第二章 宿業は夢と願いを力に変える Ⅱ
4
外面だけなら割と普通の学園なのに、蓋を開ければオーバーテクノロジーがこれでもかとごった返している私立明星魔導学園。
その中でも特に異常なのが保健室だ。
あらゆる肉体的損傷を短時間で元通りにする『
そして神和はこの保健室の常連であった。召喚士に挑んではボロッボロにされて保健室へ赴き、包帯でぐるぐる巻きのミイラになるまでがテンプレである。いくら安全性が考慮されていないスタントマンでもこうはならないだろう。
そんな、まるでコンビニみたいな頻度で保健室に訪れる馬鹿野郎に対し、保険医アルスロンガ・ウィータブレウィスは開口一番にこう言った。
「あのさぁ、おれもそろそろ君に『ご自愛ください』とか『お大事に』って言うの飽きてきたんだけど」
「すみません……」
背丈は雉郷先生に負けず劣らず子ども並。黒に染めた緑髪を後ろで縛っており、度の入っていない眼鏡を掛けている。同じ幼児体型の雉郷先生は敏腕女教師スーツで身を固めていたのに、こっちに至っては外見年齢相応の私服である。見た目で保険医だと分かる要素は白衣くらいだ。
彼───アルスロンガ先生はタバコの代わりなのか棒付きキャンディを咥えたまま肩を擦るように触診し、小型のレントゲンカメラで骨格の調子を確かめている。なんでも元々名医だったようで、その腕も本物だ。何度もお世話になっているからその身に沁みている。
とはいえ診察中というのはどうにも手持ち無沙汰になりやすい。そういう空き時間はどうでもいい考えまで浮かぶものだ。
「なして保険医の先生なのに女性じゃないんですか」
「それはおれを男として生んだ神様に言ってほしいね」
「男の子の理想を叶えてくれない辺り、やっぱり世界は理不尽で満ちているなぁ……」
「軽口を叩けるくらいには元気なようだな。どうする? 追加で二、三本いっとく?」
アルスロンガ先生の笑顔が逆に怖い。多分居酒屋で焼き鳥のおかわりを頼む感覚で骨折を要求されている。これ以上は危険だと本能が察知したため口を噤むことを余儀なくされた。
「くっ! せめてナースさんがいれば……ッ!!」
「そこそこ付き合い長いけど、君の好きなタイプってそういう女性だったんだね。初めて知ったよ」
それでも漏れた。
そしてこれまた無関心に流された。最低限の観察以外ではこちらに目もくれず、カルテに詳細を書き込んでいる。どうやらIT最盛期のこの時代にアナログオンリーで管理しているらしい。データ破損などのリスクを警戒しているのだろうか。
「一通り調べたけど問題なし。あぁでも再発しないために
そう指で指した先には、おそらくアルスロンガ先生の使い魔であろう大蛇がいた。頭の上にトレイが乗せられていて、そこに錠剤一粒とコップに注がれた水が置かれている。
薬を受け取り、水と一緒に飲み干すと、保険医はカルテを閉じ診察終了の挨拶を告げる。
「それじゃお大事に。二度と来んな」
「ぜ、善処します……」
多分また来ることになるだろうと思ったが口にはしなかった。出来なかったが正しいが。
校庭に戻ると陽依と秋月が出迎えてくれた。秋月は心配顔で駆け寄り、一方で陽依は呆れ顔である。雉郷先生は他の模擬戦を観察しているようだ。
「あの、大丈夫でしたか……!」
「ん? まぁいつものことだし、先生も問題ないってさ」
「良かった……」
自分から当たりに行ったとは言え、直接的な原因になったことで責任を感じたのかもしれない。戦闘の時が例外なだけで優しい子なのだろう。
因みに陽依からはその後デコピンを貰うことになった。
5
夜。
夕飯などを済ませてベッドに倒れ込む。召喚魔術の戦闘はいつも以上に体力と集中力を消費する。バイトのシフトが被っていたせいかもしれないが。
『随分とまぁ、そこまで肉体を酷使するものだ。社会貢献も理想に含まれているのか?』
「まさか。でもお前を召喚できたから、奨学金制度の申請が出来るようになったし……そうすれば、シフトの数ももう少し減らせるかもしれないな……」
『言っておくがまだ仮契約だ。私が見限った瞬間、貴様は未召喚士に戻ることになる。そうなれば奨学金制度の対象から外れるだろう。過度な期待はしない方が身のためだ』
