第4話 ナース



「大丈夫、イチロー?」


 全身に傷を負ったイチローを心配して、アミリアとイチカが近寄ってくる。


「し、死ぬかと思った。爆発の衝撃で糸も引っ張られてめっちゃ首に食い込んだわ」


 イチローは涙目になりながら、自身の首に血が出るほど食い込んだ糸を慎重に引き剥がす。


「いてて……」

「じっとしていてください。私の回復魔法で治しますから」


 イチカは懐から一枚のカードを取り出し、「転身!」と言葉を発する。

 すると、イチカは一瞬の光に包まれた後、ガラリと衣装を変化させる。


「ナース?」

「はい、回復魔法を使うにはこの格好じゃないと使えないんですよね」


 「じっとしていてくださいね」とイチカは言って、イチローにその手をかざす。


「はーい。痛いの痛いの飛んでいけ〜」

「んほおおおおお。エッチなナースさんに手当てされるの気持ちいいのおぉぉ」

「きっしょ……」


 イチカが手をかざすと、時間を巻き戻しているかのように、みるみるうちにイチローの傷は治っていった。

 だが、イチローのその様子は側から見ると気持ち悪いの一言に尽きる光景だったので、今し方戦闘を終えた功労者に対してアミリアが罵倒してしまうのも仕方がないと言える。


 イチローの傷を治して一段落した彼らは、地面で気絶している襲撃者───クラリスの処遇について話し合う。


「で、この子をどうする?」


 イチローが真っ先にそう話題を切り出した。


「とりあえずそのままにしておくのは可哀想だから、一先ずは町まで運ばない?」

「でも運んでる間に起きたら危ないぞ。戦ってみて分かったけど、このクラリスって子、それなりに強いし」

「あ、じゃあ私の魔法で簡易的なロープが作れますから、それで縛って街まで運ぶのはどうですか?」

「イチカはそんな事までできるのか。万能で役に立つ能力だな。……それに比べて若い奴に責任を押し付けるだけで何の役に立たないメスガキが一人いるなー」


 イチローが煽るようにそう言うと、直ぐに顔を茹蛸のように真っ赤にさせて、アミリアは噛み付いてくる。

 

「はあああ!? チート能力貰っといて、たった一人を相手にボロボロにされるようなクソ雑魚に言われたくないんですけどおおお???」

「ああ!? やんのかメスガキ!?」


 争いは同じレベルの者同士でしか発生しないとよく言われるが、この二人は同じレベルどころか同一人物なので、こうしてよく諍いが起こるのである。


「はいはい、喧嘩はやめましょうね。あ、そういえばイチローさんはいつの間に地面を爆弾に変えていたんですか? 私気づきませんでした」


 短い付き合いだが、このような騒動はしょっちゅう起こっていたので、すっかり慣れた様子のイチカはいつものように仲裁に入る。


「ん、ああ。それなら勝負始まる前に靴紐結ぶついでに触っといたんだ。それでその場所にクラリスを誘導して勝ったってわけ」

「なんかちょっとズルくないですかそれ? 彼女は正々堂々戦おうとしてたのに」

「人の命を狙おうとする奴には、別にどんな手を使ってもいいでしょ」


 なんてカッコつけてドライな口調で言っているが、実は少しばかりイチローは罪悪感を感じていた。

 根が小心者の癖にズルをするから後ろ暗い気持ちになるのだ。


「こうして客観的に見ると、結構顔に出るタイプなんだなって自覚できるね。罪悪感がモロに顔に出ちゃってるよイチロー。マジな感じの非難をされると心が傷つくもんね、気持ちは分かるよ」


 アミリアがポンポンとイチローの肩を叩いて、いつになく優しくしてくる。

 自分同士、争いもよく起こるけれど、やはり一番の理解者が近くにいるというのは案外悪いもんじゃないのかもしれないとイチローは思うのだった。




☆☆☆☆☆☆☆




「ふっかふかだあー!」


 アミリアが子供みたいにはしゃぎながらベッドに飛び込む。

 無邪気に枕へ顔をスリスリする姿は愛らしさを感じさせるが、中身は46歳のおっさんである。

 現実は非情だ。


 クラリスに襲われてから数十分かけて彼らはここ、トリソーの街へやってきたのだった。


 街へ来て直ぐに向かった先は宿屋。

 いつまでもクラリスを背負ったまま街を歩くのはめんどくさいとアミリアが言ったからだ。

 ここまで率先してずっとクラリスを運んできたのはアミリアだったが、役立たずと言われたのを少し気にしていたのかもしれない。

 その本人は、現在ベッドではしゃいでいる通り、全く疲れた様子はない。

 『怪力』の固有能力のおかげだろう。

 

「ホコリが立つからあんまりはしゃがないで下さいアミリアさん。それにしても、もうすっかり夜ですね。お腹が空いてきました」


 くぅぅとイチカのお腹が可愛らしい音を立てている。

 オリント王国を出てから、昼も食べずにここまで行軍してきたのだ、お腹も鳴る。

 

