第14話 悪魔的トラップ

 2時間目の授業が終わり、中休みの時間になった。


 さて校庭でドッジボールをしよう、一輪車の練習をしよう、一緒にお手洗いに行こうなどなど、クラスに賑やかさがやってくる。


「……行くわよっ」


 そんな中で剣呑な表情を浮かべた1人の女子・荒川は、自分の後ろの席の稲葉と宇都宮に小さく言うと早足で教室から出て行き、困った顔で2人がその後を追った。


 廊下をズンズンと進み階段も駆け足で降りていく荒川に「ま、待ってよぉ」と2人は離されないように付いていく。


「本当に、嘘だったらタダじゃおかないんだからっ!」


「嘘じゃないよ……! 昨日はあれから休み時間もずっと3人で喋ってて、誰もあそこに行く機会なかったじゃない……!」


 稲葉のその言葉に、確かにその通りだったと納得する心も荒川の中にはあった。


 しかし、事実として私たちしか知らない場所に隠したハズの本は、よりにもよって私のロッカーの中に入っていたじゃないか!


 あの隠し場所は犯人である私たち3人以外は知らない場所なんだから、そこから花梨の本を持ち出せるのは私たち3人のうちの誰かしかいないなんてことは当然の理屈だ。


 いくら放課後になるまで一緒に行動していたとしても、一度家に帰ってから再度学校へ戻ったり、朝早く来ていなかった保証はどこにもないのだ。


 探せば空白の時間は必ずある。


 だからこそ荒川は稲葉と宇都宮の2人に対しもはや心を許す気になれなかった。


「とにかく、いーい!? あなたたち2人のどちらもあの場所から本を持ち出していないんだとしたら、必ず同じ場所にまだ本があるはずよ! 無くなっているんだとしたら、みおちゃんとれなちゃん、どっちかが"裏切り者"なのは間違いないんだからっ!!」


 その語気の強さに『みおちゃん』こと稲葉と『れなちゃん』こと宇都宮は息を吞んで肩を震わせる。


 しかしそんな弱々しく怯えた姿を見せられたって今の荒川の心は氾濫して荒れ狂う川も同然。


 実際に花梨の机から本を取ったのは自分だが、まさかクラス全員にそれがバレるなんて思ってもみない事態が起こったことに加えて、今まさに仲のよかった友人たちにも裏切られているかもしれないのだから、2人の様子を気にかける余裕などどこにも……


 ――うん? 友人『たち』にも裏切られる……?


 引っかかったその言葉に荒川の思考が一瞬止まり、それからすぐに最悪な閃きが脳内を占めた。


 そうだ……! もしかしたら『どちらか』なんて甘かったのかもしれない。


 私は3人の中ではリーダー格、私のことを嫌いになったこの2人が一緒になって私を追い落とそうとしたのかもしれないじゃないか。


 思わず2人を振り返る。


 2人ともビクッとしてように立ち止まって、恐る恐るといった様子で私を見た。


 その姿は昨日までとなんら変わらないように見えたが、内面までは見通せるはずもない。


 もし2人一緒になって私を裏切っていたら、そしたら、どうなる……?


 私は、5年生と6年生の時間をずっと1人ぼっちで過ごさなきゃいけない……?

 

