第三章 少女は己の信仰に首を傾げる Ⅲ
8
空間が揺らぐ。
水面に広がる波紋のように、周囲の光景が変わっていく。
円形に広がる真っ白な陸地。その周囲を、真っ赤な海が囲んでいる。遠くに崩れた鳥居のようなものが点々と顔を出していた。
僅かな光源であった夕陽も消え、頭上は真っ暗な闇が広がっている。それでも景色を認識できるのは、疎らに燃える戦火のような残り火が照らしてくれているからだろう。
足元にあるのは破損した人の頭蓋骨と、どこの部位かも分からない骨の山。ならば、この白い陸地は全て何かしらの骨で形成されているのだろう。だとすれば、あの真っ赤な海が指し示すものも自ずと導かれる。
「何だ、ここ……」
『現世の一部を異界が侵食しているのだ。成程、己にあった領域を選んだと見える。……余所見をするな。腕の一本や二本、持っていかれても知らんぞ』
「ッ」
禍津神が動く。人骨を脚力で砕きながら跳躍すると、神和と秋月目掛けてその両腕をまっすぐ振り下ろした。
すんでのところで回避しても、衝撃が内臓を叩く。それだけで意識を揺るがせる。躱せなければ全身が挽き肉だっただろう。
「思ったより厳しそう。きみ、合わせられる?」
「戦神召喚士が無茶言ってくれんな……。あんま期待すんなよ」
「大丈夫、立ち向かう気持ちがあるならきみは戦えるよ。私と手合わせした時だってそうだったでしょ? これでも私、結構頼りにしてるんだから」
『確かに』という納得と、『いやまさか』という疑心が交錯する。
どこまで戦えるかは未知数。さっきの禍津神の攻撃だって何度対応できるか分からない。
ただ、それはそれとして。
「……じゃあ、かっこ悪いところは見せられないな」
もう身体に震えはない。
手の中にある感触を確かめて、切っ先を禍津神に向ける。
「行くぞ」
「がってん!」
二人は同時に駆け出した。初速では秋月が誰よりも速く、懐に飛び込むのも一瞬であった。反応して振り下ろされる禍津神の拳を受け流し、そのまま胴体を斬りつける。
後退する禍津神。だが怯んだわけではない。追撃する秋月に拳を振り下ろすことで強制的に防御へ移らせる。大剣越しに受けた禍津神の一撃は、秋月の両腕を一時的に麻痺させた。
「先輩!」
迂回していた神和が間合いに入る。反応すらさせないまま、刀の軌道は半円を描き振り抜かれた右腕を斬り落とす。
『ガァァァ……ッ』
禍津神から痛みに悶えるような声が漏れた。しかしそれも一瞬で、即座に攻撃対象を神和に変更した。
所詮は傀儡。そこに人間のような執拗さや戦略性はなく、行動原理は一定で行動がパターン化されている。言うなればゲームのAIに近いのだ。
だから読める。合わせられる。
「秋月!!」
視線は既に神和のみを捉えている。振り上げられるハンマーのような拳は人の体を踏み潰した果実のような残骸に変えるだろう。
だがそれでも、神和は身を屈めた。地震が起きた時に頭を守るように、がくんと体を折り曲げる。
その上を、巨大なメイスが通過した。
がら空きになった禍津神の胴体を、バックスクリーンにボールを叩き込む野球選手のように振り抜いたのだ。
今度は怯んだ。秋月はメイスを肩幅程度の双剣に切り替え、禍津神の腕から肩、背中を伝い、さながら回転刃の如く斬り刻みながら後方へ移動する。
完全な死角。双剣を再び大剣に戻し、その黒い体を両断するために薙ぎ払う。
「な───、」
しかし止められた。受け止められた。残った左手が、秋月の大剣を掴んでいる。
「っ」
即座に武器の形状を変えようとした。
しかし、遅い。
バギンッ!! と、拘束から抜ける前に大剣を握力で破砕した。
お返しと言わんばかりに裏拳が迫る。
「させる、かァッ!!」
神和の位置からでは秋月を守れない。走っても間に入れるほど近付くことも出来ない。
だから投げた。
刀を。禍津神の頭目掛けて。
それによって体勢を崩し、禍津神の拳は空を切る。こちらへ振り向こうとする禍津神の側頭部を飛び蹴りし、そのまま地面に叩きつけて黙らせた。刀を抜いて離れると、秋月を庇うように前に立つ。
「無事か」
「また無茶なことして……。でも助かった、ありがと」
