第10話 巫山戯



 鬱蒼とした木々の隙間を通り抜け、全速力でイチローはひた走る。

 たびたび罠を踏んでしまって飛んでくる矢や丸太を鬱陶しく思いながら自身の出せる最高の速度で駆け抜ける。

 途中から罠の単調な動きにも慣れ、最小限の動きで全てを回避してイチローは龍の後を追う。


「クソッ! 完全に油断していた……! つーかなんで土手っ腹に穴空いてるのに生きてるんだあのクソ龍はっ!」


 自身のうかつさと龍の無駄にタフな生命力に対して、口からはついつい愚痴が漏れ出てくる。


 あれだけ息巻いて任せろとクラリスに言ったのに、彼女と人質を危険に晒してしまう己の不甲斐なさに怒りが湧いて仕方がない。

 この怒りは龍を思う存分爆殺して晴らしてやろうと、走りながら指をパキパキ鳴らしてイチローは強く決心する。

 

 クラリスが人質と共に待機している彼女の故郷の村は龍と戦った山頂より少し下がった部分、日本で最も有名な富士山で例えるなら、だいたい七合目くらいの地点にその住居を構えている。

 そこまで向かうのに、普通の人間なら罠の対処等に時間も掛け1、2時間は掛かるだろうが、勇者パーティーでも随一の健脚を誇るイチローの足ならば10分と掛からずに辿り着くだろう。

 

 一見するとパーティー1の怪力を持つアミリアが最も足が早いと思うかもしれないが、彼女は幼い少女の姿に転生したせいで足が短く、回転数も遅い。

 さらには怪力の力を無理に足に込めて走ろうとすると、地面が爆発するかのように抉れて、走るどころではなくなってしまう。

 もっと力の制御が上手く出来る様になれば話は違うのかもしれないが、現状のアミリアの実力ではこれが現実だ。

 アミリアがチート能力に胡座をかいてロクに鍛え上げてこなかった結果がこれだろう。

 こうした事情が相まって、パーティーで最強の脚力を持ちながらアミリアは速度という面で二位という順位に甘んじていた。


「頼むから間に合ってくれよ……!」


 イチローは息を切らしながら、切にクラリス達の無事を願うのだった。




☆☆☆☆☆☆☆




「勇者様達は無事なんデスかね……?」


 先ほどから聞こえてきた爆発音や木々のへし折れる音が止み、蒼漢山には静寂が訪れていた。

 何かが破裂するような音が響いたのを最後に、それっきり戦闘音のようなものは何一つ聞こえてこない。

 龍は倒してくれたのだろうか。

 クラリスは期待を胸に彼らの帰りを待つ。

 

「クラリスお姉ちゃん。もう大丈夫なの? もうお外に出て遊んでもいい?」


 外が静かになったことで、人質として小屋に押し入られていた一人である少女が中から顔を出してくる。

 外で遊びたい盛りの子供をあばら家に閉じ込めておく事に心苦しさを感じるが、今は心を鬼にする時だとクラリスは判断して、首を横に振る。


「もうちょっと待ってね。まだ龍の生存を確認できてないデスから。確認できたらこれからはずうっと遊んでもいいから、あとちょっとだけ我慢して、ね?」

「うん、お姉ちゃんがそう言うならそうする……」

 

 クラリスは偉い偉いと少女の頭を撫でてあげる。 

 少女は気持ち良さそうに目を細めると、クラリスの言いつけを守って再び家の中へと戻っていった。

 

 この村には、もはやまともに戦える人物は自分一人しかいない。

 もしも勇者様達が負けたらその時は………


 頭を振って悪い考えを払う。

 あんなに強い勇者様が負けるはずがない。

 自分が勇者様の勝利を信じないでどうする。

 クラリスは不安と期待の狭間で揺れ動きながら、今か今かとイチロー達が帰ってくるのを待った。



 ───そして、その時はやってくる。


 

