章 間 二



 良く言えば自然豊かで、悪く言えば何もない。

 三階以上の建物なんてほとんど見かけなくて、少し歩けば畑ばかりが目についた。

 それでも発展の兆しは伺えて、その証拠に道は基本的に舗装されてる部分が多く、市民プールやカラオケといった娯楽施設も一通り存在する場所だった。

 この夏も、そのプールに遊びに行く予定だったのだ。初めて出来た友人と、その姉と、三人で。夏休みの日記に書く、ありきたりな一ページになるはずだったのだ。

 なのに。

 その姉はもう動かない。

 彼女を起点として広がり続ける赤い水たまりは、やがて自分の足元まで迫っていた。それに触れてしまったら、自分の中で何かが決定的に壊れてしまう気がして、思わず足を引いてしまう。

 音がする。

 鈍く昏い音がする。

 何度も。何度も。何度も。何度も。

 音源は自分よりも先にあるものからだった。


 男の上に馬乗りになって、拳を振り続ける少年がいた。


 動けなかった。

 倒れている少女へ駆け寄ることも。

 殴り続ける少年を静止することも。

 その場から動くには、あまりにも臆病だったのだ。

 やがて、少年が動きを止める。

 気が済んだのか、それとも男が動かなかったことにようやく気がついたのか。

 ゆらり、と。その手を赤く濡らしながら、静かに立ち上がった。

『ひ───っ』

 口の端から、声にならなかった息が漏れる。

 彼が、見た。

 完全に振り返ることなく肩越しに、だが目線だけは確実に。怯えるあまり立ち尽くす、臆病な自分を。

 少年の顔からは、いかなる感情も読み取れない。怒りの感情くらいは感じても良いはずなのに。

 真顔とは違う、虚無としか表現できない表情で。

 目から流れた一筋の雫と、飛び散った絵の具のような返り血を拭うこともなく。その暗く青い瞳は、本来の色に反して赤光でも放ちそうなほど、その奥にドス黒い何かを渦巻いていた。

 その少年は、自分に最も親しい人物だったはずだ。

 姉と母の三人家族で、誰かと結びつくことを恐れた自分を、孤独だった自分を救ってくれたヒーローだったはずなのだ。

 でも、そうは見えなかった。

 そんな面影なんてどこにもなかった。

 漫画やアニメみたいに、姿形が化け物になってしまったわけではないのに。

 いいや、いっそのこと分かりやすく人外の姿にでもなってくれれば、この恐怖がいつまでも巣食うことなんてなかったのに。

 それでも。

 目の前にいる『それ』は、自分がよく知る少年などではなく───。


 鬼に、見えたのだ。

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