第13話 犯人

 ――その声は1時間目の授業が終わったあとに、クラス全体に波紋を広げた。


「え、え~ん、え~ん……!」


 クラスの廊下側の後ろ寄りの席で、普段クラスではまったく目立たない大人しい女の子が声を上げて泣き始めたのだ。


「え~~~ん!」


 その大人しい女の子、花梨は両手で目を押さえながら自分の中ではとても大きい方に分類される声量で教室全体へ悲しみを訴える。


 そんな様子に束の間の休み時間に浮かれていたクラスメイトたちは驚き、はしゃぐのをやめて広く間を空けて遠巻きに花梨を囲んだ。


「あれ? 田中が泣いてるぞ?」「どうしたどうした?」「なんか突然田中さんが……」「どうしよう、先生呼びに行った方がいい?」


 自分から初対面の子に話しかけることができるようなタイプではない花梨は、5年生になってからは自席の前後のクラスメイトとも満足にお喋りをしたことがない。


 周りを囲む生徒たちはそんな花梨へとどう接してあげたらいいのかわからず、困惑したように様子を見守る他なかったが、しかし。


「――どうしたの、田中さん? なんで泣いているの?」


 野次馬をかき分けて花梨の席の前にやってきたのは、今や優しくて腕っぷしも強いとクラスの内外で話題沸騰中の転校生・佐藤麻央だった。


「ねぇ田中さん。どうして泣いているのか私に説明してもらってもいいかしら?」


 クラス全体に通るような大きい声で麻央がそう言うと、花梨は麻央の耳元でコショコショと、事情を説明しているのか何かを呟いた。


「えぇっ!? 机の中に仕舞っておいたはずの大切な本が無くなってしまった、ですってーっ!?」


 麻央のそのわざとらしいほど大きく驚いた声へ釣られるように、周りを囲む生徒たちもザワザワと騒ぎ始める。


 しかしそんな中でもよく通るような声で「でも犯人はわかっているわっ!」と麻央は再び注目を集めて、ある1点をビシッと指差した。


「輝羅々川くんっ! またあなたが田中さんの本を取ったのねっ!?」


 クラスメイトたちは麻央の差した方向は輝羅々川の自席に顔を向ける。


 しかしなぜか名前を呼ばれた当の本人は、反射的にそうしたのかはわからないが、まるでクラス全体からの注目が欲しい頭の弱い子のように何故か机の上に立って、それらの視線を一身に受けていた。


「オレですかっ!? オレはそんなこと、やっていないなぁっ!! うん、やってない、やってないっ!! 絶対にやっていないなぁっ!!」


 机の上で身体全体を使ったジェスチャーで無実アピールを繰り返す輝羅々川。


 誰もがポカンとしてそんな姿を見上げていると、後ろから「チッ……あのバカめ……」と何やら低く抑えられた恐ろしげな声が聞こえる。


 そんな聞く者の背中を冷やすような声を聞いたクラスメイトたちがまさかと思って振り返るも、そこにいたのは相変わらず「え~ん」と泣き続ける大人しい花梨とクールで美少女なはずの転校生の2人だけで、彼らは「なんだ、ただの空耳か」と勝手に納得する。


「あー、ゴホンっ。……輝羅々川くん! あなたじゃないという証拠はあるのかしら!?」


 一瞬緩んだような空気を再び引き締めるように、麻央が再び鋭い声音でそう問い詰めると、輝羅々川も負けじと


「なんだとー? オレの言うことが信じられないのかー!? だったらケンカすっぞ、ケンカ!」


 と凄まじいほどの棒読みでまくし立てる。


 輝羅々川の様子や喋り方にクラスメイトたちは多少の違和感は覚えたのかもしれないが、元々おバカということでも充分に学校へと名を通す輝羅々川のことだからと、みんなそれ以上は気にしていない様子だ。


