第二十三話 レナの決断 

 サリオンは長椅子から立ち上がる。

 テーブルに並んだ料理やワイン。アルベルトからの心遣いに背を向けて、庭に面した窓辺に寄った。両開きの窓は天井に届くほどに高く大きく、両脇に絹の光沢を放つカーテンが優雅なドレープを描いている。そのドレープを握り締め、やはりサリオンは項垂れた。いてもたってもいられない。無意識に手にした絹のカ―テンの感触が、アルベルトのトガを思わせ、胸がいっそう苦しくなる。

 アルベルトはレナに何を言い、どんな声音で伝えるのだろう。

 レナとの初夜を破棄にすること。昼三男娼の側付きでもあり、双子のように育った片割れ。ユーリスというつがいの命、王族としての名誉も卑しめ、惨殺せしめた仇の国の皇帝について行く、廻しの奴隷。幾重もの罪の重さが肩にずしりとのしかかる。

 自分に欲があることが恥ずかしかった。たまらなく。 

 いっそレナに殴られ蹴られ、罵られたいと思う反面、それをレナに望むのは、ただ単に、自責の念から逃れたい身勝手すぎる要求なのだとわかっていた。

 サリオンが握り締めたドレープに顔をうずめた時だった。

 迎賓室の重厚な扉が開く音がした。ノックの音はしなかった。


「アルベルト……」


 沈痛な面持ちで立ちすくむ恋人を一目見るなり胸騒ぎがした。レナを説得し切れずに、いやむしろ、レナへの未練も断ち切れず、尻尾を巻いて出戻った。今度は自分を懐柔するため、言葉を探しているかのようにも見えたのだ。


「……レナは」


 サリオンは下唇を震わせた。恐かったのだ、何もかも。


「俺が一人で部屋に入った瞬間、レナは何かを悟ったような顔をした」


 アルベルトは伏し目がちになりながら、それでも腹から声を出す。後ろ手に自分で閉じた扉に背中を預けて立つ彼は、憔悴していた。床入り前には饗宴がある。皇帝が待つ饗宴の間に先導するため、レナの部屋に入るのは、廻しの奴隷でなければならない。


「レナは出入り口の正面の肘掛け椅子に座っていた。俺を見て、腰を少し浮かせていた」


 そしてすぐに座り直し、顔を背けていたと言う。声もなく、瞬きだけを繰り返し、胸を上下に喘がせる。そんなレナが鮮明に脳裏に浮かんでいた。


「俺は今夜サリオンを王宮に連れ帰る。半年生活を共にして、それでも世継ぎに恵まれなければ、レナを皇妃に迎えたい。その為にも後宮に入ってくれと頼んでみた」

「それでレナは……」

「わかりましたと、言ってくれたよ」


 サリオンの言葉尻を捕らえるようにして答えるアルベルトの顔にも呵責の色が濃く浮かぶ。本来ならば、相手はたかが自国の公娼男娼だ。皇帝が心を痛める責務はない。それなのにという言葉の後に続く言葉を見出せず、サリオンは息を凝らして彼を見た。

 開け放たれた窓から夜風が入り込む。

 それは庭の樹木の香りをはらみ、サリオンの艶めく金髪を柔らかに撫で、金の燭台の炎を揺らした。アルベルトはテーブルに並べられた手つかずの料理とワインに視線を移すと溜息をつき、壁際で控える下男に全てを下げるように言う。

 彼等は眉ひとつ動かすことなく粛々と任務を遂行した。ワインの瓶を抱えた男が最後に部屋を出て行くと、部屋には誰もいなくなる。

 

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