「ッ!? あぶないっ!?」


 突然上空から降り注ぐのは1メートル程ある巨大な火の玉。

 間一髪、すんでのところで回避出来たものの、もし直撃していたら命はなかったろう。

 元々立っていた場所には黒い焦げ跡が焼き付いていた。

 火球が飛んできた方向に目を向けると───


「お前はっ!?」

「クラリスぅ……! 貴様、人間と手を組んだなぁ……!!」


 クラリスの元に最初に辿り着いたのは、残念ながらイチロー達勇者パーティーの誰でもなく、彼女の怨敵、龍であった。

 その姿は酷くボロボロで、激戦を繰り広げてきた事が窺えた。

 特に、裂傷の走った顔と、分断され短くなった身体が、敵でありながら見ていて痛ましさすら感じる。

 龍は上空から睨め付けるようにこちらを見ており、明確に敵意を向けている。

 

 状況は限りなく最悪に近いピンチ。

 そんな絶望的状況の中でも、クラリスは努めて冷静に頭を回転させる。

 イチロー達勇者パーティーは負けたのか、どうして上半身だけしかないのか等、様々な疑問が頭を駆け巡る。

 

「いったい何のことデスか? 貴方様のために何度も生贄を捧げたのに、疑われるなんて心外デスよ」


 笑顔を顔に貼り付けて、知らん存ぜぬで通す。

 それ以外に打つ手はない。

 背後には村の子供達がいるのだ。戦いに巻き込まれでもしたら、あっという間にその短い人生の幕を下ろす事になるだろう。


 そんな事はさせない。

 いざとなったらこの身を盾にしてでも守り抜いてみせる。

 友好的な言動とは裏腹に、クラリスは龍と戦った末に、死ぬ事も辞さない構えだ。


「とぼけるなよクラリス。彼奴らが貴様の名前を出しているのを我はしかと耳にした。貴様は殺す。後ろの人質は利用した挙句に喰い殺してくれるわ」


 舌舐めずりをして、背後の家屋を龍は見つめる。

 油断、慢心、余裕。

 龍はクラリスに対してこれらを隠そうともせずにいる。

 それは、実際にクラリスではまるで歯が立たない程、実力差があるためだ。


 クラリスの武器は糸剣。

 この武器は人間や動物のような皮膚の柔らかい生き物に対しては非常に有効であるが、硬い鱗で覆われたこの龍などの魔物に対しては糸が喰い込まず、ダメージを負わせられない。

 

 そのため、たとえクラリスが龍と戦ったとしても万に一つも勝ち目が無い。

 精々時間稼ぎが少しできるくらいだろう。


 だが、このピンチの最中、クラリスの顔には笑みが浮かんでいた。

 クラリスを格下と軽んじ、油断をしている龍はそれについぞ気がつく事はなかった。


(龍は人質を利用した末に喰い殺すと言っていた。今更格下のクラリスに対して、人質を使わずとも始末することは容易に可能でしょう。それはつまり、人質を使わなくてはならない相手がいるという事。勇者様達、やっぱりまだ生きているんだ……!)


 勝手に巻き込んで、死なせてしまったら申し訳が立たないところだった。

 まあ、一度はクラリス自身が殺そうとしていた訳だが。

 それはそれ、これはこれの精神でクラリスはイチロー達の生存を心の底から喜ぶ。


 希望は見えた。

 深い絶望に囚われて、目の前の未来を諦めかけていたクラリスに、生き延びなければならないという活力が湧き出てくる。


(だって、約束したデスもんね。皆さんのパーティーに加わるって。それに、今後腐った豆を食べてお腹壊さないように見張らないと)


 腰に差した糸剣の鞘をギュッと握りしめる。

 絶対に敵わない相手と戦うのは怖い。怖いけど、皆が生き延びるためには戦わなくちゃ。

 クラリスは自らの恐怖に打ち勝つと、鞘から糸剣を引き抜く。


 龍はクラリスの意識の変化に気がついたのか、興味深さそうに視線を向ける。

 