ルシウスの言葉通りだった。
今の召喚獣との関係はあくまでも仮契約。本契約を結ばずに袂を分かてば神和は召喚士ではなくなってしまうのだ。本契約を結ぶには神和の真我を示さなければならない。そして、おそらくその真我の正体は───。
「……なぁ、宿業と欲望の違いって何なんだ」
『興味があるのか?』
「お前が含みのある終わらせ方をしたからだろ」
違いない、とルシウスは認めた。
『「欲望は海水である」と喩える人間がいるだろう。あれに倣えば、宿業は大地に近い。満たし潤えば草木が芽吹き、生物が闊歩する自然が出来る。逆に欲望は恵みでもあり毒だ。適量であれば進むための後押しになるが、度が過ぎれば腐らせる。皮肉にも、文明の進歩は宿業を果たしやすくする一方で欲望を肥大化させる要因となったわけだ』
だから。
『だから、信仰の在り方も分岐した。宿業ではなく、欲望を満たす受け皿の側面も担うことになった』
「信仰……?」
一見、関係がないように思える単語が出てきた。
神和の頭に浮かんだのは教会で神父や修道女が十字架を手にしながら祈りを捧げている光景だ。
『と言っても、この信仰は神仏に傅くようなものではない』
しかし、そのイメージを嘲笑うかのごとく告げる。
『時代を重ねることによって人間にも数多の属性が付与される。その装飾を全て取り除いた上で宿業を果たさんとした時、個が最初に信じたものは何だと思う?』
難しいことを言っているようで、きっと話の根幹は宿業の時と同じだ。小難しく考える必要はない。答えは至ってシンプルなもの。
つまり。
「……自分自身ってことか」
『御名答。始まりは己へ向けた信仰だった。限界を知り、努力を重ね、達成を目指す。しかし自分が何者であるかを知ることから始まる信仰は、神の認知とともに風化を始めた』
神が信仰のあり方を変えたのか。人間が自身への信仰を諦めたのか。変わってしまった後を生きる神和には、それを知る術はない。
『神の権能を知り、それが己が意に沿うものであれば祈りを捧げ、恵みを求める。当然と言えば当然だろう。他者なしに自己を見つめることは容易ではない。そんな面倒な手順など放棄して、神に縋った方が近道になるのは事実だ』
だが、そこには絶対に落とし穴がある。
『タダより高いものはない』とは言うが、これはその最たるものだろう。
自分で出来なければ
それは決して悪ではない。だが、きっとそれは怠惰に等しい考えだ。
『時が進むにつれて感性は鈍り、思考は固まり、真我は俗と欲に埋もれていく。環境と時間が朽ちさせる。その結果がこれだ。まったくもって嘆かわしい。人間が振るう獣の力量に、優劣など存在しないというのに』
そう、これもまた同じこと。
ゼウスと猫又を比べて、猫又が勝つと本気で考える者がいないことと同様に、自分の召喚獣は低級だと感じてしまうから低級の力までしか出力できなくなる。当然、それを見た召喚士は、『あぁ、やっぱり自分は落ちこぼれなのだ』と認識して悪循環に飲まれていくし、そこから抜け出すことは不可能だ。しかも、それが意識的に変えられないのだから手に負えない。
『なぁ、人間』
不快そうに、まるで蝿が集る生ゴミでも見るかのような顔で、
『貴様は本当に、その理想が宿業から来るものだと思っているのか。貴様の真我と同一であるものだと、胸を張って断言できるのか』
「そ、れは……」
『……考える時間をやる。焦燥感に苛まれた結論など高が知れている。確信を得るその日まで、私も今暫くは貴様の傍らにいよう』
それを最後に悪魔は姿を消した。
宿業。
欲望。
信仰。
真我。
一人の人間を定義づけるもの。有象無象から個になるためのファクター。
神和にとって、それはヒーローになることだ。
自分を自分たらしめるそれは、『誰にも負けないヒーローになること』であるはずなのだ。
それでも、その一瞬。
目を閉じて、眠りに落ちるその寸前。
神和は確かに、
6
一番古い記憶にいる姉は、とても体が弱かった。
風邪を引く度に高熱を出して、死んでしまうのではないかと思うほど苦しんでいた。
だから昔は、そんな姉に寄り添うのが普通だった。
