第6話 初体験



 宿屋での事件から時は流れて翌日の早朝、街の出口に向かって真っ直ぐ歩いている三つの影があった。


「ふぁあ〜……ねむっ」


 アミリアは欠伸を噛み殺す事なく、大きく口を開いて睡眠不足を顕にする。

 その隣では、そんなアミリアの肩を横目でチラチラと伺いながら、イチカが同意を示す。


「まあ、昨日あれだけ一晩中激しくやってましたからね。二人の声がうるさくって私もあんまり眠れなかったから、睡眠が足りてませんよ〜」


 イチカもまた同じく、眠そうに瞼を擦っている。

 

「クラリスちゃんはどう? 眠くない?」

「ひ、ひゃい!? クラリスは何もしてないデスよ!? 殴らないで欲しいデス……!」


 アミリアがクラリスに話題を振ると、尋常ではない様子で怯えだす。


「ちょっとどうしたの、クラリスちゃん? なんであたしからそんな逃げようとするの?」

「よく肩にそんなモン背負いながらキョトンとした顔できるデスね!?」


 「怖いデス!」とアミリアの顔のすぐ横あたりを指差しながら、クラリスは顔を引きつらせる。


「ん? あーこれね。ごめんごめん、こいつの顔が怖かったよね? いま起こすから」


 そう言って、アミリアはずっと肩に担いでいた荷物を地面に投げ捨てる。


「こら、起きろイチロー! お前のせいでクラリスちゃんが怖がってるだろ!」


 地面に打ち捨てられた荷物イチローに蹴りを入れて、強引にその目を覚まさせようとするアミリア。

 そんな暴力的なところをクラリスは怖がっているのだが、彼女はまだ気がついていない。


「んがっ!? う、おお……全身が痛え……」


 イチローは、パンパンに腫れ上がった顔で呻き声を上げながらも立ち上がる。

 なお、他の三人は地面に横たわるイチローを待つことなく、先を歩いて行ってしまった。

 仕方なく痛む体に鞭を打って、イチローは彼女らを追いかける。

 後ろから走ってこちらに向かってくるイチローを見ると、アミリアは眉をひそめる。


「昨日あんだけボッコボコにしたのに、なんでそんな普通に立てるわけ? イチローちょっとおかしいんじゃないの?」

「おかしいのはお前の性癖と容赦のなさだろ……ったく。イチカ、俺のこの怪我治してくれ」


 そう言われ、以前と同じようにイチカは変身するとイチローの傷を魔法で治療する。

 その様子を眺めながら心外だと言わんばかりの表情でアミリアは抗議する。


「こんな小っちゃい女の子に殴られたくらいでそんな文句言わないでよ〜!」

「お前の固有能力『怪力』だろうが……。それに猫撫で声もやめろ。自分が46歳のおっさんだという自覚を持て」

「歳の話はホントやめて」


 マジトーンであった。


「それに、ちゃんと容赦はしてるんだよ? 本気で殴ったら一発で人間の顔骨なんて砕けるんだから」


 腕を組み、ドヤ顔でそう言い切るアミリアの視界に映らないところで、クラリスがピィっ!?と小さな身体を震わせて鳴いているのをイチローは目敏く捉える。


「(ハッハーン? アミリアの奴、昨日俺を半殺しにした鬼の如き姿を見られて、クラリスに怯えられてるな? いい気味だ。これでクラリスを狙うライバルは一人脱落したと見ていいだろう)」


 イチローはアミリアを鼻で嘲笑うと、次にイチカを目を向ける。


「(問題はイチカだ。物腰柔らかで見た目もおっとりとした甘えたくなるお姉さんだから、クラリスもこいつに誑し込まれる可能性がある)」


 歯をギリっと鳴らして睨みつける。 

 傷を治して貰った恩などすっかり忘れて、薄情な男である。


「(だが、こいつらと違って俺にはあるアドバンテージがある。それは勿論俺が男だということ。性癖拗らせたこいつらと違って、俺だけが男のままだからな。いくらこいつらがクラリスを狙ったところで、恋愛関係になれるのは俺のみよ)」

 

 クックック……と気持ちの悪い顔で気持ちの悪い声を上げているイチローを、頭を殴りすぎておかしくなったのかな?と心配するアミリア。

 自分のやったことを後から後悔や心配をするのが田中一郎という人物に共通している性質なのかもしれない。


「頭大丈夫デスかイチロー様?」

「その言い方に悪意はないんだよな!? クラリスはあの変態アミリアとは違うって信じているぞ!」


 クラリスも同じくイチローの心配をすると、妙な突っ掛かれ方をされて頭に疑問符を浮かべる。


「いや、悪意はないならいいんだ。そうだ、お互いをもっと良く知るためにいろいろと質問をしていいか、クラリス? ここから龍がいるっていう山はまだ遠いんだろう?」

「そうデスね。半日はかかりそうデス。退屈デスし、質問くらいならお好きになさって下さい」


 それを聞いたイチローは、ここが好機とばかりに鼻息を荒くしてクラリスに質問をしようとする。

 聞く内容はもちろん好きな異性のタイプや、好きな物などだ。落とす相手の趣向を知るのが大事だと前世でも本で習った。


「じゃ、じゃあクラリス……質問があるんだけど……」

「はい、なんでもどうぞ」


 さあ聞くぞ、と意気込んでイチローは口を開く。


「す、す……」

「す?」

 