「ほう。一度我と戦い、泣きながら逃げだしたくせに、再び剣を向けるか娘。よかろう。ならば思い出させてくれる。真なる絶望というやつをなあ!!」


 この龍、イチロー達に集団リンチをされて逃げ出したくせに、やたら偉そうである。


「かかってくるがいい! 貴様程度、3分と掛けずに葬ってくれるわ!」


 そして、イチロー達の到着の時間もキッチリと気にしていて、みみっちい奴だった。


 

 クラリスは森の中を駆け走る。

 龍の目的は人質の子供達。ならば、それから引き離すためにあの場から距離を取るのは当然だ。

 龍もクラリスの狙いには気がついてる筈だが、人質を優先しないのは余裕からか。


「ワッハッハッハッー! 逃げろ逃げろ人間! そうだ、これこそ本来あるべき人と我の関係! まったく、我は何をしていたのか。人間など、空から焼き滅ぼせば簡単に死ぬというのに。奴らの土俵に立ってやる必要などなかったのだ!」


 龍は得意げに空からクラリスを見下ろす。

 対してクラリスは息も絶え絶えの様子で今にも倒れてしまいそうである。

 

 まず、龍の叩きつけで岩にぶち当てられ骨が肋骨が折れた。

 さらに、辺りは龍の火球で火炎地獄と化しており、空気も悪く、呼吸すらまともにできない。

 森は焼け落ち、たとえ龍を討ち滅ぼせたとしても、もうここに人は住めないだろう。

 最悪山全体へと火事が広がる可能性がある。

 

「はあっ…はあっ……!」

 

 熱い。苦しい。息ができない。

 クラリスの思考はそれらに埋め尽くされ、今にも足を止めてしまいそうだ。

 でも、立ち止まらない。

 少しでも子供達からこの龍を引き離す。

 そうすれば、きっと、勇者様達が──────



「……ふん、気を失ったか。我の見立て通り3分も掛からずに終わったな」

 

 人質から大して距離も引き離せず、クラリスは志半ばで意識をなくす。

 顔面から地面に倒れ込み、このままでは火事に巻き込まれて焦土の一部になるのは確定的だ。


 勇者パーティー最速の足を持つイチローは、まだこの場から離れた位置におり、助けには向かえない。

 ───絶対絶命だ。

 

「今まで贄を捧げてきた褒美だ。我自らの牙で葬ってやろう」


 龍は顎門を開き、上空から地面ごと噛み砕く勢いでクラリスに牙を下ろした。


 牙がクラリスに喰い込もうとするその時。

 横から何者かが飛び出してきて、龍の口からクラリスを掠め取る。


「……貴様…!?」


 人とはまるで違う顔の造りをした龍だが、その時驚きの表情を浮かべているのは誰の目にも明らかだった。

 そして、龍が驚いたのは、助けに駆けつけたのがあまりにも予想外の人物であったからだ。

 

 黒く艶やかな髪に、たわわと揺れる大きな乳房。

 なんと、真っ先に龍の元に辿り着いたのは、三人の中で一番体力も身体能力も最低の、イチカであった。


「……お疲れ様です、クラリスちゃん。それと遅れてごめんなさい。後は全部私達がやりますから、今は休んでいてください」


 気絶しているクラリスには聞こえる筈のないその言葉。

 しかしながら、確かにクラリスの表情が柔らかくなるのをイチカは感じた。

 火傷や骨折の跡のあるクラリスを優しく寝かせ、イチカは立ち上がる。


「なんだ貴様のそれは……ふざけているのか?」

「ふざける? 私が? 何を言ってるんですか。ふざけているのはあなたです。私達の仲間をこんなに傷つけて………巫山戯るなよお前!!」


 普段は滅多に見せない怒りの表情を顔に浮かべる。

 全身から魔力の渦が巻き上がり、イチカの髪を揺らしていた。

 龍はその様子を目にしても、困惑の姿勢を崩さない。


「いや……だって……水着姿で戦場に出てくるなんてふざけてるとしか言いようがないだろ……」


 龍の言う通り、この場に現れた時からイチカは黒のセクシーな水着を着用していた。

 困惑しながらも、イチカの際どい格好を指摘した龍は、居心地が悪そうに視線を逸らした。

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