第4話 「少女とおじさん」

「おじさん、何で私の名前知っているの?」


愛は蓮人が、体が温まるからと渡したホットミルクを啜りながら言った。

彼女の小さな手先が赤くなって震えている。

緊張と寒さからのものであろう。

蓮人も体を温めようとホットミルクを飲んでいたが、あまりにも唐突な質問であったため驚いて咽た。

と同時に違う意味でも咽た。

まさか適当に言った名前が本人と同じ名前だなどとは想像すらしていなかったからだ。


「あれ、的中していたのか?適当に行っただけだったのだが・・・。」

「なんだ、私の家族かと思ったのに。」

「それ、どういうことだ?」


愛の言った『私の家族かと思ったのに』と言う言葉が気になって質問し返すと少女は黙りこくってしまった。

どうやら彼女にとっての地雷を踏んでしまったらしい。

それともどうしても言えない事情でもあるのだろうか。

しばらく経っても彼女は口を開こうとはしないので、今度は別の話題を振ろうとしたところ運の良いことに風呂の沸く音がした。


「風呂が沸いたらしいな。君も大分冷えているだろう、先に入りなさい。」


愛は黙って頷き、素直に脱衣所へと言った。


愛が風呂へ向かってから五分ほどした時に蓮人はあることに気が付いた。

これは恐らく彼女にとってはかなり深刻なことである。

十代であろう彼女は何も持っていなかった。

行く当てもないだろうからと蓮人は家まで彼女とタクシーで帰ってきたのだが、今しがた風呂へ向かった彼女の着替えはどうするかである。

数分間頭が真っ白になりかけたが、よくよく考えてみると彼女はゆかりと背格好がよく似ている。

運の良いことに彼女はゆかりの服をぴったりサイズで着こなすことができるだろう。

だから蓮人はゆかりの寝間着を脱衣所へもっていき、そっと置いておいた。


風呂から出てきた愛はやはりゆかりの寝間着を着ていた。

着てくれるか心配だったが、流石にびしょ濡れになった自分の服を再度着ようとは思えなかったのだろう。

彼女はまるで元気だったころのゆかりのようだ。

部屋の隅にあるソファーに静かに座る彼女に一瞬ゆかりを重ねて戸惑う。

しかし彼女は愛、ゆかりではない。

当のゆかりは隣の寝室で様々なチューブに繋がれているのだから。

度々、ゆかりの呼吸する音が聞こえてくるが彼女はそういったことを一切聞かない。

気を遣っているのか否か分からないが、気にも留めていない可能性もある。


蓮人はソファーで小さく体育座りをしている愛に『じゃあ、僕は風呂に入って来るよ。

何か観たかったらDVDあるから自由に観てて。』と言って、風呂へ向かった。


蓮人が風呂から戻ると、愛はTVを観てはいなかった。

代わりに蓮人の愛読書『刑務所から君へ』を本に穴が開くような勢いで読んでいた。

その小説はゆかりの恩師である片岡龍之介が書いた小説で、殺人を犯してしまった女性の婚約者である中心人物がその罪をかぶり、刑を受けてから死ぬまでを描いたものである。

数ある小説の中からその小説を手に取ったのは偶然なのだろうか。


「小説好きなの?」


蓮人が読書に没頭している愛にそう話しかけると、彼女は読みながら『結構好き』と言った。

しかし蓮人が夕飯を作りだすとその視線は小説本から彼の料理をしている姿へと移っていった。

あまりにもじろじろと見られるものだから何だか心地が悪い。

蓮人は普段から自炊をするようにしているからそんなに手際が悪いはずはないのだが、今日はあまりの心地悪さにぎこちなさが出てしまう。

そんな蓮人の料理姿だが、愛にとっては何だか温かい気持ちにさせられた。

どうやら愛には色々な事情があるらしい。


炊飯器で米が炊けた音がするとほぼ同時に夕飯の支度も完了した。

机に並ぶのはきらきらした白米と温かい湯気の立ち昇るお味噌汁、そしてささやかな千切りキャベツに何かのコロッケ。

どれも美味しそうだ。

と愛は思った。


食事を始めて少しすると愛の頬に一筋の涙がこぼれた。

愛は人生で初めて食べ物という食べ物を食べた気分でいた。

そんな美味しい食べ物を有無言わず作ってくれた蓮人の温かさと、そのご飯の美味しさに感動したのである。

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