「イチカのお腹の音可愛いね。あたしもお腹減ってきたし、なんか食べに行こうよ」

「クラリスちゃんは置いていくんですか? この子もお腹減ってそうですけど」

「あーどうしよっか? ていうかイチローどこいったの? さっき部屋出てってから全然帰ってこないけど」

「さあ……?」


 二人して顔を見合わせ頭を悩ませていた、ちょうどその時、部屋の扉が開いた。


「おーっすお前ら、飯買ってきてやったぞ」


 部屋に入ってきたのは件の人物であるイチロー。

 彼は一人で休むことなく四人分のご飯を買いに行っていたのだった。


「わざわざ四人分ご飯買ってきてくれたんですか? ありがとうございますイチローさん」

「気が効くじゃーん。あんがとね」


(こういう時だけ食いつきがいいなこいつら……)


 素直にお礼を言われて内心少し照れながら、調子のいい二人に呆れるイチロー。


「どれどれ〜。何を買ってきたのかな〜? ……ってなにこれ! 白米だけじゃん!?」

「おかず抜きですか? それはちょっとキツいんですけど」

「安心しろ。おかずは俺が既に用意してある」


 イチローはそう言って、皆にスプーンと白米を渡していく。

 クラリスは未だ寝ているので彼女の分は机の上に載せる。


「ふっふっふ。おかずはなんと、これだ!」


 懐から取り出すのは袋詰めされた、独特の匂いを発するネバネバとした豆。

 そう、日本人にはお馴染みの、納豆だ。


「おおー! 納豆! こっちの世界で初めてみた! 食べたい食べたい!」

「うわぁ! 私久しぶりです納豆食べるの!」


 どうやら二人には好感触だったようだ。

 まあ同じ田中一郎なのだからイチローが喜ぶ食べ物はこの二人も喜ぶのは当然なのだが。

 イチローは喜んでもらえてホッと一安心する。


「この納豆どうしたの? この街に売ってたの?」

「いや、まだ王国にいた頃に納豆食べたいなーって思って、それで自力で頑張って作ってみたんだよ」

「なるほど、今日一日中臭かったのは納豆持ち歩いていたからでしたか」

「え、もしかして匂ってた? なら言ってくれたら良かったのに」

「いやあ、私はてっきりイチローさんの体臭かと思って、それを注意するのも可哀想かなと……」


「俺ってそんな不潔な奴だと思われてんの!?」


 思わぬショックな事実が露呈したところで、ベッドに寝かされていたクラリスが目を覚ました。


「くんくん……くっさ!? なんデスかこの匂いは!?」

「あ、起きた」


 勢いよく飛び起きた拍子に、顔を覆っていたフードがめくれる。

 フードが外れ、あらわになったクラリスの顔をまじまじと見て、イチロー達は硬直する。

 彼女の素顔は、新雪のような純白の髪に、同じく透き通るような白銀の眼を持った、美しさと可愛さの入り混じった絶世の美少女だった。


「「「カワイイ〜!!」」」

「へ? あ、ありがとうございます?」


 クラリスは目覚めたばかりで現在の状況を理解できていないようだ。


「てかくっさ! この部屋マジで臭いデス! なんの匂いデスか!?」

「この納豆って食べ物の匂いだぞクラリスちゃん」

「あなたは戦闘中、ちょっと匂った勇者さん!」

「……………」


 クラリスのその発言で酷く傷ついたイチローは、納豆を持って壁の端で座り込む。

 そして誰にも見えないように膝で顔を隠して、

 少し、泣いた。


「おはよークラリスちゃん。なんかちょっと雰囲気変わったね」

 

 端っこで落ち込んでいるイチローに代わってアミリアが代わりにクラリスと話をする。

 アミリアの言う通り、クラリスの放つ戦闘時の物々しい雰囲気は鳴りを潜め、今の彼女は快活でありながらふんわりとした物腰の、年相応の少女のように見える。


「お仕事中は真面目に振る舞えってしつけられたからデスね。とりあえずこのロープを外して欲しいんデスけど、駄目……デスか?」

「かーわーいーいー! 女の子がこんな不格好なロープ嫌だよね! ごめんね!」


 すっかり彼女の可愛さに絆されたアミリアは、素手でイチカが包帯を使って作り出したロープを引きちぎってクラリスを心配する。

 当のクラリスは、素手でそれなりの強度を持ったイチカ製のロープを、余裕で引きちぎったアミリアのゴリラパワーにドン引きしているのだが。


 少し警戒した様子を見せるクラリスに対し、イチカは優しく語りかける。


「込み入った話になりそうだし、とりあえずご飯を食べながら話し合いをしましょうか」


 イチカのこの提案により、一先ずは皆で食事を囲むことにしたのだった。

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