第12話 麻央の動機

「ちょっと待て、佐藤麻央」


 校門を出たところでその後ろ姿を見つけた勇士は、ここまで走ってきたことで乱れた呼吸を整えながらもそう声を掛けた。


「中条勇士……なにか用?」


 感情の表に出ない平坦な声でそう返す麻央に対して、勇士は少し喉を詰まらせながらもハッキリと言葉にする。


「一緒に、帰らないか……?」


 麻央は目を見開いて初めてその無表情を崩すが、一言「別に構わないが」と返事をすると勇士を待つことなくさっさと歩いて行ってしまう。


 時刻は午後4時近く、陽はだいぶ傾き始めて空に赤みが増しており、並ぶ2人の影が長く伸びていた。


 会話もなくただ麻央の隣を歩く、そんな時間だけが過ぎていく中で勇士はなんだか変な汗を背中にかいていた。


 普段なら1人で帰るか途中まで篤と一緒に家路になるのが普通だったが、今日は勇士自らが麻央にどうしても聞きたいことがあるからと篤に断ってきたのだ。


 篤はそれを聞くと笑顔で「よっしゃがんばってこい!」と完全に勘違いの深まった励まし方で送り出してくれたが、勇士はもうあえて気にしないことにした。


「そう言えば――うちの『親父殿』が泣いていた」


 沈黙が続く下校の道で、最初にその静けさを破ったのは勇士ではなく麻央だった。


「……はっ? 急になんだ?」


「何だじゃないだろう、お前がこれからは『親父殿』と呼べと言ったんだ」


 勇士はそれを聞いてようやく「あぁ」と合点のいった声を出した。


 確かにそれは麻央の転校初日に、元魔王である麻央が自分の父親のことを『パパ』と呼んでいたことを勇士がうすら寒く感じて、これからは元魔王らしい呼称――例えば『親父』や『親父殿』などと呼べと半ば無理やりに迫ったものだった。


「律義なことだな。それで、それがなんだって?」


「あれから仕事帰りの親父殿に『おかえりなさい、親父殿』と言ってみたんだが、『どこでそんな言葉を覚えたんだ……!?』と玄関先で膝から崩れ落ちて泣かれてしまったぞ? 」


「そうか……」


 ちょっとその父親が可哀想な気もしたが、究極的に考えれば元勇者である自分が元魔王であるコイツの家庭事情など特別に配慮する必要はない、そう思い勇士はそれ以上の反応をする気にはならず、あいまいに相づちを打った。


「ちなみに昨日は出がけに肩をガッシリ掴まれて、『反抗期か? 反抗期なのか?』と不安そうな瞳で顔を覗き込まれた」


「そうか……」


 男親としては娘がこれくらいの年頃になったら嫌われ始めるんじゃないか、なんて不安でしょうがないんだろう。


 なんとなく気持ちはわかる。そして自分がその不安のトリガーを引いてしまったことに対して少し引け目は感じる……が、それがどうした? 元魔王の生活環境がどうなろうと俺になんか関係あるか……?


「夜にはなんだか美味しそうなケーキを買って帰ってきたかと思うと、食べながら真剣な顔で『どうして親父殿なんだ? お父さん、とかじゃダメなのか?』と懇願の表情で聞かれてしまった」


「そ、そうか……」


 娘の急変に相当追い込まれているようだ。しかしそんなのは別に俺の知ったことではない、知ったことじゃないはずだ……!


「さらに今日の出がけには、神妙な顔をした親父殿に手紙を持たされてしまった。読むぞ――


 愛しの娘 麻央へ。


 お手紙という形をとってごめんなさい、パパです。


 でも顔を突き合わせてのこういう会話は、昨日もそうだったけど、きっと麻央がイヤがるんじゃないかと思ってこうやってパパの気持ちをしたためてみました。


 できれば、最後まで読んで欲しいかな。


 麻央がどうしてパパのことを『親父殿』と呼びたくなったのか、パパはこれ以上ムリに聞こうとはしません。


 でもこれだけは覚えておいて欲しいです。


 パパは、いえ、麻央の『親父殿』は、麻央にどんな呼び方をされても、ずっと、いつまでも麻央のことが大好きです。


 もし、麻央が今思い悩んでいること、困っていることがあったなら――――

』」


「――――わかったっ!! もういいっ!! 手紙読むの中止、中止!!」


 自分の発言によって悲哀に染め上げられたその親父殿の心の内に、勇士はさすがに良心の呵責を感じられずにはいられず、麻央の朗読を手を振ってかき消すように止めた。


 麻央の手に持った便箋はところどころ水に濡れて乾いた跡のようにゴワゴワとしていてシワが寄っている。


 もしかして泣きながらこの手紙を書いてたのかっ! 佐藤麻央の親父殿っ!


