第6話 佐藤麻央の実力

 給食が終わり掃除も終わって、昼休みの時間になった。


 元気があり余る男子たちは食べた直後だというのに勢いよく教室を飛び出していって、早速校庭にスポンジボールを持ち出して遊んでいる。


 勇士も数日前まではそちら側のどこにでもいる小学生男子であったが、今日からは事情が少し異なった。


(――佐藤麻央!)


 どうやら麻央は昼休みを、どんな手練手管を使ってかは知らないが、転校早々に作ったクラスメイトの女子の友だちと談笑することに使うらしい。


 窓側の一番後ろの麻央の席に数人の女子が集まってきゃあきゃあと楽し気な雰囲気だ。


 勇士の席は真ん中の列の前側の席にあるので、宿題のプリントに向かうフリをしながら麻央の様子をバレずに観察するのにはかなり神経を使う。


 しかしこれは、神経を使って疲れてしまうからといってやらないわけにはいかないことだ。


 もし自分が目を離した隙にクラスメイトの身に何か起こってしまったら、きっと悔やんでも悔み切れないだろう。


 そんな気持ちで佐藤麻央への警戒に全力を尽くしている折だった。


「――か、返してっ……」


 か細い女の子の声が、教室に小さく響く。


 声のした廊下側の方を見やると、そこには季節外れのタンクトップにハーフパンツの男子が仁王立ちをしている……!?


 いや、違う。声を出したのはその季節外れの男子が立っている前の席で座る女の子だ。


「また輝羅々川きららがわのやつか……!」


 勇士の後ろの席でそう呟いたのは篤だ。


 篤も昼休みの時間は外に遊びに行く派の男子なのだが、今日は体育の時間が終わってからというもの何かずっと考え事をしているようでやけに大人しい。


 まあ今それはどうでもいい。


 季節外れのタンクトップがやけに似合うその男子――輝羅々川きららがわ剛ノ介ごうのすけはこの小学校随一の問題児にして、ケンカNo.1を自称するガキ大将だ。


 いつも男子女子構わずにちょっかいをかけては先生に怒られる、ちょっとおバカさが目立つ子供である。


「相手の女の子の方は確か……田中さんだっけ?」


 勇士がそう確認を取ると、篤はコクリと頷いた。


 正直、5年生になってクラス替えをした直後だから、前から同じクラスだったやつ以外は顔と名前が完全には一致してないのだ。


 見た目としては前髪が目を隠すほどに長く、いかにも大人しそうな女子というものを体現しているその女子・田中は、仁王立ちする輝羅々川を泣きそうな顔をして見上げていた。


「それで、いったいどうしたんだ……?」


 その答えは篤ではなく、輝羅々川自身が口を開いて教えてくれた。


「おいおいおい! 昼休みだってのに教室で1人で本を読んでるなんて、お前ってホントーにネクラなやつだな! こんなのボッシューだよ、ボッシュー!」


「き、輝羅々川くん、返してよぉ……」


「やーなこったぁ~~~!!」


 その言葉が指し示す通り、輝羅々川の上にやった片方の手は何か本のようなものを掴んでいて、言葉通りに受け取れば輝羅々川が田中の読んでいた本を取り上げたのだろう。


 まったくもって、しょうがない意地悪だ。


 男子ってやつはどうしてこう変な問題を起こすかな……って、いや、そういえば俺も男子だったな。


 なんだか最近、時々だが前世の頃の女性感覚に意識が引っ張られることがある気がしてならない。


 まぁ記憶的には前世のレイシアだった期間の方がまだ長いわけだからしょうがないんだろうけど……と勇士はなんだか妙な気分になる。


「仕方がないな、ちょっと止めてくるか……」


 勇士が益体のないことを考えている間にも、篤は輝羅々川と田中の2人のやり取りの中立ちをしようと席を立とうとする。


 俺も行こうか? 勇士がそう訊こうとしたその時だった。


「――やめなさい」


 勇士たちが行動を起こす前に、叫んだわけでもないのに辺り騒ぎを鎮めるような凛とした声が教室に通った。


 その声の持ち主は今の発言は私のものだと主張するように、時間が止まったような空間で1人、座席から立ち上がる。


(――佐藤麻央……!!)