 それよりも「むむむっ!」と麻央と輝羅々川の両者がにらみ合うことによって生まれた一触即発な雰囲気がクラスに漂ったことで、野次馬の誰もが腰の引けたようになる。


「――2人とも、やめないかっ!!」


 そんな中で、突如としてその緊張の輪の外から怜悧れいりな声が投げられる。


 その声の持ち主を見た途端、多くの生徒たちが安堵のため息を吐き、口々にその登場を大いに喜ぶ。


「篤だ!」「緑川くん! よかったぁっ!」「お願い、あの2人を止めて!」「早くっ! またケンカが始まっちゃうよ!」


 その一声で問題児の輝羅々川と腕っぷしが強いと噂の麻央の動きを制したのは、クラスの中心的なリーダーのような存在であり、広く信頼の厚い緑川篤だった。


「2人とも、冷静になって話し合うんだ」


 篤のその言葉に2人は驚くほど素直に首を縦にする。


 そんな様子を見て、この2人に言うことを聞かせるなんてやはり篤はスゴイやつなんだとクラスの生徒たちは改めて篤の人徳に息を吞んだ。


「まず輝羅々川に聞くぞ? 田中の本を勝手に持って行ったりしてないんだな?」


「オレは、持っていってませんよ!」


 輝羅々川には珍しく敬語を使っている、その事実になおのことクラスメイトたちは篤への尊敬の念を深めていく。


「じゃあ、いったい誰が本を持って行ったんだろうな? 誰かこの席に近づいた生徒はいなかったんだろうか?」


 輝羅々川の答えを聞いて篤が考え込む様子を見せると、周りを囲う野次馬たちも一緒になって考え始める。


「誰かこっちの席に来てたか?」「私は違うよ、私は朝の会まで窓際で喋ってたもん」「僕も今日はギリギリに教室に来たから取れないよ」「俺も違うよ」


 そんなざわついた教室内に「あー!」という声が響き渡る。輝羅々川の声だ。


「そういえば今朝、オレらと同じクラスのアラカワさんとイナバさんとウツノミヤさんが田中の席の前にいたのを見たなーっ!!」


「「「なっ――」」」


 輝羅々川のその言葉に息を吞んだような声を出したのは、野次馬の輪に加わらずに窓際で寄り合っていた3人の女子だ。


 挙げられた名前とその声が、否応なくクラスの注目を集めてしまう。


「輝羅々川、それは本当か?」


「ウソじゃねーですぜ」


 確認をとる篤に対して、輝羅々川は腕を組んで大きく頷く。


 しかしその言葉に「ふざけないでっ!!」と反論の声を上げたのはもちろん名指しされた3人組の女子、荒川・稲葉・宇都宮たちだ。


「私たちだって、そっちの席になんて近づいてもな――」


「――しっ!!」


 3人組の稲葉が反射的に言いかけた言葉を荒川が慌てたようにとがめる。


「……とりあえず、疑いを晴らすためだ。3人とも机の中を見せてくれないか?」


「い、いやよ……! 本なんて入ってないし、第一私たちにそれをさせるなら輝羅々川だって!」


 篤の言葉に反発し、そうして荒川は未だ机の上に立って腕を組む輝羅々川を指差した。


 最初に疑われていたのは、輝羅々川のはず。


 それを差し置いて自分たちばかりが犯人なのではと机の中を調べられるのは納得いかない、そんな3人組の憤然とした口調に、しかし篤は「まあ落ち着け」とクールに諭した。


「もちろん、輝羅々川の席だって確認するさ。なあ佐藤、俺が輝羅々川の机を見るから、お前はあの3人の机の中を見てくれないか?」


「そうね。調べるにしても同じ女子がやった方が気分は悪くないでしょうし、わかったわ。3人とも悪いけど協力をお願い。名前の挙げられた人たち全員の机を調べる、それなら公平でしょう?」


「「「え、えぇ~……」」」


 3人組はまだ納得のいかないと言った様子で不満を声に出したが、クラスメイトたちの注目もある以上はここで強固に反対するのは逆に不利に働くのではと思ったのだろう、最終的に折れて首を縦にした。