秋月が手をかざすと、砕け散った大剣の破片が集まって元の形状を取り戻す。
同時に、禍津神がゆらりと立ち上がった。右腕の切り口が泡立ち、ボコボコと気味の悪い音を立てながら再生する。
そして。
『グオオオオオオオオォォォォォォォォォ!!!!』
「「ッ!?」」
明らかに最初とは違う咆哮。
怨嗟に満ち溢れた、大気ではなく魂を震わせるような叫びだった。
変化が生じたのは咆哮だけではない。
バキバキバキバキッと、複数の枝を折るような不可解な音とともに禍津神の肩甲骨辺りから腕が出現する。
同時に、体にのしかかる重圧が増した。
「進化した……?」
「そうみたい。……ちょっと本気出すから、頑張ってついてきて」
「っ、応!!」
秋月と禍津神の姿がブレ、目にも止まらぬ速さで剣と拳が衝突した。秋月は四方向から繰り出される連撃を的確に弾いていき、ふと逆手で大剣を控える。空いた右手を、まるで撫でるように振り上げた。
一瞬の間を置いて、呼応するように地中から出現した無数の巨大な『剣』が禍津神の体を貫いた。
四ツ腕の怪物は苦悶の声を上げるものの、即座にそれらを叩き壊す。
禍津神が腕を振るうと、大型の竜巻が地面を抉りながら襲いかかってきた。
「っ」
前転して回避。視界の端に両拳で地面を叩きつける禍津神が見えた。一時的とはいえ衝撃の地響きで身動きを封じられる。
(…………?)
おかしい。衝撃で起きた揺れにしては長すぎる。これでは地響きというよりは地震に近い。
(……まさか)
禍津神の正体は禍だ。生命を死に至らしめる可能性の集合体。では、始めて禍津鬼と邂逅した際、その例としてルシウスは何を挙げていた?
そして、先程禍津神は目の前で何を生み出した?
「まさか、これッ」
地表を伝う高温を自覚したのはその時だった。しかし、神和がいる地点が中心点ではないだろう。
ならば。
「秋月!!」
秋月も気づいていたはずだ。だが動けなかった。理由は足元。
足と地面を繋げるように、彼女の周囲だけ氷が張っている。
先程の『剣』を使えば脱出は可能だろう。だが、あれは発動までに一瞬タイムラグがあった。『剣』で氷を砕き、回避するではおそらく間に合わない。
「クソッ!!」
体当たりで秋月を突き飛ばす。もちろん身代わりになるつもりなんてない。射程範囲から外れるように、神和も転がっていく。
時間にして、およそ一〇秒。
噴火が再現された。しかし煙も発生しなければ溶岩も流れない。どうやら噴火といっても『火口から吹き出すマグマ』という部分だけ再現したらしい。本来であれば焼失している白い陸地も、噴火の再現が消えると同時に元通りになっていた。
『グオオオオオオオオオオオオオオォォォォォ!!』
咆哮を合図とした次の脅威は空からだった。
落雷と隕石。雷が行動範囲を狭め、そこを狙うように無数の隕石が降り注ぐ
「伏せて!!」
秋月が盾を展開する。防いだのは最初の数発。すぐさま攻撃に移らなければ押し負けるのは明白であった。隕石の大きさはサッカーボール程度。それで済んでいるのは、まだこのレベルで事足りると禍津神が認識しているからだ。通じないと分かればその規模は際限なく肥大化していく。そうなったら少なくとも神和は戦力外になるだろう。
その前にけりをつける。
二人は同時に前に出る。
落雷は地面を照らす光を頼りに、隕石は空を視界の中に収め続けることで落下地点を予測する。
禍津神が片腕を振り上げた。その予備動作は、おそらく噴火。
「させるか!!」
秋月が反応し、幾多の槍で地面と腕を縫い合わす。地震を防いだが、次の脅威は視界を遮る豪雪だった。視覚の情報は遮断され、落雷と隕石を予測することは至難の技だろう。
(なら……)
それでも飛び出す。防御には移らない。距離を取られたらそれで勝負がついてしまう。
隕石はまだ対応できる。影が見えた瞬間に前方へ跳べば、あとは衝撃が間合いを詰めてくれる。
残る懸念は落雷。
落下地点が行動を狭める場所ではなく、こちらを直接狙ってくる可能性は充分ある。この絶望的な視界の中では尚更だ。進路上に落とされることも考えられるだろう。
だが、落雷は落雷だ。
