章 間 一
時は少し巻き戻る。
「はぁ……っ! はぁ……ッ!! 何なんだっ、何だったんだあれ!!」
その不良は夜の路地裏を走っていた。
そう、夜だ。通常であれば生命のほとんどが眠りにつく時間。人間が活動をしていてはいけない時間。
───何故、夜に人間が活動してはいけないのか。
校則があるから?
不審者に出会わないため?
そうしないと健康を害すから?
違う。どれも的外れだ。愚かしいほど本質が見えていない。
「ひ……っ」
不良の足が止まる。いや、止まったのではなく、動けないのだ。恐怖で震える体は言うことを聞かない。
「なん、なんだ……」
目の前の『それ』。
不良が必死に逃れたかった何か。
夜の街に現れた、人ならざるもの。
その姿に決められた形はない。炎のように揺れており、不定形であるそれを正しく表現することなど出来ない。
だが、断片を表すことであれば可能であった。
獣のような四足歩行。僅かに、鋭い牙と爪が垣間見える。
……まぁそれも、夜の闇の中では判別することなど不可能であるのだが。
(お、落ち着け……たかが一匹だ。はぐれたのか野良なのかは知らねぇが、まだ一匹ならなんとかなる……っ)
恐怖は冷静さを剥奪する。
冷静さを失えば頭を短慮が支配する。
短慮による判断は、賢明からは程遠い。
愚答であった。
一匹ならなんとかなるという思考そのものが、その者が選択した最悪の決断だったのだ。
───何故、夜に人間が活動してはいけないのか。
かつり、と。
後方から、音が鳴った。
「あ……っ」
気付いた時には遅かった。
その音が届くと、不良の顔にあった僅かな希望がかき消えた。
がたがたと震えが止まらない。
(嫌だ……嫌だ……っ。見たくない、認めたくない、振り向きたくない……っ!)
歯がガチカチと音を立ててうるさかった。
心臓がバクバクと鼓動してうるさかった。
確かめたくない。当然の心理だろう。確かめなければまだ確定ではないのだから、目を逸らしたい現実は、曖昧のままであってほしかったのだ。
少なくとも、この男の中では。
『シュレディンガーの猫』とはよく言ったものである。
あぁ、だが。
「………………………………………………………………………………………………ぁ、」
振り向いてしまった。
曖昧なまま。確かなことが分からないという根源的な恐怖には勝てなかったのだ。
そして、そこにいた『それ』を───いや、そこに群がる『それら』を見て、男は完全に腰を抜かした。
それはまるで、死体に群がるハイエナの群れを思わせる。
一歩。そのうちの一匹が前へ出た。
「やめろ……」
また一歩。
「来るな……来ないで……お願いします、お願いですから……っ」
背後からも、また一歩。
「誰か、助け───、」
助けは誰にも届かなかった。男の絶望が、路地裏に延々と木霊した。
───何故、夜に人間が活動してはいけないのか。
決まっている。
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