 窓側の席で立ちあがる麻央が、輝羅々川を真正面から睨みつけて立っていた。


「あぁん!? なんだお前、やんのかっ!?」


「別に、やらないわ。ただその田中さんの本を返しなさいと言っているのよ」


「うるせぇっ! そんなのオレの勝手だろーがっ!」


「……勝手じゃないわよ。田中さんが返して欲しがってるじゃない」


 麻央は「ふぅ」と1つ息を吐くと廊下側の輝羅々川の元へと淡々とした歩みで距離を詰めていく。


 途中、麻央と喋っていた女子たちから「麻央ちゃん危ないよっ」「ソイツ見境ないからヤバいって!」なんて注意の言葉が出てくるが麻央は気にも留めない。


 勇士といえばその間、麻央の行動や気配を研ぎ澄まされた感性をもってして観察していたが、その中で麻央の言動に害意や殺気の類は認められないようだった。


 ――ひとまず介入は保留にして、麻央がどのような手を使うのかを見させてもらおう。


 勇士はそう考えて、今やその距離が1メートルに満たない麻央と輝羅々川の様子を腰を据えて見届ける体勢に入る。


「言っとくがよぉ、俺は女子が相手だろうがヨウシャはしねーぜ?」


「別にアンタなんかに容赦される必要もないわ」


「このっ……テンコーセーのくせにナマイキなんだよっ!!」


 輝羅々川はそう言うと、おそらく麻央を突き飛ばそうとその身体の中心に向かって手を突き出した。


 しかし、その手は何にも触れることはない。空振りだ。


 麻央は仕掛けられたその手の手首を掴んで、そのままグイッと力の流れにそって引っ張った。


「ぅわっ……!」


 前につんのめって転びそうになった輝羅々川が堪えるために前に出した足の着地を、しかし麻央の足払いが許さない。


 地面を見失った輝羅々川の身体はそのまま前に傾いて――


 地面に倒れ臥す直前で、と1回転して尻もちを着いた。


「――はぇ……?」


 何が起こったのかわからない、気付けば目線が1段下へと下がっていた輝羅々川はそんな間の抜けた声を出して辺りを見渡した。


 クラスにいた他の生徒たちも、みんな一様にポカンとした様子でその光景に目を丸くしている。


「――女の子の胸を突き飛ばそうとするなんて、ちょっと無神経すぎるわよ」


 頭上からそんな声が掛かり、どういうわけかはわからないが自分はこの女子に尻もちを着かされたのだという羞恥が輝羅々川を襲う。


「て、てめーっ!!」


 ブンッ! くるり。どすんっ。


 ブンッ! くるり。どすんっ。


 輝羅々川はそれから何度も麻央に飛び掛かるが、その全てが文字通り空回りに終わってしまう。


「ちくしょうっ! なんであたらねーんだ!」


 麻央はそんな輝羅々川には見向きもせず、「田中さん」と他のクラスメイト同様に驚きの表情を隠せない田中へと、いつの間に取り返したのか、元々の騒ぎの種となった本を手渡した。


「これ、田中さんのなんでしょ?」


「ぇ……えと……ありがとう、ございます……!」


「別に大したことじゃないからいいのよ」


 何度目かの尻もちの最中に悔しがる輝羅々川を余所にして行われているやり取りだったが、本が自分の手元から無くなったことはもはや輝羅々川にとっては些細な事だったらしい。


「テンコーセーッ!!」


 もう輝羅々川の目には麻央しか映っていないらしく、馬鹿デカイ声でそう叫ぶとそれから雄たけびとともに麻央へと一直線に突進していく。


「これでも喰らえやぁーッ!!」


 輝羅々川は麻央の手前で、助走の勢いをそのままに高くジャンプする。


 馬鹿なりに考えたのだろう、転ばされるならばそもそも地面に足を着かない攻撃にすればいいのだと。


「いっけぇぇぇえええっ!! スーパー・ウルトラ・エレクトロニクス・ジャイアント・ウルトラ・フライング・キーーーックッ!!」


 おい、ウルトラが2つ入ってるぞ輝羅々川。


 勇士がそんなツッコミを入れる暇もなく、輝羅々川は空中で両足を綺麗に揃えてドロップキックを敢行する――が。


「……もう飽きたわ」


 麻央はそう一言こぼすと、ジャンプして足を突き出した瞬間の輝羅々川の斜め前に滑り込むように移動して、身体全体で突き出された足を支点に持ち上げるように、輝羅々川の身体を空中で後ろ回転させた。


「――ぉばァッ!?」


 そして同時に進行方向も操作したのだろう、輝羅々川の身体は空中で後ろにグルグルと高速回転したまま教室の外へと飛び去って行く。


 その後ピシャリと教室のドアを閉めて、麻央は悠々と自席に戻って行った。


 クラスが未だ呆気に取られる中で、勇士だけは今の光景をさも当然のように受け止めている。


 まあ、輝羅々川程度ならあの身体になってもさすがにあしらえるか……


 腐っても元魔王なのだから、そんじょそこらの同世代に負けることなどありはしないだろうとは勇士にもわかっていたが、それでも小学5年生にもなれば男子と女子の間で力の差は顕著になってくる頃だし、もし使えるのだとすれば魔法くらいは使うのではと考えていたがそんなアテは外れたらしい。


 よくよく考えれば、魔王は体術にも長けていたのだ。


(俺が前世で剣を使っていたのにも関わらず、魔王は最後まで武器を持たなかったもんな……――って、アレ……?)


 そうすると、もしかして今の俺はヤツに抗う手段を何1つとして持てていないことになるのではないだろうか?


 勇士の顔から血の気が引いいていく。


 こんな平和な世界だ、真剣など持って歩くことはできないし、そもそも手に入れるツテもない。


 そう考えると勇士は急に自分の身が心もとなくなった。


 前世の記憶が取り戻せたからといって、今この身体で魔法が何種類使えるのかもまだ試せていない。


 ――これじゃあ、いざって時にも簡単に負けてしまう!


 何か対策を考えなければマズい……!


 そんな風に勇士が頭を抱えて1人考え込んでいる後ろの席で、


「――これだ……! これはおもしろいことになってきたぞ……!」


 と篤が嬉しさに震える言葉を独り言ちていたことに、残念ながらその時の勇士は気付けないでいた。

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