 荒川の思考はどんどん悪い方向へと転がって行く。


 2人とも裏切っている可能性。


 クラスからのみならず、この3人の輪の中でも自分が孤立している可能性。


 それを考えた瞬間に先程まで保てていた強気な思考は儚くも消え失せて、代わりとばかりに不安と焦燥でこの場で泣き叫んで喚きたい衝動が打ち寄せる。


 荒川の顔色はもはや真っ青に染まっていた。


 そしてやけに長く感じたが、時間にして1分足らずの移動が終わり、3人の身体はその部屋を前にして一瞬立ち止まった。


 『図書室』――この校舎の2階に位置するその部屋の蔵書数は、他の小学校に比べてやや多く、小学生向けの本からかなり学術的な古本まで、置いてあるジャンルも幅広い。


 その部屋に足を踏み入れた荒川には、もはや後ろの2人に構う精神的な余裕はどこにもなかった。


 大股歩きで、司書の先生に注意されない上限の速さで、昨日確かに訪れたその本棚と本棚の間の通路へと直行する。


 そして確かにこの本棚の一番上の段に差し込んだはずだと、もはや荒川は祈るようにして本棚を見上げた。


 ――花梨の本が未だに動かずこの場所にあって欲しい、2人が私を裏切ってはいない確かな証拠がどうしようもなく欲しい。


 遅れて稲葉・宇都宮も駆け寄ってくるが、もし本が無かったらと思うと恐ろしくて2人と視線を合わせられなかった。


 震える手足をそれでも無理やり動かして、荒川は近くにあった台座を掴むようにして引き寄せその上に乗った、その時だった。


「――ああ、ここに隠していたのね。田中さんの本」


 冷ややかな声が背中に掛けられて、荒川たちは反射的にバッ! と振り返る。


 今まさに荒川たちのやってきた本棚の通路の入り口から、佐藤麻央が姿を現していた。




――――――――――




「なっ……! なんでアンタがここに……!?」


 勇士たちが遅れて麻央の後ろから本棚の間へと顔を見せると、そこにいた3人組の女子――荒川・稲葉・宇都宮は目をまん丸にひん剥いてギョッとした表情になる。


「中条くんに輝羅々川に緑川くんに……田中、さんまで……!? いったい、いったいどういうことなのよっ……!?」


 驚愕の様子から立ち直り、今度は怒りと混乱で裏返る声で麻央に向かってまくし立てたのは荒川だ。


「別に? ただ田中さんが取られたものを返してもらいにきただけよ?」


 責めるような表情の荒川に対して、しかし一切感情が動かさないかのような酷薄の笑みで返したのはやはり麻央だった。


 荒川は、その答えに「は?」声を発すと、それからチンプンカンプンといったように目を回してしまう。


「どういうこと……? 『返してもらいに』……? 何を? 何のこと? どういうこと? だって、だって本はもう――」


「ああ、この本のこと?」


 そう言って麻央が手に持っていた本を荒川に見せる。


 それは先ほど荒川のロッカーから見つかった本であり、まさしく荒川たち3人が花梨の机の中から取って隠した本だった。


 だったらなんなのか、失くし物がすでに手元にあるのならば、余計にここへ来る意味がない。


 荒川はますますわからなくなり、そうなると目の前の麻央たちが自分とは全然違った思考をする異形の人に思えて、その得体の知れない怖さに呼吸が乱れていく。


 しかしその荒くなった動悸は、麻央がその本の裏表紙を捲ったことで突然収まり、そして同時に頭の中にガツンと重い何かで殴られたような衝撃が襲った。


「か、貸出カード……!?」


「そう。これでわかったでしょ……?」


 その本の裏表紙の内側に張ってあったのは、図書室で貸し出される本1冊につき1枚くっついている、貸出者を管理するための貸出カード。


 ――そう。あの休憩時間の三文芝居は、そこそこ大掛かりな『トラップ』だったのだ。


 その仕組み自体はクラスでも目立つ麻央、篤、輝羅々川を含め、勇士に花梨という5人がかりで行えば簡単なものだった。


 まずは今回の被害者花梨に突然泣き出して(もちろん演技だ)もらい、問題解決に向かった麻央に輝羅々川を犯人だと断定して2人でひと悶着を起こす。


 そしてそこに登場した中立的な立場を装った篤が、自然な流れで輝羅々川に犯人の名前を挙げるように仕向け、荒川たち女子3人組を巻き込むのだ。


 篤と麻央が机の中身を調べると称して、犯人、そして周りの野次馬たちの目線を一挙に引きつけている間に、勇士は目立たないようにひっそりとくだんの本を荒川のロッカーに仕込む。


 その本はもちろん花梨が失くしたという本そのものではない。まさに今のこの場所、学校の図書室で借りた正真正銘同じタイトルの本だ。


 だが、実際に中身を開かなければそれが本物かどうかなんてわからないし、実際に失くした張本人の花梨が本物だといって喜ぶのだ、クラスメイトたちがその言葉を疑うはずもない。


 それは、犯人である荒川たちも同様だ。


「まったくの計画通りよ。あなたたち3人は仲間内の誰かが裏切っていると思い込んだけど、もちろんその中から『私が裏切りました』なんて手が上がるはずもない。だからあなたたちは実際に隠し場所へと確認しにくるほか、お互いの結束を確かめる手段がなかったの」