 可愛らしく小首を傾げて口をuの形にするクラリスの姿は非常に尊く、得難いものであったが、その可愛さがイチローの仇となった。

 

「す、すき、すき焼きって美味しいよな!」

「まあ、そうデスね?」


 異性耐性が底辺値に達しているイチローにとって、気になる女の子に好みのタイプを聞くような真似は出来なかったのである。

 軟派な男とは違うのだ。イチローは後にそう語った。


「童貞おつ^^」

「ぶっ殺してぇ……!」


 どうやってるのかは分からないが、非常にムカつく顔でこちらを煽ってくるアミリアに対して、イチローは殺意の気持ちしか抱けない。

 いつかその綺麗な顔を吹っ飛ばしてやると心に誓う。


「やれやれ、仕方ないな〜。イチローが本当に聞きたかった事をあたしが聞いてあげるよ」


 イチローは舌打ちをして、苛立ちを隠そうともしないが、耳だけはクラリスとアミリアの方に向けており、興味津々なのも隠せていない。


「クラリスちゃんクラリスちゃん! あたしからも質問いいかな?」

「あ、はい、どうぞ?」


 クラリスはやはり若干の怯えを見せるものの、アミリアに対しても誠意的に対応する。

 やっぱり優しい良い子だと、イチローはうんうん頷く。


「クラリスちゃんの、す、好き、好きな……」

「好きな?」


 アミリアの様子がどうもおかしい。

 あれだけ余裕ぶってこちらを煽ってきたのに、顔を赤くさせて、もじもじする姿は自分と同様、恥ずかしがっているように見える。

 イチローは懐疑的な視線をアミリアに向ける。


「す、好き……好きな食べ物は何かな〜?」

「好きな食べ物デスか? うーん、腐ってない食べ物なら大体のものが好きデスね。好き嫌いはないのデス!」


 素晴らしい。

 イチローは素直に称賛する。

 というのも、イチロー、というか田中一郎達は揃って偏食家だからだ。

 野菜は食わねえ、キノコは食わねえ、好きな食べ物は揚げ物と肉。

 家族に高血圧で死ね!とまで言わせた程の筋金入りだ。


 ほのかに膨らみのある胸を張って、「えっへん!」と鼻を鳴らすクラリスは非常に可愛らしかった。

 

 それに比べて、結局クラリスの好きなタイプについて聞き出せなかったアミリアにはガッカリだと、失望の色と同時に、ざまあみろという嘲笑をイチローは浮かべる。


「高齢童貞おつっすアミリアさーん?」

「…………」


 先程煽られた仕返しに、今度は自分からアミリアに絡んでいくイチロー。

 自分が言われて嫌な事は同じく田中一郎であるアミリアも言われるとムカつく筈だ。


 だがイチローはそこでふと違和感に気がつく。

 おかしい。普段なら今にでも顔面を紅葉のように真っ赤にさせて飛びかかって来るのに、アミリアは何故そうしない?

 肩を震わせるだけで何も動きを見せないのは妙だ。


 こちら側からは影になって、アミリアの表情で何を考えているのかが読めない。

 不審に思って、アミリアの肩を掴んでこちらを振り向かせると───


「ば〜〜か!! 童貞なのはお前だけだよ!!」

「なん……だと……」


 あり得ない。

 イチローはあまりの衝撃に、まるで自分の足元がぐらつくような感覚に陥る。

 そんな馬鹿な、同じ田中一郎の筈なのに。

 自分は母ちゃん以外の女の子と手を繋いだことも無いというのに。


 イチローは自分と他の田中一郎との大きな差に打ちひしがれる。


「あ、相手はいったい誰なんだ……? 教えてくれ……!」

「可哀想なイチロー……あなたは女の子とのエッチの気持ちよさを知らないのね……」

 

 アミリアは優越感に浸って、イチローを哀れみの目で眺める。

 気づけばクラリスをそっちのけで、話題はイチロー童貞問題に移っていた。


 因みに、そのクラリスだが、先程からイチカが耳を塞いで汚い会話を聞かせないようにしていた為、その綺麗な鼓膜が汚れることはなかった。


「もしかして、未来の俺は結婚しているのか!!え!? 結婚していてその性癖を!?」

「うるさいわ。人の性癖に口を出すな」


 アミリアは不機嫌そうに鼻を鳴らす。

 そんな鬱憤を晴らすかのように、イチローにマウントを取っていく。


「そんな事言って、イチローの性癖もアレでしょ? 会社の美人上司を爆殺したいとか、そういうアブノーマルな性癖なんでしょう? アミリア分かっちゃうんだから」

「んなもんねーよ! なんだそのサイコでディープな性癖は!」

「またまた〜。だってイチローの能力、完全にサイコパスなキャラの奴じゃん」


 イチローは、うっと胸を押さえる。

 アミリアの言う通り、能力のイメージは図星であった。

 

「能力と性癖は関係ねえ。俺は巨乳で清楚なお姉さんが好きな模範的一般男性だ」

「童貞くっさ」


「(しまいには爆殺するぞこのアマァ……!)」


 アミリアを爆殺しようと震える右腕を必死に理性と左腕で抑える。

 

「ふーーっ! ふーーっ!」

「やーん! イチロー鼻息荒くて怖ーい! アミリア、乱暴されちゃうかもぉ」


 ここで振るわれるのは乱暴(物理)だろう。

 この二人の間にR18の展開が入る望みは薄い。

 R18Gなら別だが。

 

「そんな風にすぐ怒るからイチローは駄目なんだよ。どうせその能力を願ったのも気に入らない上司を爆殺してぇ〜とか思ったからなんでしょ?」


 そこについては否定できないイチローだった。

 だが、そんな自分と直ぐに喧嘩になるアミリアも同レベルなのでは?と疑問に思ったが、これ以上口喧嘩をしても疲労するだけだと分かっていたイチローは、この煽り合いの会話を切り上げる。


「で、マジでお前らはどうやって童貞卒業したんだ? 後学のために教えてくれよ」

「あー……それは……」


 純粋な疑問と好奇心でアミリアに尋ねてみるが、なんとも歯切れの悪い。

 アミリアはあまり言いたくなさそうにしていたので、イチローは少し離れたところでクラリスの耳を弄って遊んでいたイチカにも声を掛ける。


「なあイチカー! お前はどこで童貞捨てたんだー?」

「なんでこいつそんなに童貞卒業の話に興味津々なの……?」


 それは童貞にしか分からない。

 一度失ってしまえば、二度と戻らない初心な少年特有の感覚だった。

 イチローは少年という歳でもないが。


「ああ……そういえばそんなこともありましたね……」

 

 イチカは重く、暗い影を背負いながら、クラリスの耳を弄る手の速度を自然と上げていく。

 クラリスはくすぐったそうだ。可愛い。


「池袋……格安……うっ頭が……!」

「早く考えるのをやめてイチカ! 脳が粉々に破壊されちゃうよ!」

「マジで俺の初体験にいったい何があったんだよ!? こえーよ!!」


 クラリスの耳をもみもみとしながら、イチカは酷い頭痛に苦しむ。

 アミリアは同じ体験を持つものとして同情を。

 イチローはやがて自分に訪れていたであろう出来事に恐怖を覚える。


「あー……とりあえず田中一郎の初体験はそういうお店だったってことだけ教えておくよ」


 アミリアもこれ以上考えたくないと言わんばかりに口を閉ざして、この話は打ち切りに。

 イチローも自ら率先して自身に降りかかる恐怖体験を聞こうととは思わない。


「そうなのか……てか、素人童貞の癖して俺に偉そうに講釈垂れてんじゃねえよ」


 ペッ!と唾を路傍に吐き出して、イチローは露骨にアミリアに対する態度を変える。

 彼の中では童貞と素人童貞のランクは同じ位階のようだ。


「こいつほんとムカつくわ〜!」

「こっちの台詞だメスガキがぁ!!」


 そうしてまたいつも通り、アミリアとイチローは喧嘩を始める。

 またかとイチカは嘆息して、馬鹿二人を放置してクラリスと二人、先を歩いて行く。

 彼女もいちいち馬鹿の面倒を見ていられないのだ。


「あ、そう言えばクラリスちゃんは好きな人のタイプとかってありますか?」


 それは、馬鹿二人が散々訊こうとして聞けなかった質問だったが、イチカは気負った様子もなく自然に質問する。

 年齢的には田中一郎三人の真ん中に位置するイチカだが、歳を取り過ぎて逆にハジけたアミリアよりも、よっぽど大人であった。


 喧嘩をしていた筈の馬鹿二人も、急に静かになってその返答に耳を傾けている。

 暫しの思案の後、クラリスは口を開く。


「クラリスの好きなタイプデスか。うーん……それも食べ物と同じで、やっぱり好き嫌いはないデスね。よっぽど汚かったりしなければ、男の人でも女の人でもクラリスは好きデスよ」


 アミリア歓喜。

 嘆くイチロー。

 微笑むイチカ。


 三者三様の反応を見せて、勇者パーティー御一行は、龍が住むというクラリスの故郷、『蒼漢山』に辿り着くのだった。

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