にして、その前世の悪行で培った知略の全てを今回の平和的解決のために使ったのだ。


(もしかしたら、本当に……?)


 ――『正義の味方』に1度でいいからなりたかった。


 あの時、きっと信じてはもらえないだろうと前置いてから寂しげに放たれた麻央の言葉が、勇士の頭に繰り返し響くのだった。

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