友だちは少なかった。
外に出る機会はほとんどなかった。
でも、それでも良かったのだ。
両親を早くに失っても、姉がいたから笑えていた。歳を重ね、共に成長するたびに姉も元気になっていくのが何よりも嬉しかった。
天真爛漫で、いつだって自分を笑わせてくれた姉が大好きだった。
だから、失いたくなかった。
不幸に落ちていくのを想像するだけで怒りを覚えるほど大切な存在が、確かにいたのだ。
7
目が覚めた。
体を起こして、時間を確認する。
時刻は六時過ぎ。目覚まし時計はまだ鳴らない。
「……………………」
また、夢を見た。
最近ではほとんど見なくなったというのに。また、あの頃の夢を。
ただ、重く息を吐く。
胸の奥に巣食う『それ』が、決して表に出てこないように歯を食いしばりながら。
『人間』
「…………」
どこからか声がした。
頭上か、後ろか、それとも目の前か。声がした方向がどこからかなんて分からない。
分からなくなっていた。
『……………………………………………………………………神和瑠璃は、貴様の肉親か』
「ッッ!?」
勢いよく顔を上げる。その悪魔は目の前に立っていた。珍しく床に足をつけて、だ。
「何で、その名前を……」
『言っただろう。想いが強いと流れ込むと』
「あぁ、なるほど……そういうモノも流れちまうんだな……」
悪魔は、苦笑いに近い引きつった笑みを浮かべている。嘲笑うのとも違う……見たくもないものを見たような表情だった。
『酷い顔だ』
「いきなりディスるなよ、確かに自信があるわけじゃないけどさ」
『そうやって誤魔化さなければ壊れそうになるようだな』
「……………………………………………………………………………………………………」
沈黙。
少年の目に光はない。
あるのは疑問だけ。
何故、このタイミングであの『夢』を見たのか。忘れるなと、居心地のいい場所で心を落ち着かせるなということなのだろうか。
そんなことばかりが頭の中をぐるぐると回る。
『……話してみろ』
「どうして」
『過去の共有は心にゆとりを持たせることがある。私としても、乱心の中で得た真我など耳にしたくはない』
「それで何か変わるのか」
『逆に聞くが、そうやって不貞腐れていれば貴様の疑問と呵責は晴れるのか』
思わず、表情が弛緩した。
笑ったのではない。笑みが溢れたわけではない。ただ力が抜けてしまった、と表現した方が適切だ。
話しても話さなくても変わらない。それは自分でも分かっている。
悪魔に心を許してはいけない。付け込まれ、足をすくわれ、絞り尽くされると誰かが警告している。
しかし、そこまで気が回らなかった。
「俺には三つ上の姉がいたんだ」
まるで、罪人が教会の神父に懺悔するかのように。
告白が始まった。
8
『どこにでもいる平凡な高校生』の始まりは、どこにでもあるような平凡な家庭だったはずだ。
特別裕福でもなければ、貧困に苦しんでいたわけでもない。それでも些細なラッキーで喜べて、穏やかな日常を享受できるような、そんなありふれた家庭の一つだったらしい。
「両親はずっと前に交通事故で死んじまった。今となっては、本当の両親の顔なんて写真を見なきゃ思い出せないし」
吐露する少年の顔に変化はない。
淡々と。まるで履歴書を読み上げているだけかのように、自分の今までを語っていく。
「瑠璃は俺の姉だった。でも体が弱くて、外で遊んだことなんかほとんどなかった。俺が出来たことなんか、そんな瑠璃が一人にならないように一緒にいてあげることくらいだったんだよ。RPGとか、二人でよくやったっけ」
その瞳に色はない。
その言葉に感情はない。
「瑠璃の体は成長していくごとに丈夫になっていった。小学校を出る時には、もう普通に走り回れるくらいにはなっててさ。他よりも、ちょっと風邪を引きやすいくらいにまでなったんだよ。きっと、瑠璃はこれから外の世界をたくさん見られるんだって、俺も嬉しかったんだ」
直後、少年の表情に影が差した。
声色は冷たく、抑揚は更に平坦へ。
両親の喪失はあれだけ淡白に受け入れられていたのに、その過去だけはどうあっても許せないらしい。
「でも、死んだんだ。俺を庇って、通り魔に刺されて……」