 麻央はサッと髪をかき上げると、「どうだ」と言わんばかりに自慢気な顔を3人に突き付ける。


「だ、だから何なのよ……!? それがなんで私たちの後をついてくることになるのよ……!?」


 あまりの事態に混乱し切った荒川は、もはや自分の頭で状況を整理できないのか、切羽詰まったように問いかける。


 その言葉に「ふぅ」と息を吐いたのは、今まで麻央の後ろで黙って立っていた篤だ。


「つまるところ、俺たちは田中の本の行方がさっぱりわからなかったってことさ」


「は……? それってどういう……――ッ!!」


 篤のそんなほとんど『答え』である言葉にも反射的に聞き返そうとした荒川だが、さすがにここまでくると追い詰められた思考の中でも理解が及んだらしい。


「私たちに隠し場所へとさせるために、そのためだけに、わざわざ……っ!?」


「その通り」


 ニッと笑った篤にこちら側の面々(輝羅々川を除く)は頷き、対照的に3人組の少女たちは1歩後退った。


 そう。昨日の放課後の輝羅々川の目撃証言によって、勇士たちは犯人が荒川たち3人組だということはわかっていたが、しかし本の行方はわかるはずもない。


 真正面から問い詰めたとしても物的な証拠がないため、強気で通った荒川であればシラを切り通すことは充分に考えられた。


 だからこそ勇士たちは嘘の証拠をでっち上げてこの3人組(その中でも最も強い影響力を持つ荒川)をクラスから孤立させ、仲間内での疑心暗鬼を駆り立てることによって、隠し場所へと犯人自らが戻るように仕組んだのだ。


「――あ、悪魔……ッ!!」


 3人組のうちの誰かから、そして次第に3人全員からそんな中傷(?)の声が麻央へと飛んだ。


 確かに悪魔的に残酷で、そして華麗な罠だった。しかし。


(いや、悪魔じゃなくて、元魔王……)


 と、勇士はそんな益体もない呟きを心の中で独り言ちてしまう。


「さぁ、種明かしも済んだところで田中さんの本を返してもらおうかしら。それからもしちゃんと田中さんにこの事を謝れたなら、今回の件は『落ちていた本を荒川さんがでたまたま拾って自分のロッカーに保管していたけど、その事をすっかりと忘れていた』という筋書きにしてクラスメイトたちに伝えてあげなくもないわ」


「――……くぅ~~~ッ!!」


 荒川はあまりの悔しさと惨めさでいつの間にか目の端にたっぷりと涙を溜めていたが、選択肢は他にないと悟ったのだろう、大人しく台座に乗って背伸びをすると本棚の上段に手を伸ばす。


「さて、これで本当に一件落着ね」


 麻央はそう言って花梨へ顔を向けると朗らかに笑った。


「本当にありがとう、佐藤さん……! それに、本当にすごい!」


 花梨はきらきらとした憧れの込められた眼差しで麻央を見つめ、そんな様子に篤も「そうだな」と相槌を打つ。


「まさかここまで人の行動を操るとはな。確かに悪魔と呼ばれるのも納得の知略だぜ……あっ、もちろんいい意味でな?」


「……まあ、褒め言葉として受け取っておくわ」


 そしてそんな会話をしていたが、勇士はふと、本を取るだけにしては時間が掛かり過ぎると台座の上の荒川を見上げた。


 そこには、先ほどよりもよっぽど顔を青くした荒川が呆然とした表情で立ち尽くしている。


「ど、どうしたんだ? ――本は?」


 勇士の一言に、この場の全員の注目が荒川へと集まった。


「――ぃの……」


「え?」


 掠れて聞き取れない声に対して勇士は聞き返す。


 すると、今度は震えた声で、しかしはっきりと聞こえる声で荒川は繰り返した。


「――無いの……! 確かにここに隠したハズなのに、本が無いのっ!!」


 その言葉に勇士の、麻央の、篤の、花梨の、稲葉の、宇都宮の動きが固まった。


 無い……? 昨日自らが隠した場所に本が無いだって……!?


 勇士たちの思考が一瞬真っ白になり、静けさが空間を支配する中で、


「はぁ? どう見ても本ならいっぱい並んでるじゃんかよー」


 という、輝羅々川の間抜けた声だけが本棚の間を虚しく通り過ぎていった。

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