「なんだ、まだ便箋の1枚目だぞ」


「何枚あるのっ!?」


「3枚」


「……もう、呼び方をパパに戻していい、いや戻してくださいお願いします」


 まさか自分の発言がこんな良心を責める形で自分自身にダメージを跳ね返してくることになるとは思わなかったと、勇士は深いため息を吐いてそう言った。


 こんな精神的ダメージを永続的に受けるくらいなら元魔王が『パパ』呼びをすることに寒いぼを立てた方がいくらかマシだった。


「そうか、それならパパも喜ぶことだろう」


 麻央はあくまで淡々とした表情を崩さずにそう言ってから、「それで?」と話を変えるように寒いぼが立ちそうになっている勇士へと目線を投げた。


 そこに含まれたニュアンスに、これはもしかして麻央に気を遣われたのかもしれないと、ハッとして気付いた勇士は若干気恥ずかしくなる。


 麻央の突拍子のない話は会話の導入でよく使われる、いわゆるアイス・ブレークというものだったのではないか。


 普段とは少し異なる緊張感から上手いこと話を切り出せない勇士をリラックスさせるために、まったく関係のない話題を差し込んでこちらに喋らせる機会を与えて空気に慣れさせる、そんな手法だ。


 麻央に助け舟を出されたようで癪だったが、しかしそろそろもう充分な距離を歩いてきている。


 勇士は意を決して口を開くことにした。


「……輝羅々川が田中の本を取り上げた時、お前は田中を助けたよな?」


 勇士の頭の中に、その時の光景がありありと思い返される。


 本を高い位置に取り上げて花梨をからかう輝羅々川に対して誰も口を挟まないクラスの中、ただ1人だけ声を発し、そして凛然として立ち上がった麻央。


 輝羅々川に怪我を負わすことなく適当にあしらったあと、優し気な笑みを浮かべて取り上げられた本を花梨へと返した麻央。


「そうだな。今考えればただの私の恥ずかしい思い違いだったようだが」


「それでもあの時のお前は、田中が輝羅々川に意地悪されていると思って助けたんだ。その行動は別に恥ずかしいことなんかじゃない」


 自嘲気味な麻央の言葉に反射的にかぶりを振ってしまった勇士に対して、麻央が驚いたように目を丸くする。


「なんだ、慰めてくれるのか? お前らしくもない」


「い、いや……勘違いするな! 行動の正当性を認めているだけだ、お前個人に対しての感情で言ったわけじゃない」


 勇士は取り繕うようにして慌てて言った。


 確かに行動の善し悪しで判断するなら麻央のあの時の行動は『善』が前面に出されたものだと言えるが、だからといって元魔王を庇うなんて元勇者としてはありえない行為だ。


 勇士は1つ息を深く吸い込んで気を落ち着けると言葉を続ける。


「……お前は今回の件についても、『明日のことは私に任せなさい』と言ったな?」


「ああ。それが?」


「それも田中のため、か」


「それ以外になにがあるんだ? ジャスティス団は『校内の生徒たちの悩みを解決するための集まり』なんだろう?」


 麻央の最後の問いかけには答えず、勇士は立ち止まる。


 歩調を合わせていた麻央もまた足を止めて、1歩先の地点から勇士を振り返った。


「中条勇士。お前はいったい、私に何を言いたいのだ? さっきからわかりきった質問ばかりを投げてくるじゃないか」


 麻央がぶつけた訝しげな言葉を勇士は正面から受け止めて、そしていくらか逡巡したあとに絞り出すようにして口を開く。


「――お前の今の行動が俺にはわからないんだ」


 頭の中の、そして心の中の、前世にある記憶とはまるで噛み合わない今の麻央の行動に溜まったモヤモヤを、勇士は言葉にして吐き出す。


「お前は帝国を侵略し、罪の無い多くの人々を苦しめた。手下の魔族どもを使って殺戮を行った非道の魔王のはずだ。なのに今のお前はまるで……!」


 それは帝国を欲望の赴くままに蹂躙じゅうりんせんとする魔族たちに立ち向かう反攻軍と同じ、道義的に正しい道を歩もうとした前世の俺レイシアと同じ。


 まるで真っ当な『正義』を果たそうとしているようじゃないか。


「佐藤麻央。お前はなんで『ジャスティス団』の誘いに頷いたんだ……?」


 正義の味方、ジャスティス団。


 いかにも子供の遊びとしてありそうな、ヒーローごっこの延長線。


 非道な魔王なら嘲笑し、普通の女子なら見向きもしないそんな遊びにも関わらず、二つ返事で篤の誘いを受け入れた麻央。


 それに加入したのは果たして本当に自分が思うような企みのためなのだろうか。


 そうだとしたら花梨に本を返した時の微笑みも、勇士や周りの油断を誘うための嘘に過ぎないのだろうか。


 今日再び本を失くして悲しそうな花梨に対して『明日のことは私に任せなさい』と優しげに語り掛けた姿も偽りなのだろうか。


 それとも――――?


「どうせ何を言ったって、お前は信じないんだろう……?」


 皮肉っぽく頬を歪めて笑う麻央に勇士はただ、無言だった。


「……別に複雑な理由があるわけじゃない。『正義の味方』というやつに1度でいいからなりたかった。それだけのことだ」


 そう言い残すと麻央はくるりと正面に向き直って再び歩き始めた。


 『正義の味方』に1度でいいからなりたかった……?


 勇士は胸の内でその言葉を何度も反芻はんすうするが、そこに含まれた意味を推し量ることはできない。 


 濃くなった夕焼けの赤が目に染みる通学路の上、麻央は一度も振り返らずに道の角へと消えていった。

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