金属、或いは高いところに優先して落下する。
だから日本刀を頭上。出来るだけ禍津神の近くに落ちるように力いっぱい投げつけた。
ズシャァァンッッ!! と雷鳴が轟いた。落下する細長い影が目の前に落ちてくる。少し先に、牛頭の邪神の影が揺らめいていた。
その指が、こちらを指す。
神和の周囲を何かが瞬いた。
直後、それは爆発する。
中心点にいた人物なんて炭にするほどの大爆発。にも関わらず、神和は無事だった。
「これは……」
取り囲んでいたのは
見えた。
禍津神の腕はどれも自由の身だ。四ツ腕はそれぞれ死を内包する。それらが全て、神和を殺すために牙を剥く。
指を指した。
地面から伝わる高熱。頭上から標的を定める隕石と雷。地面と足は凍らされ、周囲に火種が瞬く。
一〇秒後には死体が完成する、その目前で。禍津神の背後に秋月が現れ、首目掛けて刃を振り下ろす。
しかしそんな不意打ちも通じない。反応した禍津神が、災害事象をキャンセルして二本の腕を背後に振るった。弾かれた大剣は秋月の手を離れ、神和の傍に落下する。
キャンセルされたのは隕石と雷、あとは氷結か。
噴火までの猶予はない。神和は禍津神の首に狙いを定める。禍津神は気付けなかっただろう。本能で動くがゆえに、それが斬るのではなく突くためのものであることを。
ここまでで四秒。
隕石と落雷は秋月に向けられた。秋月は新しく盾を取り出し、禍津神の上を取るように跳躍する。天蓋からの脅威を盾で防ぎ、同時に足場としても使用した。隕石とタイミングを合わせ、盾を蹴った秋月は弾丸のように落下する。
ここまでで六秒。
神和は禍津神へ刀を突き出す。本能で動くとはいえ自身の急所は理解しているらしい。腕の一つで首を庇った。たかが腕一本と侮れない。それは進化を経て、秋月が斬り落とせないレベルまで硬化している剛腕だ。
(だから、狙いは首じゃない)
刀から、手を放す。突き出された刀は禍津神を通り過ぎていく。何もなければ、その刀はただ意味もなく落ちていっただろう。
だが、刀を掴む少女がいた。禍津神も反応し、振るわれる刀から守るようにもう一方の腕で首を庇う。
素手になった神和は、傍に突き刺さった秋月の大剣を抜く。
八。
残りの二本の腕が蠢いた。しかし、そうは問屋が卸さない。無数の『剣』が禍津神の全身を貫き、その動きを封じ込める。
九。
上と下。少年と少女が刀剣を振るうも、腕が進路を阻害する。
「「はあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!!!」」
負けじと力を込める。その首を落とす。それだけに全霊を注ぐ。
やがて、禍津神の腕に刃が通り───。
一〇。
タイムリミットが、来た。
「………………………………………………………………………………………………」
しかし噴火はない。噴火どころではなく、あらゆる異常が打ち消された。
理由は一つ。
鬼の首が、落とされた。
その姿は塵に還り、異界は消滅し、現実の世界へ切り替わる。
黒い霧が晴れた、見慣れた路地裏がそこにはあった。小汚いのと湿った空気のせいで、居心地が良いとはとても言えないが。
「終わ、った……?」
「うん、お疲れ」
どっと力が抜ける。疲れはあるが傷は少ない。多少火傷と擦り傷があるくらいだ。ここまで血を流さず戦闘を終えられるのも珍しい。秋月がいなければ呼吸するのも難しい状態になっていたかもしれない。
「やっぱ戦神の召喚士は格が違うなぁ……。そういえばあの巨大な剣を地面から生やすヤツ。あれで最初から首狙ったらすぐ倒せたんじゃないのか?」
「うーん、無理。進化直後のあれ、結構本気で叩き斬ったんだけど傷一つつかなかったし。多分相手の殺気とか死の匂いに敏感だから、真っ向勝負は分が悪いかな」
『進化、というよりは最適化だな。どちらにせよ、その娘の推論は正しいが』
「ルシウステメェ、説明すんの途中で投げやがって……」
『心外だな。必要な知識は既に提示した。純度と密度次第で可能性を形にできることは示唆していただろう。戦闘中に説明を挟んでも良かったが、チームワークはペースとリズムが崩れると容易く瓦解する。口を挟まない方が戦いを円滑に進められると判断しての沈黙だったのだが……何か反論は?』
