第2話 「概要」

この物語の中心人物 桜川蓮人は今も尚、このマンションの彼以外の住人達に憐みの目を向けられ続けていた。

彼は数年前に愛する、健康的な状態の奥さんをなくし、今は植物状態の寝たきりになってしまった奥さん 青田ゆかりを一人で看病しながら仕事もして生活をしている。本当は誰かに頼らずに一人だけのその孤独感と悲しみを胸に抱いて生きるのではなく、誰かに頼っていた方が楽である。

しかし彼やゆかりは互いに知り合うまで、天涯孤独な人生を歩んできた。家族や親せきのいない孤児で、二人はそれぞれ別の児童養護施設で育ったのだ。

同じ境遇同士で分かり合う部分が多くて、二人は自然と惹かれあっていったということである。

とまぁ、彼等を育てたのは産みの親でも親戚でもなく、施設の職員という彼等とは全く血も繋がっていない赤の他人なのである。

彼等は施設を卒業してからもそこを実家と称して、度々帰宅することがあった。

だから頼れる人が全くいないわけでもなかったのだが、それでも蓮人は『先生に迷惑をかけることはできない…』と一人で抱えて生きていくことを選択した。

そうは言っても全く誰の助けも借りずに看病しながら生活していくことは到底できない。

ゆかりは植物状態で完全なる病人なのである。

時には様態が急変することもある。

だから医療の助けは貰っている。

月に一度、地域医療に力を入れている医療施設の医師がこの部屋にやって来る。

まだ若い医師だが、ゆかりを診てくれる数少ない頼れる人材である。

最早彼女が目を覚ます希望など、ない。

初めの三か月は彼も様々なことを試してみたのだが、何をしてもどんな言葉をかけても彼女が何らかの反応を示すことはなかった。

ただもう目を覚ますことのない彼女を看病していくだけの人生。


もう一度だけでいい。

あと一秒だけでもいい。

彼女と声を交わして、肌の温かみを感じ取り合って、『愛しているよ』と伝えたい。

ただそれだけでいい。

何に変えてでも、例え僕の命があと一日になったとしてもそんな些細なことなど気にも留めない。

だから彼女の意識を一瞬だけでもいいから復活させてくれ。


蓮人は何度そう願っただろうか…。


彼が眠っていた隣にはゆかりのいない布団についた跡。

彼女はその隣のベッドで何本も伸びているチューブに繋がれてかろうじて生命運動をしている。

今日も彼の憂鬱な一日が始まる。

彼女に床ずれが起こらないように、また彼女の姿勢を変える。

朝ご飯を少しだけ食べると国から派遣されたヘルパーさんが来る。

『おはようございます』と挨拶を交わしてから、蓮人はヘルパーさんと入れ替わりで仕事へ出発する。

まだ暗闇の中にある心を光の世界へ無理矢理運んで、彼は輝く外の世界へ行く。


「ああ、今日もまた彼女のいない一日が始まる…。」

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