第二十二話 罪の味 

「少しの間、待っていてくれ。すぐ戻る」


 サリオンの額に口づけて、神妙な面持ちでアルベルトは迎賓室を後にした。

 残されたサリオンはクッションが敷き詰められた長椅子に戻り、腰掛ける。

自分を取り巻く状況が、あまりの速さで一変し、頭も気持ちも追いつかずにいた。 今夜はレナとアルベルトが初夜を迎えるはずだった。

 それを自分が傍観するとの取り決めのもと、アルベルトがレナを抱く夜。

 そうすることでレナが身籠り、世継ぎを産んでくれるなら、それですべてが収まるのなら、悪意に満ちたアルベルトの要求も受け入れた。ダビデに先を越されたアルベルトの窮地を救ってくれるのは、レナだと自分に言い聞かせていた。

 

 サリオンは太息を吐きながら、前屈みになる。片手で髪をくしゃりと掻き混ぜ、目を閉じる。

 自分は結局なにも承諾できていなかった。得意満面にはしゃぐレナが腹立たしかった。レナを抱いてくれるなら、自分も抱かせてやると申し出た時、あんなに怒っていたくせに、約束通りに来訪したアルベルトにも失望した。

 手近にある物、目に付くありとあらゆる物も人もぎ倒し、踏みにじり、吠え立てたかった。レナからもアルベルトからも受けたと感じた手酷い裏切り、非情な仕打ちに荒れ狂い、手負いの獣か何かのように激高した。

 

 自分で自分を制御できなくなった時、凶器のように言葉と心が溢れ出し、三者三様の暗黙の秩序を破壊した。

 自分がレナに成り代わり、今度は自分が裏切った。我が身を苛む誹謗ひぼうの念が胸にさかまき、身じろぐことすらできなくなる。

 サリオンは文字通り咎人とがびとのように顔を伏せ、息を凝らして時を待つ。レナに会ったアルベルトに何を聞かされるのかを知りたくてはやる気持ちと、知るのが恐い気持ちが交互に入れ替わる。自分の中の自分が左右の腕を引っ張り合い、体が裂かれるようだった。

 すると、静謐な迎賓室に両開き扉の青銅製のノッカーが、カツカツと硬質な音を響かせた。サリオンは弾かれたように顔を上げ、押し開けられた扉に目を向け、息を呑む。


「失礼します」


 と、一礼し、入って来たのは麻の貫頭衣かんとういを着た二人の下男だ。

 彼等は何の感情も感慨もない顔つきで、サリオンが座る長椅子の前の楕円形だえんけいのテーブルに、銀の皿やワイングラス、陶器の器を並べ出す。

 水牛や羊乳などから作られた数種のチーズに豚のハム。イチジクや枝つきの干しぶどう。たらとアスパラガスを並べた陶器に溶き卵を流し入れ、こんがりとした焼き色がつくまで釜で焼いたパティスナなどの前菜と、目の前で抜栓ばっせんされた赤ワイン。サリオンは下男が優雅にグラスに注ぐワインをじっと見つめるしかない。


 同じ麻の貫頭衣を着た廻しの奴隷に供された、しのぎの前菜。馥郁ふくいくとした香りを放つ赤ワイン。自分はレナを押し退けて、これを自分のものにした。

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