「うぐ……俺が悪かったです……」
「ところでさっき言ってた最適化って何?」
『対象を死に至らせる最も効果的な「可能性」を出力する、という意味での最適化だ。故に、禍津神との戦闘は少数になればなるほど凶悪になる。偏に強化や進化ではない分、その性質を見抜くのは困難だろう』
「へー。あれだけ強かった秋月が単騎で挑まなかったのはそういう」
「えっ、きみも分かってたんじゃないの? だから全体的に不意打ちみたいな攻撃が多かったんじゃ……最後のとか特に」
「いや、初撃の時点で警戒してない攻撃への対応が明らかに粗雑だったから、意表を突けば進化……じゃなくて最適化されてもワンチャンありそうって思っただけ」
「……うーん。なんだろう、こう……理解はしたけど腑に落ちないっていうか……」
何故かうんうん唸っている秋月は置いておいて、改めて周囲を見渡す。
「本当にあの禍津神が原因だったんだな」
『霧とそこから発生する禍津鬼に限ればだがな。元を正さねばこの悲劇は終わらないぞ』
「……そうか」
そして、一頻り唸り終えた秋月が神和の肩を叩く。彼女は晴れやかで、穏やかに微笑んでいた。
「言い忘れてた。一緒に戦ってくれてありがと。うん、やっと言えた」
「こちらこそ。秋月がいなかったら勝てなかっただろうからさ」
「あとまた学校で手合わせすることになったらよろしく」
「お、お手柔らかにお願いします……」
人と人とが繋がって、仲を深めることは尊いことだ。
よほどの天邪鬼でない限り、そこに異を唱える者はいないだろう。
だから、これは戦いを終えた者たちへ贈る束の間の平穏。
そこが、たとえ陽が差さない路地裏であっても。助け合い、肩を並べる者たちは笑い合っていた。
そのやり取りを、曲がり角の先で誰かが聞いていたことも知らぬまま。
9
表通りに抜ける道なんて知らない。住宅街の路地裏なんてどこも似たりよったりなのだ。だからああやって闇雲に逃げ回ることしか出来なかったわけだし。
だというのに、思ったよりあっさりと見覚えのある表通りに抜けられた。
「にしても、これも縁なのかな」
「? 何が?」
「あれ、気が付かなかった? ここ、私たちが初めて会ったところだよ」
「……っ?」
それを、そうだなと返して終われなかった。
禍津神がいた場所と、秋月と初めて会った場所。その共通項を、ただ偶然で済ませることが出来なかった。
思案に耽っていると、秋月が神和の顔を覗いている。
彼女は上目遣いで見つめたまま、その目を細めて、
「何か引っかかりがあるって顔だ。でも、それって本当に引っかかりなのかな」
「何を、言って……」
「そうだな。例えば、だけど……」
その透き通るような海色の瞳は、こちらの考えすらも見透かしているようで。
「きみさ、本当は気付いてるけど気付いてないふりをしてるだけだったりしない?」
「……………………………………………………………………………………………………」
何かを言おうとして、口を閉じる。
「……ここからは、一人で帰れるか」
「うん。っていうか、さっきのヤツを倒したら私も避難するつもりだったから」
もう日は落ちた。黒い曇天が空を覆い、既に街灯だけが街を照らす光源だった。
そんな太陽の加護を失った地上は、もうじき災禍の化身が闊歩するようになる。
「私は、私の目で見たきみのことしか知らないけどさ」
それは彼女なりの優しさだったのだろう。年下の中学生に励まされるなんて、年上として恥ずかしくもあるが。
それでも。
「誰かのために立ち向かえる人は、いつだって強い人なのは知ってる。だから、ちゃんと向き合えば応えてくれるよ、きっと」
「───ありがとう、元気出たよ。行ってくる」
ポツリと空から雫が落ちる。じきに雨が降るだろうが、気にしてなどいられない。
夜の街を駆ける。
特別なことではない。
有耶無耶にして、先延ばしにして。逃げていたことと向き合う時が来ただけなのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます