三日見ぬ間の桜かな

大西 憩

三日見ぬ間の桜かな

 今年で八十五になった。これは僕の年齢だ。生まれは長野だが、生まれてから今までの半生以上、僕は東京の武蔵野で生きてきた。なぜかと言われれば学生時代に上京し、故郷へは戻らなかったからだ。

 故郷に帰りたくなかったわけでは決してなく、僕は若いころ、武蔵野の大学へ通っていた。絵を描く勉強をしようと美術の大学へ進んだ。 理由としては、戦後の揺らいだ時代だった故か、今までの出来事を絵にして残したい、表現したいと思った。実家は金融業で、どれかといえば時代の割に裕福な方ではあった。さすがに学費全てを親に工面してもらうのは恥ずかしいと思い、住宅街の路地裏にあった洋食屋で毎日アルバイトをして学費を稼いでいた。

 大学では日本画を専攻していて、休みの日にはよく武蔵野公園へ赴き絵を描いていた。キャンバスを背負って公園まで行き、一心不乱に絵を描いていた。

 武蔵野公園は春になると桜が咲く。ぽってりとしたサトザクラが中心だが桜の代名詞ともいえるソメイヨシノやヤマザクラも色づき、様々な濃淡の桜色が織り交じった桜のトンネルがみられる。

 十代の僕は、そのトンネルをくぐったことこそなかったが、何度も何度もキャンバスに桜のトンネルを描いた。

 濃淡のある桜色を表現するのに何日も模索し、絵具を混ぜては頭を抱えたり喜んだりしたものだった。


 アルバイト中、洋食屋の店先に出すメニュー黒板に白墨でちょっとした”イラスト”を描いた。カレーのイラストを描いたのだが、これだけでは味気ないと思いカレーを掬う匙と手も描いた。

 その日のうちに一人、かわいらしい女性が訪ねてきた。肩までの真っ黒な髪をうちまきにし、淡いキナリの帽子をかぶっており、同色のワンピースと日傘、良家のお嬢さんといった風貌だった。

 店に入ったと同時に「こちらの黒板に絵を描いた方はおられますか。」と、凛としたよく通る声で彼女は話した。

 僕はあまり女性と話したことがなかった。困惑しながら店先へ名乗りでたはいいものの、そこから何も話は膨らまなかった。

 彼女は華奢な白い日傘を丁寧に畳み、窓際の席へ座ると、「カレーをひとつ」と言った。

 カレーを一皿ペロリと完食した彼女は珈琲を二つ頼み、僕を向かいの席へ座らせた。

「私、絵を描いてみたいんです。」そういった彼女の眼は輝いていた。彼女は見た目の割には豪勢に話すタイプで、僕が美術の大学に通っていると知るや否や、わっと喜びの声をあげ小さく拍手をし、僕の失言を面白いと言い、わははと控えめに声を出して笑った。

「私、白墨で描かれたカレーを見ておなかがすいたのって、初めてでした。」

 その日から彼女は僕の働く洋食屋に時々来てくれるようになり、店がすいているときには休憩を合わせて二人で談笑した。


 彼女とは一緒に絵を描きに出掛ける仲になった。彼女は僕より四つ若く、今は実家で家事を手伝いながら役所に勤めているとのことだった。年齢よりも大人びて見える容姿だったが、話すと年相応に少女らしい部分が目立つかわいらしい女性だった。

 絵を教えてほしいと彼女に懇願された僕は彼女と一緒に武蔵野公園にやってきた。少し散歩をした後、彼女の席を用意するため僕は自分のハンカチをはらっぱの上に敷いた。そしていそいそと自分用のキャンバスを設置した。

 目の前に広がる景色を元に、夏を想像し青々と茂った丘を風情に描いてみたり、秋を思い出し紅葉を変に哀愁もって描いたりした。

 彼女にはアタリの取り方だとか、対象の見るポイント、鉛筆を持つコツだとかを自分なりに彼女に教えた。彼女はどんな説明でもにこにこと頷きながら聞いていた。

 僕はキャンバスに、彼女は小さなスケッチブックに、黙々と絵を描き、時々話した。人と描く絵はこんなに楽しいものなのかと思った。

 大学で描くときには、みんな自分の作品に必死で、誰も声を発しないし話しかけようものなら睨まれてしまう。

 彼女の絵はなかなかにたいしたものだった。特に観察力が素晴らしく、事細かに写実的できっちりした絵だった。

 ある春の日に、彼女と二人で桜の木を描いた。僕は一本だけピックアップし、外の背景をボヤかして桜の絵を描いた。

 その絵を見た彼女は「少し寂しい絵だけれど、風情があってとても素敵ね。」といった。

 彼女のスケッチブックを覗くと、いつもは見たままを写実的に描く彼女としては珍しく、見えたままの風景を背に、その場にない花を足して描いているようだった。

 ハナミズキやツバキなどを画面あちこちたっぷりと描き足しており、いつもの写実的な絵とは打って変わって幻想的でとてもきれいな絵だった。

 僕の寂しい絵とは対比的で、とても華やかで暖かな絵だった。


 二十歳になった年の春、僕は初めて彼女と手を繋ぎ、いつも見ていただけだった桜のトンネルをくぐった。


 大学を卒業してからは三鷹駅の近くに住んでいた。僕は武蔵野駅の近くにある画廊に就職した。すごく雰囲気のある画廊で、建物が明治時代に流行ったような和洋折衷の作りで、すごく洒落ている画廊だった。時たま大学の仲間と集まり僕の就職した画廊にあった貸しギャラリーを借り展示会を行った。

