第一章 悪魔は荒唐無稽の正義を嗤う Ⅰ


   1


 宣言した。

 己の願望。叶えたい理想。

 それを聞いて笑いもせず、かといって驚くような表情もしない。ただ、まるで市内放送を聞き流すような調子で言った。

『……「ヒーローになりたい」か。大仰な理想だな。───良いだろう。貴様の願い、しかと聞き届けた』

 その言葉を聞いてホッと胸を撫で下ろす。

『だが結ぶのは本契約ではなく仮契約だ。現今の貴様を、正式な主とは認めない』

「なっ───」

『夢を口にするだけであれば赤子でも容易い。行動が伴わない理想などただの妄言だ。貴様の願いがまことであるならば当然、成就するための奮励くらいはしているのだろう? その行動を以てして、貴様の言が偽ではないと判断する』

 夢を見るのは簡単だ。

 理想を語るのは簡単だ。

 医者、宇宙飛行士、プロのスポーツ選手。だがそれを叶えるための勉強や練習を怠っているのであれば、結局それは妄想の域を出ない。この『召喚獣』は、自身の夢が妄言ではないことを示せと言っているのだ。

「……分かった」

『失望させてくれるなよ。無論、こちらも何もしないままでは利を提示できない。故に知識は授けよう。必要な時、必要な知識を貴様にくれてやる』

 基本的に悪魔といえば甘い言葉で誘惑し堕落させるというイメージが強い。しかし、中には契約によって知識や力を授けることもある。具体例を挙げるならソロモン七二柱などが有名か。

 そして、悪魔と呼ばれるものに共通されるものはもう一つ。

「待って。ちょっとナギ、アンタ警戒しなさすぎ。相手は悪魔なのよ? もう少し疑いなさい」

 険しい顔のまま、陽依が割って入ってきた。

 因みに神和が抱いている悪魔のイメージはふわふわだ。捻れた角があってー、先っぽが三角形になっている尻尾とコウモリみたいな羽が生えててー、あとあれだ! 天使とか神様とかと仲悪い人(?)たちだよね!! ついでに人を良くない方向に唆す感じのッ!! ……という残念な感じの知識しかない。

 そもそも悪魔という単語をゲームやアニメくらいでしか聞かないのだ。それも最近はレパートリーも様々で、可愛い女の子になっていたりマスコット的なものになっていたりとオタク文化に侵食されている。その中で正しい悪魔像を把握しろというのも無理な話だろう。

「悪魔の契約は基本的に代価が伴うものなの。要求されるものについては色々あるけど、多分一番有名メジャーなのは魂よ」

「……っ」

 自分でも息を呑むのが分かった。

 誰かを助けるために召喚したというのに、それを頼るたびに何かを犠牲にしなければならないとなっては本末転倒だ。

「だからナギ、ちょっとは慎重になって」

「あ、あぁ」

 少し緊張しながらも『獣』の顔を横目で確認する。

 確かめなければならない。要求する代価が魂や寿命といった取り返しのつかないものだった場合、この『召喚獣』とは契約できない。しかもそれが自分のものでないなら尚更だ。

「仮契約でも知識はくれるんだったな。代価に何を要求するつもりだ。言っておくけど、俺の周りにいる人たちを要求されても承諾できない。その時になったら要求するっていうのもお断りだ。ここで代価の内容を口に出来ないんなら、俺はお前と契約しない」

 顎に手を添えたままこちらを見下ろすだけで、やはり憤ることはしなかった。

『───ふむ。相手が悪魔となれば必然か。しかし私からすれば、魂も寿命も契約で保証するものではない。貴様らが懸念しているのはそのことだろう?』

「……それを信用しろって?」

『まさか。悪魔の知識があるのであれば貴様の疑念は尤もだ。その気構えを否定はせんよ』

 僅かに『ヤツ』は笑ってみせた。込められていたものは感心か、あるいは嘲弄か。

『否定はせんが、宣誓はしておこう。私は虚言を扱わない。保身の狂言よろいなど必要ない故な。……私が求めるものは未来永劫変わらない。ただ一つ、享楽のみを渇望する』

 隣にいる陽依の空気が僅かに張り詰めたのを感じた。敵意とまではいかずとも、警戒はしてくれているらしい。かく言う神和も次に来る言葉を待つ。悪魔の語る享楽ほど、胡散臭いものはないのだから。

『享楽と言っても、貴様らが思い描いた娯楽や快楽ではない。私は、己の意志に従う者を好む。それらが選択し、紡ぎあげた物語せかいのぞむことこそ至高とする』

 だからこそ、とそこで一度区切り。その『召喚獣』は神和をまっすぐ見据えた

『私の望みは貴様が己を偽らぬこと。無論、時を移さずにそこへは至れんだろう。そのための仮契約だ。ことの意は解せたか?』

 しばし逡巡したうちに、最も信頼する者に耳打ちする。

「(……信じて良いのか? これ)」

「(正直なところちょっと引っかかるけど……でも悪魔って契約には忠実だって聞くからそこだけは信用して良いと思う。まぁ、嘘をつかないっていう口約束は疑った方が良いかもね)」

 頼れるお姉さんはこういう時アドバイスが的確だ。意を決して、自身が喚び出した『獣』に向き直った。助言に従って、慎重に言葉を選んでいく。

「……さっきの言葉、信じて良いんだな」

『判断は貴様に委任しよう』

 あくまで決定権はこちらに委ねるつもりらしい。印象は『怪しい』や『胡散臭い』から脱しないままだったが、それでも神和は覚悟を決めた。

「俺はお前と契約する。俺は、あんたが判断できるまで自分がどんな存在か提示する。逆にお前は、必要な時に必要な知識をくれ」

『あぁ、構わんよ』

『ヤツ』が提示した契約にそのまま頷くのは不用心にも程があることは教えてもらった。だから、最低限の防衛ラインは死守しなければならない。しかし悪魔を利用しようと画策すると、その思惑すら手の上で転がされかねない。

 だから、利用するのは『ヤツ』自身が発した言葉だ。その上で、重大な危険性を除去できるもの。

 つまり。

。急に捩じ込んで悪いけど、これも契約に含ませてもらうぞ」

『悪魔が契約に忠実であることを利用する、ときたか。どうやら浅知恵程度は働くようだな、人間』

 くつくつと、その『召喚獣』は声を押し殺して笑う。

『───承認いいだろう。無知蒙昧の契約者、知識の伝授と虚言の禁則を約束しよう。但し、貴様が取るに足らない者だと判断できればこの契約も撤廃させてもらう』

「あぁ、分かった」

 仮契約は完了した。

『悪魔』が瞬きすると、眼の色が変わる。不気味な黒目は見慣れた白へ、赤かった瞳も黄金色に変化した。一三枚あった翼も、はためかせるとコウモリのような翼一対に統合される。契約すると姿まで変わるものなのだろうか。

 そしてもう一つ、まだ分からないことが残っている。

「ねぇ、私からも一つ良いかしら?」

『契約内容に横槍でも入れる気か? まぁ言ってみろ』

「違うわよ。そうじゃなくてアンタの名前のこと。アンタ、ルシファーなんじゃないの?」

 堕天使ルシファー。

 堕天使の長とされ、おそらく一、二を争うほど有名と言っても過言ではない悪魔の代名詞。

 しかし神和は首を傾げる。それが何か知らないから、ではない。流石に名前くらいは知っている。だから疑問点は他にあった。

「何でルシファーなんだ? 悪魔って他にもたくさんいるだろ?」

「確かに安直だけどね、こいつの特徴が結構それっぽいのよ。傲慢な態度とか、。……まぁ、こっちに関しては俗説なんだけど」

 七つの大罪にはそれぞれ悪魔が象徴されるが、ルシファーはその中で傲慢に該当するという話は聞いたことがある。いや、それ以前に気になった点が一つ。

(翼も一二枚……?)

 今では二翼一対に統合されているが、自分の記憶が正しければ最初は一三枚だったはずだ。それを確かめる暇もなく、悪魔は少々不機嫌げに陽依を睨んだ。

『貴様、悪魔の名がどんな意味を持つか知っているな? だから是が非でも聞き出そうとしているのか』

「……あぁ、これは誤魔化しきれないわね。ま、悪魔なら警戒するなって方が無理な話か」

「え、えっと……?」

 傍らで困っていると幼馴染は察してくれた。悪魔をゲームや漫画の世界でしか見てこなかったヤツに、悪魔の名前が持つ意味など分かるわけがない。そんな感じの若干呆れたオーラが悪魔よこ幼馴染めのまえからビシバシ感じる。雉郷先生の影響か、陽依は顔の横で指をくるくると回す。

「呪術とか魔術の話になるんだけど、名前っていうのは絶大な効果があるのよ。命令だったり、契約だったり……種類は色々あるけどね。私たちで言えば実印みたいなものかしら」

 因みに、召喚魔術は契約も含めるためこの内容は授業で何度かやっている。それなのに神和がこれを知らないのは、単純にその時いなかったからだ。理由については、何故彼が雉郷先生からお叱りを受けていたかを思い出していただきたい。

「つまりあれか? 契約書に勝手に判を押されたら困るから、俺たちに名前を明かさないっていうのか」

『人間の視点で俯瞰すればそうなるかもしれんな』

「でも呼ぶ時不便だろそれ。一対一とかならまだしも、他に悪魔がいる状況だったら誰を指してるか分からないし」

『どちらにせよ、貴様らに明かす名など無い。だが、その理屈もまた道理。そうだな、最低限名の体裁を取れているものであればどんな名称でも構わん。好きに呼べ。但し、間違っても神の名など与えてくれるなよ』

 要は神様以外で名前として機能するのであれば、ニックネームをつけても良いらしい。だが神和はペットすら飼ったことがない身の上である。ネーミングセンスなどあるはずがないのだ。世の中には言い出しっぺの法則というものがあるが、その言い出しっぺの知識の引き出しがすっからかんでどうしようもなかった。このままではポチとかタマとかつけた挙げ句すごい顔で見られかねない。