「――ふむ、輝羅々川の席には何もないみたいだな」


 クラス中の視線を集める中で、机を調べていた篤はそう言って窓際の席で3人の机を調べる麻央へと顔を向ける。


「そっちはどうだ?」


 その質問に答える前に、麻央はチラリと目線だけを動かして教室の後ろの状況を確認する。


 視界の隅に、静かに外野へとはけていく勇士の後ろ姿をとらえることができた。


「こっちも、無いわ。3人の机に本は無かった」


 それを聞いた3人組はあからさまにホッとした表情を浮かべたかと思うと、それからキッとクラス中を睨みつけるようにして鼻を鳴らす。


「だから言ったじゃない! 本なんて持ってないって!」

「そうよそうよ!」

「第一、私たちは朝からずっと3人でお喋りしてたんだから!」


 最後に輝羅々川へ渾身のひと睨みを向けると、3人は中を調べられるときに机の上に広げられた教科書などの中身を戻そうと席に着こうとする。


「待って」


 しかし、それを止める声があった。


 余計な感情の含まれていない、淡々としていて、それなのにクラス中によく通る麻央の声だ。


「私は本は無かった、そう言っただけよ?」


「「「え……?」」」 


「ロッカーの中はまだ見ていないわ。見させてもらうわね」


「はぁっ!? ちょ……!?」


 3人の返事も聞かず、麻央は教室の後ろに3段になって設置されているロッカーへと歩いて行く。


 1人に1個割り当てられた正方形の奥行き40から50cmほどのロッカーには鍵などはついておらず、どのスペースからも鍵盤ハーモニカや習字道具などがはみ出している。


 その中から1つのスペース、荒川のロッカーへと麻央は迷いなく足を進め、そしてためらうことなく手を突っ込む。


 そしてゆっくりとその手を引き抜き――


「本があったわ」


 その手に掴まれていたのは、厚めのハードカバーで赤い背表紙の、いかにも古めかしい本だった。


「田中さん」


 麻央がその名前を呼ぶと、まるで準備でもしていたかのような早さで、野次馬たちの間を割って花梨が麻央の元へと寄ってくる。


「あっ、そうです、これです! 正真正銘、これが私の探していた本です!」


 そして今まで泣いていたのが嘘かのように明るい表情で放ったその言葉がクラスへと響き、同時にクラスメイトたちの間のざわめきが一気に増した。


 花梨の本が無くなり、荒川たちが疑われ、そしてその荒川のロッカーに本があったのだとすれば犯人は間違いなく――


「――うっ、嘘よっ!!!」


 クラス全体から向けられる自分たちへの不快な視線を、かき消さんとばかりに荒川は悲鳴のような声を上げる。


「ありえない、ありえない……っ!! ロッカーに入ってるわけがないっ!!」


「でも実際に、あなたのロッカーにこの本が入ってたのよ?」


「なんでっ!? そんなこと絶対……っ!」


 そこまで言いかけて、荒川はハッとした表情で稲葉・宇都宮を振り返って「まさか……!」と驚きと、続けて怒りの視線を向ける。


 しかし、そこから何を悟ったのかはわからないが、稲葉・宇都宮は首をすごい勢いでブンブンと横に振った。


 荒川がそんな2人にさらに詰め寄ろうとしたその時、キーンコーンカーンコーンと始業のベルが鳴る。


「まぁ、これで一件落着ね」


 麻央のその一言が教室に響くなり、授業の準備を整えたスライドドアを開けて担任の洋子先生が入ってきた。


「あれ? みんな一か所に固まってどうしたの?」


「――いえ、なんでもないんです。先生」


 篤がそう取りなすと、生徒たちは微妙な空気を残しつつも、大人しくその場を解散して各々の席に向かってバラけていく。


 麻央も荒川に目一杯睨まれながらも、窓際の自席に向かい着席する。


「じゃあ授業を始め――って、輝羅々川くん! なんで机の上に立っているの!? 早く降りなさい!」


 田中花梨の本を盗んだ犯人は荒川・稲葉・宇都宮の3人。


 クラスに強くその印象を与え、また若干の不完全燃焼感を残したまま、2時間目の授業が始まったのだった。

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