 その場で展示していた絵の即売会をし、絵を描くモチベーションも保てた。彼女の絵も飾ろうと提案したが、「展示するようなものじゃない」と断られてしまった。僕は彼女の実直で綺麗な絵をたくさんの人に見てもらいたいと思っていたのだが、彼女は一人でこっそり描くのが好きなようだった。

 就職先の画廊には貸しギャラリーがあるのも魅力的だったが、様々な画材も販売しており、所狭しとインクが並べられた部屋がいくつもあり、とても心地いい店だった。


 彼女が十九になった年の春、僕は彼女と結婚しようと思い、初めて会った洋食屋へ彼女を呼び出した。二つ返事で承諾してくれて、帰りに二人で武蔵野公園の満開の桜をくぐった。

 舞い落ちてきた桜の花びらが彼女の黒髪に映えてとても綺麗だった。

 そこからはとんとん拍子で、子どもにも二人恵まれた。二人とも女の子で、彼女に似てどちらも活発で華やかな子たちだった。

 彼女たちを育てていると本当に時間はあっという間で、絵を描いている時間は少なくなった。あーだこーだと言っているうちにいつのまにやら大きくなって、いつのまにやらお嫁に行ってしまった。


 そして僕らはまた二人きりになって、僕も仕事が定年となり早二十年以上がたった。

 子どもが家を出てからというもの、老後の楽しみとしてまた二人で絵を描き始めた。彼女は子どもを育てている間、全然描く時間が取れていなかったから、うまく描けないと笑っていたが、昔と同じ、とても実直で写実的な絵を彼女は描いた。


 死ぬまでに二人でいくつか合作をしようという話になり、少し大きめのキャンバスを買ってきた。

 僕が目を離している間に彼女はキャンバスいっぱいに武蔵野公園の風景を大まかに描いていた。部屋の端にキャンバスを立てかけて描いているので目の前にその風景はないはずなのだが、彼女はまるで写真のように公園の絵を描いた。

 時間を見つけて僕も時々書き加え、記憶の中の公園を描いた。桜を書き足したり、ツバキを書き足したり、小さな池や大きな池、たった1年ほどでキャンバスは埋まってしまった。

 彼女は「困ったわね。」と笑った。こんなに早くに埋まってしまうなんて、と満悦そうにキャンバスを見ている。

 僕はもう一つキャンバスを買うことにし、明日には家に届けてもらえるよう手配した。

「買い足し買い足ししていては、描き終わる前に私たちが老衰しちゃいそうよ。」と彼女は笑った。


 キャンバスが届いて、そこからまた二人で絵を描いた。

 今回は一気に描いてしまわないようにお互いに制限を設けながら描いたものだから完成するのに数年かかった。

 完成までの間に二人とも何度か病気もしたし、もしかしたら描き終えれず死ぬかも、と思った日もあった。

 入院した病院から五百メートルほどのところに、思い出の武蔵野公園があり、退院した日に彼女と二人で公園へ寄った。

 初夏の時期だったので桜の木は青々としていたが、二人でくぐれば桜色に見えた。


 それから数年たって、僕は八十五になった。最愛の彼女は、去年亡くなってしまった。女性の方が長く生きるものだとばかり思っていたけど、順番なんてものはないんだと感じた。

 彼女の遺品を整理していると、僕とくぐったあのソメイヨシノの花びらを、大層大事そうに押し花なんかにして、結婚してから僕が描いてやった彼女の似顔絵と一緒にかわいらしいお菓子の缶にしまっていた。

 生きている間も愛らしくて、とても大切だったけれど、いなくなってしまうとこうも余計に愛おしい。


 二人で描いていた絵は、完成する度に新しく描き始めるものだから、もちろん途中で止まっている。

 キャンバスの真ん中にはぶちまけたような絵具、濃淡のある桜色に、青々とした緑、そしてどっしりとした茶色い幹が描かれている。

 全部彼女が描いたものだ。僕はというと、ちょこちょこ上から色を足して整えるように塗っていたけれど、彼女のイマジネーションがこのキャンバスに残ってて、すっかりお手上げ状態だった。


 絵を勉強したい、と絵具をもって上京した僕と、絵を描きたい、とスケッチブックと鉛筆をもって僕に告白してきた彼女。出会った頃、彼女のガッツはすごいもので、勉強をしなくても描きたいという気持ちだけで絵を描き続けていた。僕はその姿を本当に尊敬していて、そういうところが好きだった。

 子どもができて、そういった趣味へかける情熱の部分が影を潜めてはいたが、彼女が何事にも懸命なのに変わりはなかった。そういった彼女の性格が全て投影されているような、情熱的で実直な桜の木の絵が彼女の遺作になった。


 数か月考えた結果、彼女の描いた美しいソメイヨシノの手前に、僕は微笑む男女と娘二人を描いた。

 そしてキャンバスの裏に、「次また逢えたら、もう一度結婚しよう。」と小さく書いた。

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