過去を見る目は酷く淀んでいた。
「…………何も出来なかった」
絞り出すような声は震えていた。
その頃からなのだろう。少年の心に巣食う失意は、蝕んだまま離さなかった。
「俺は、何も……。腕の中で冷たくなる家族を……見ていること、しか…………」
『それだけか』
「……」
『貴様の後悔は、本当にそれだけなのかと聞いている』
「………………」
神和は、少しだけ沈黙して。
「いいや」
否定する。
否定させる。少年が抱く歪んだ理想の元凶を知るために。
「感情に任せて、半殺しに」
おそらくは、それこそが原点。
「何も俺が凄かったって話じゃない。ただその通り魔が正気に戻って、抵抗する意思すら残ってなかったってだけで」
誇らしいことなんてどこにもない。
胸を張れることなんて一つもない。
あの瞬間を掘り起こしても、神和終耶の醜さが露呈するだけで得られるものは何もない。
「……助けられていれば、守ることが出来ていればまだ言い訳ができたんだ。暴力は助けるためだった。半殺しにしたのは守るためだった。そういう建前が使えたんだ……使えたんだよ……」
でも、そうはならなかった。
神和終耶は守れなかった。何も出来なかった。体が動いた時には全てが手遅れで、その後の行為が事態を好転させたわけでもない。
「ただ俺がしたことは、怒りに身を任せて無抵抗の人間を殴り続けただけだ。あの最期を赦せないのなら、理不尽な暴力に晒される誰かを守りたいと願うのなら、それだけはしちゃいけなかったのに···…」
神和終耶がただの臆病者であればここまで拗れることはなかっただろう。
足がすくんで動けませんでした。何も出来ませんでした。だから今度こそ誰かを助けられるように臆病な自分を変えたいです。
……そんな、単純な成長の物語になっていたら、どれだけ楽だっただろうか。
「俺は、
この少年は過ちを犯した。
肝心な時に何も出来なかったのであれば、最後まで臆病者であるべきだった。自身の暴力性を発揮できないほど小心者だったというモノローグで始まるべきだった。
つまり。
己の無念を暴力に転化させることで晴らそうとした時点で、
「俺は、感情のまま暴力を振るうクズと何も変わらない」
神和終耶はクズだった。
それを、他でもない自分の手で証明してしまったのだ。
「だから……」
そう、だから。次は、今度こそ、と。
『……それ故、ヒーローになることを望んだのか』
「そうだよ」
今まで伏せられていた顔がゆっくりと上げられる。
自嘲が込められた、笑顔とは違う弛緩した表情で。
「ヒーローがいたら、あいつが俺の代わりに死ぬことはなかったんだ」
それは、他の誰でもない自戒の言葉。
それは、自分を憎悪する自責の言葉。
「ヒーローがいたら、あいつはもっと豊かな人生を送ることが出来たんだ」
だから、こういう結論になるのだ。
無力だったから。
無能だったから。
少年が、誰かを助けるヒーローなどではなかったから。
惨めで、
ただポツリと。
少年は言った。
「俺がヒーローだったら、あんな悲劇は起こらなかったんだよ」
それを聞いて、ルシウスは静かに目を細める。
(───あぁ)
聖書に登場するだけではない。哲学や思想、概念においても重要な役を担う悪魔の思考など誰にも理解できない。だから、どこまで計算したのかはその本人にしか分からないのだ。
だが、いやだからこそ。悪魔はその知性で断じる。
(予想の範疇であったが、やはり相当破綻しているな)
目の前の少年を、どう定義づけるのが最適だろうか。
この感性は正常と言えるのか。
この結論は暴論と言えるのか。
この目的は善良と言えるのか。
この執念は狂気と言えるのか。
いいや、その悪魔には造作もない。悩むことも、吟味することすら不要である。
何故か? 決まっている。たった一言で結論が出るからだ。
『……見るに堪えん。実に浅はかな成れの果てだ』
少年は言い返さなかった。
怒ることすらしなかった。
ただ、間の抜けた短い笑い声のようなそれが、閑散とした室内に木霊した。
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