「……さては何も思いつかないって顔ね?」

「仰るとおりです……」

「はぁ、まったく世話の焼ける……。ま、私も偉そうなこと言えるほど知識があるわけじゃないんだけど」

 こういう時一番引き出しが多いのはあの変態大佐なのだが、生憎と現在はお説教中なのでここにはいない。

 無い物ねだりしても仕方がないため、たらればの思考から切り替える。

「だから、こういう時は素直にネットに頼りましょ」

 そう言って小さく掲げたのは一つの端末機器であった。有り体に言えばスマホである。

 インターネットの情報は玉石混交だが、使い方を誤らなければこれ以上に便利なものはない。なんてったっていちいち分厚い辞書やら参考書やらを漁らなくても情報が手に入るのだ。便利な世の中になったものである。なおこの残念高校生に辞書や参考書を漁りまくった経験があるかと聞かれれば答えはもちろんノーだ。大抵買っただけで気分が満足してしまい、一度も開かれないまま本棚に積まれていく。

 ……話が逸れた。本題に戻ろう。

 陽依の手にあるスマホにはどこかのウェブサイトが表示されている。既に一通り調べきった後のようだ。

「はい、これ」

「?」

「めぼしいサイトは見繕ってあげたわ。アンタの召喚獣なんだしアンタが名前決めなさいよ」

 契約者としての責務と言えば良いのだろうか。確かに、真名が不明な召喚獣への名付けはその召喚士が行うのが筋かもしれない。

 礼を言ってそのスマホを受け取る。どうやら情報をまとめているタイプのサイトのようだ。

 悪魔の名前と解説、その由来が掲示されている。サイト内に神様や妖怪などのリンクもあることから、創作のヒントに使われることを想定したサイトなのかもしれない。そして、その中に目の前の悪魔の名前としてしっくり来るものがあった。

「色々あるけど……『ルシウス』っていうのはどうだ?」

『ラテン語で光を意味する言葉が派生したものだな。……どうしても私をルシファーと結びつけたいか』

「似て非なるものっていう点は変わらないだろ。それに、ルシファーに似てるから同じ語源の名前、みたいな取っ掛かりがあったほうが分かりやすいんだよ」

 正確にはルシファーの語源は単純な『光』ではないのだが、似て非なるものを指し示す名前としてはぴったりだろう。

「どうだ? どんな名前でも良いって言ってたけど、この名前でも構わないか?」

『異を唱える気はない。私は己の呼称に固執も執着もしていないしな』

 仮の名は決まった。

 神和は改めて、召喚獣ルシウスと向かい合う。

「じゃあこれからよろしくな、ルシウス」

 差し出したのは右手。

 挨拶にも種類があるが、これから親睦を深めていく相手との第一歩は、やっぱり握手これがしっくりくる。

 悪魔もそれを察したようだった。

 神和に応じながら、それでいて、悪魔らしい邪悪な笑みも浮かべたままで。

『精々見限られんよう精進するが良い、人間』


   2


 さて、当然だが学校が終われば家に帰ることになる。

 ルシウスはあの後すぐに姿を消したため、必然的に通学路を陽依と二人で並んで歩くことになった。

 陽依は通常、弓道部の活動があるため帰宅部の神和とは帰るタイミングがなかなか合わない。しかし今回のような例外の日は、こうして二人で帰路についていた。

 と言っても、特別な会話をするわけではない。同級生だから基本的な雑談はそこでしているし、直接会えなくてもスマホのSNSで連絡は取れる。だから、二人の帰り道は静かな場合がほとんどだ。しかし不思議と、神和はそれを嫌な沈黙だと感じたことはなかった。

 だからだろう。今日もそういうものになるのだと思っていた。

「……出来ちゃったね、召喚魔術」

 唐突に、陽依がそんな事を言ってきた。

 召喚魔術。

 中学の頃から一度たりとも成功しなかったあれがとうとう発動した。

 神和の召喚魔術は成立し、それがたとえ悪魔であってもルシウスという召喚獣と契約できた。……仮ではあるのだが。

 心が弾むとか、興奮が抑えきれないかもとか色々考えていたが、どうにも心は落ち着いている。だから、その言葉に対する返答も存外に淡白だった。

「だな。悪魔っていうのはちょっとびっくりしたけど」

「うん……」

「?」

 彼女の横顔にどこか影が差しているように思えるのは、夕日の逆光に照らされているせいか。

「───あ」

「ん? どした?」

「忘れてた。ウチの乾電池、在庫切らしてたんだった」

 本体のボタンでも操作することは出来るが、それでも面倒なものは面倒なのだろう。最近の機種モデルはリモコンでしか出来ないこともあることだし。

「じゃあ途中でコンビニ寄っていくか」

「ごめんね。うっかりしてて」

「気にすんな」

「ん、ありがと」

 そう言って笑いかけてきた陽依の顔に、先程までの影はない。

 きっと気のせいだろう。そう思うことにした。

 だが、胸のつっかかりは消えない。疑問に思っていたことが有耶無耶になった気がする。

 でもきっと気のせいだ。悪魔と邂逅した後だから、無意識のうちに疑心暗鬼になっているだけなのだ。


 ………………………………………………………………………………本当に?

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