第二十四話 ふたりでひとり

「ただ、レナは後宮に入るかどうかは考えさせて欲しいと言っていた」

「レナが?」


 まさかとサリオンは瞠目した。

 後宮に入れば、見ず知らずのαやβの男の慰み者にならずに済む。アルベルトは可能な限りレナを優遇するだろう。その提案を蹴るかもしれない含みを持たせた返答に愕然として息を引き切るサリオンに、アルベルトが痛まし気に柳眉をひそめる。

 サリオンは背中側でカーテンを握り締め、伏し目になり、視線は大理石の床へと滑り降り、長い睫毛を震わせた。

 そうなのだ。どうしてレナも当然一緒だと、決めてかかっていたのだろう。サリオンは自分のおごりに気がついた。

 王宮でアルベルトの隣に並ぶ裏切り者を目の当たりにするぐらいなら、見ず知らずの男達になぶられる公娼に留まる方がマシだと豪語されたも同然だ。サリオンの大きな双眸から涙が溢れ落ち、床の上で弾け飛ぶ。

 この選択のせめてもの償いに、レナを苦界から救いたい。

 そんな驕慢きょうまんな意気込みは見事なまでに一蹴いっしゅうされ、サリオンは思い知らされた。ふたりは道を分かつのだ。


「サリオン」


 大股でアルベルトが歩み寄る。アルベルトはその長い腕を差し出して胸を開き、悲嘆にくれる恋人を抱き締めようとしてくれる。そんな彼をサリオンは首を振って制御した。


「……サリオン」

 

 靴音が不意に止み、かすれた当惑の声を聞く。


「今は……、触らないでくれ」


 サリオンはしゃくりあげ、涙で言葉を詰まらせる。これは彼の胸で流すべき涙じゃない。自分が一人で背負うもの。レナの落胆。レナの失意。打ち沈み、打ち据えられて湧き起こる恩讐おんしゅうも、怒りのほむらも、何もかも。


「レナは不思議なぐらいに落ち着いて、俺の話を聞いていた」


 アルベルトは掌でサリオンの髪を撫でるようにして呟いた。開け放たれた窓が舟のかいぐかのような音を立てている。


「彼は掌を返されることに、どこかで慣れてしまっている」


 深みのある低声がぽつりと床に落とされる。サリオンはアルベルトとふたりで雫となった言葉のシミを見つめていた。


「これは……。レナに期待をさせた俺の罪だ」


 共犯者。

 アルベルトは罪の痛みを分かち持とうとしてくれる。この彼の力強さ、雄々しさを、レナはどれほど渇望していたことだろう。片手で顔を覆ったサリオンは嗚咽する。さようなら。どこまでも、どこまでも共に歩くと思っていた。どこまでも。

 俺の半身。俺の分身。

 だからこそ、こうなった。

 ふたりでひとりだったから。


 サリオンが泣き濡れた顔を上げるまで、アルベルトはそこにいた。一体いつまでこうしていたのかわからない。夜のしじま。かさずに、踏み込むことなく彼はいた。アルベルトを見るサリオンのまなじりから熱い涙が一筋流れる。夜風で冷えた頬を温めた涙の筋。

 これが恋。

 恐れも躊躇も迷いも糾弾すらも押し流す激流だ。

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